稚内挟撃戦 終幕

「敵襲!」


 稚内を包囲していた第八二空挺師団の陣地に警報がなり、北日本軍突撃の喊声が響き渡る。

 本郷が突撃を戒めていたため、攻撃で損害が出ていただけで襲撃された事もなかった。

 この数日は味方の歩兵師団が後方へ行ったため、包囲線の確保が任務であり戦闘も小規模となっていた。

 そのため油断していた。

 完全な奇襲となり、第八二空挺師団の前哨陣地は制圧された。

 ここまでは北日本軍の勝利だった。

 だが、この勝利に、久々の勝利に気を良くした政治士官達、劣勢だった戦況を憂慮していた党本部が更なる戦果、出来れば味方主力軍と合流するために更なる進撃を命じた。


「現時点で作戦を終了し、守備を固めるべきだ」


 本郷としては守りの堅い陣地に戻るべきだと言いたかったが、これ以上の譲歩はしない。

 しかし政治士官達は全く理解しなかった。


「好機を逃すな! 攻撃を続行だ!」


 作戦は続行された。

 だが、第八二空挺師団も無力だったわけではない。

 空挺部隊は、パラシュート降下を行う、降下時に兵員が分散するため兵員各員が独自の判断で行動する事が求められる精鋭だ。

 そのため、奇襲で一時混乱してもすぐに再集結して反撃に出てきた。

 稚内守備隊は兵力不足もあり第一線突破後の戦果拡張は、上手く行かなかった。

 それだけではなく、国連軍による反撃が行われた。


「独立戦車大隊を派遣しろ」


 佐久田の指示で五〇両近いパーシングを有する独立戦車大隊が送り込まれていた。

 上陸部隊の予備兵力だったが、機甲部隊のいない第八二空挺師団への増強用として上陸させていた。

 本来の任務に使われ、彼等は期待通りの働きをした。

 元が防衛部隊で機甲戦力が殆ど配備されていない、あっても既に消耗していた稚内守備隊は、戦車の支援を受けた第八二空挺師団の攻撃を受けて撃退された上に、奪った陣地も奪回された。

