猪口の決断

「長官、どうしましょう」


 珍しく参謀長が尋ねてきた。

 彼も戸惑っているのだ。

 純軍事的に言えば、このまま攻撃を続行して、大和を撃破し残存艦艇全てで船団に突入して国連軍を破滅させるのだ。

 かつての太平洋戦争のレイテ、沖縄を見ても有効なことは証明されている。

 結果、武蔵は沈むだろうし艦隊の生き残りも全滅するだろう。

 だが、北海道の北日本軍主力が生き残る。

 彼らを救うことが出来る。

 勿論命令に反するが、現場の指揮官は、現場の状況を知る指揮官は命令に背いてでも行動しなければならない時がある。

 今が正にその時だ。

 だが、命令通りに行動すれば武蔵は大泊に戻れる可能性がある。

 そうなれば北日本の主力は壊滅する。

 参謀長も分かっており、一体どうすれば良いか分からない。

 決断を下すのは司令長官、ただ一人だけ、猪口のみしか出来ないのだから。

 作戦案、選択肢とその長所短所を伝えるのが参謀長だが、思慮深い猪口が殆ど参謀を必要とせず、作戦案など百も承知である事は参謀長も分かっている。

 時間短縮の為に尋ねたのだ。


「作戦中止、撤退する」


「長官」


 てっきり、最後まで戦うのかと思っていた司令部要員は猪口の撤退命令に驚いた。

 参謀長は思わず聞き返したほどだ。


「今、突入すれば勝てますが」


「命令とあらば致し方ない。命令に従うのが軍人だ」


「しかし」


「先ほどの雷撃を見るからに、国連軍の航空活動は活発になっている。これ以上の戦闘継続は航空攻撃の危険を増大させる。無事に帰還できる可能性は少なくなる」


「その通りですが」


 航空機の援護が見込めない作戦など、レイテなどで経験している。今更、気にすることはない。

 それに、先ほどは当たってしまったが武蔵の回避能力と防御力は高い。

 船団攻撃を行う間ぐらいは、沈まない自信がある。

 しかし、猪口の意志は頑なだった。


「戦闘中止、大泊に帰投する」


「了解しました」


 驚きながらも彼等は命令に従って撤退した。


「宜しいのですか?」


 参謀長が小声で尋ねてきた。

 今、武蔵が突入することで北日本軍主力が生き残る可能性は高い。

 武蔵は沈むだろうが、味方を救う事が出来る。


「我々が残らなければ樺太への上陸作戦があった場合、防御は不可能になる。それに極東海域で四六サンチ砲を持つ戦艦、大和に対抗できるのは武蔵だけだ」


「しかし、北日本はより困難な状況に陥りませんか」


 陸上部隊の主力が壊滅したら戦争は不利になる。


「それを判断するのは我々ではなく、国家主席だ。我々は命令に従うだけだ」


 猪口が何処か嬉しそうに言っている。

 参謀長は、猪口の言った意味を考えた。そして、思い至った。

 猪口は武蔵を反転させ、生き残らせることで、南日本を助けようとしている。

 もとより、北日本への忠誠心など無い。

 猪口は帝国海軍軍人であり、長年帝国のために戦ってきた。

 今は訳あって、北日本に何処の馬の骨か分からない、ソ連からのバックアップ頼みの国家主席へ忠誠を誓っているが表向きのこと。

 二十年も奉職した帝国への思いは強く、正統な継承者である南日本に親近感を抱いている。

 そして、南日本の窮状も、アメリカの占領下にある事も知っている。

 南日本が歴史から見て比較的、穏当な占領政策が行われているのは北日本、より正確に言えば武蔵がいるからだ。

 武蔵に対抗する為に沖縄で座礁していた大和をわざわざ離礁させ、呉の支援設備を活用。

 軍備放棄がなされ帝国海軍が解体されても一部は生き残った。

 そして名称を変えてでも復活しようとしている。

 アメリカが戦争中のお題目を投げ捨ててまで日本に再軍備を求めたのは武蔵が存在するからだ。

 ここで武蔵が失われれば南日本はアメリカにとって用済みとなり占領統治は過酷になるだろう。

 ニミッツは比較的穏当な統治者だが、後任が同様とは限らない。

 間もなく講和がなるが、米軍が駐留する限り、同じ政策か分からない。

 米ソ対立の最前線で良いように使われる可能性の方が高い。

 そうならないために、脅威としての武蔵が存在しなければならない。

 だから生きて帰ることを選択した。

 武蔵が存在することで大和が、南日本が必要とされる状況を作るのが猪口の狙いだ。

 米軍は原爆というジョーカーを持っているが威力が大きすぎて使えない。

 その中で、極東における最大の火力を持つユニットは大和しかいない。空母の威力も大きいが、局地的な火力では大和が圧倒する。

 米軍はその有用性を無視できない。

 そして北海道を襲った北日本軍主力を壊滅させる事で南日本の脅威を除去する事が出来る。

 北日本を支える軍事部門の一つが壊滅し、相対的に武蔵の価値が高まる。

 主力軍の将兵には気の毒だが、猪口は知った上で全てを承知で命じた。

 北海道を北日本が失っても樺太と武蔵は、アメリカの脅威は残るので南日本の価値は損なわれる事はない。

 参謀長も、理解してそれ以上は何も言わなかった。

 明確なサボタージュであり利敵行為だ。

 バレたら銃殺もあり得る。

 だが、今は国家主席の命令を盾に撤退できる。

 思想的に正しい人間なのだろうが、軍事の素人であり、間違った決断を下すようだ。

 せいぜい、この誤断を利用させて貰う事を猪口と参謀は決めて武