 維持しようにも、連日の防衛で兵力をすり減らした稚内守備隊に余分な兵力も無い。


「撤退だ」


 本郷中将の命令に最初は政治士官達は反発した。

 しかし、劣勢が伝えられる中で、これ以上の攻撃は無理だった。

 また、本国からの命令で稚内死守が命じられると攻撃も下火となり、元の位置へ戻った。

 結局、稚内守備隊の攻撃は損害が大きく出ただけに終わった。

 国連軍に五〇〇名の損害を与える代わりに二五〇〇名の死傷者を稚内守備隊が出しただけだった。

 地下陣地に籠もることが一番の防御だったことを、本郷の正しさを証明することとなった。

 一方、稚内めざして国連軍を南から攻撃中の北日本軍主力、地上を敗走してきたため地下陣地が無いので悲惨な目に遭っていた。

 後方の天塩に上陸され、補給線を分断された彼等は直ちに撤退しようとした。

 しかし、北海道制圧を掲げる党本部の指示を受けた北日本陸軍首脳部は作戦継続を指示した。

 彼等は命令に従い旭川で激しく戦い、大損害を出したが国連軍を撃破出来ず、敗退した。

 その間に、稚内方面の状況は悪化。ようやく事態を認めた北日本陸軍首脳部は撤退を許可した。

 だが遅すぎた。

 上陸を許した時点で、いや上陸出来る状況となった時点で終わっており、作戦を中断するべきだった。

 いや、そのような状況となる戦争に踏み出した時点で終わっていた。

 北日本軍主力は、北日本共和国首脳部が犯した状況判断ミスのツケを一身に受けることとなった。

 旭川からの退却中に国連軍航空部隊の阻止攻撃が始まっていたが、撤退が始まると、逃すまいと空爆が一段と激しくなった。

 稚内の制空権が奪われたため稚内と樺太からの航空支援、上空援護がなくなり、一方的に攻撃されるだけだった。

 撤退中も、空からの攻撃を受け続け、昼間は移動困難となり、夜間移動のみとなったため撤退は遅々として進まない。

 山間の道を進むため、事実上の一本道で迂回路もない道に十万の大軍が殺到し渋滞が発生したことも、退却が遅くれる原因となった。

 長い縦列は航空攻撃の格好の目標となり攻撃され続けた。

 本来なら、地下に潜り、攻撃を回避するべきだったが、移動中では碌に掩蔽壕を作る事は出来なかった。

 特に車両、大きな戦車は航空攻撃の的となり、次々に撃破された。

 ようやく稚内近くまで戻って来れたのは少数の装甲車両と大勢の歩兵のみだった。

 この状態で国連軍が稚内の南側に作った迎撃ラインに攻撃を仕掛けるのは無謀だった。

 だが北日本陸上戦力の大半が自分たち、この作戦に全ての兵力を集中したため、助けに来る戦力が他に無いことを彼等は知っている。

 そのため無謀でも攻撃を仕掛け、国連軍の迎撃ラインを突破し稚内へ戻るしかなかった。

 北日本軍主力は国連軍の迎撃ラインに到達すると、集まった兵力を直ぐに再編成し、作戦を立案。

 歩兵を中心に浸透攻撃を行い、前線を麻痺させそこへ装甲部隊が突入する作戦を立て夜になるとすぐさま実行した。

 だが、予め待ち構えていた国連軍の警戒は厳しく、すぐに発見され迎撃された。

 特に緒戦でのT34ショックで緊急配備されたスーパーバズーカと、五式砲戦車、M26パーシングによる戦車戦で多数のT34が失われ攻撃は失敗した。

 それでも北日本軍主力は生き残るため、新たに到着した部隊を使って攻撃を再開させようとした。

 だが、佐久田が洋上待機中だった第四管区隊を迎撃ラインの南側へ使い北日本軍主力の真東に敵前上陸させ横からの攻撃を加えた。

 到着したばかり、稚内への帰還、突破のみを考え、海への警戒を怠った北日本軍は、この奇襲を受けて大打撃を被り瓦解した。

 この状況を見た稚内の国連軍は反撃を開始。

 迎撃ラインにいた第一海兵師団、第二五歩兵師団、第三管区隊が突撃を開始する。

 勿論八個師団を前に三個師団のみが攻撃する事を、弾薬が不足している事もあり躊躇する声もあった。

 だが佐久田は


「敵は疲弊している。ここで一気に打撃を与え、戦線を突破。敵北日本軍主力を打通し、旭川から追撃しているパットン総司令官率いる味方と合流を果たし敵を分断する」


 佐久田の命令で攻撃が開始された。

 航空支援と海上からの支援を受けたあと、陸上の各部隊は戦車を先頭に進撃を開始した。

 攻撃準備中で集結中だった北日本軍には新たな奇襲となり、致命的な打撃を受け、瓦解していった。

 最初こそ抵抗していた北日本軍主力だが、連日の敗走と疲労、そして国連軍の攻勢で限界に達し、国連軍の突破を許して仕舞った

 迎撃ラインを突破した各部隊は順調に南下し、遂に旭川から追撃してきたパットン率いる第一管区隊を主力とした部隊との接触に成功。

 南北の国連軍が手を握る事となった。

 特に旭川からの追撃軍の先頭にパットンがいたことは、出迎えた稚内側の将兵達を驚かせ、流石我が指揮官と称えることとなった。

 特にパットンの勇猛さと日本を高く評価してくれる姿勢を好ましく思っている、警察予備隊の隊員達、国会などから憲法違反の存在、敗残兵と声高に貶されている状況では褒めてくれる人間が成果を上げたのであれば嬉しい。

 勝利と言えたが、佐久田を困惑させる事態が起きていた。

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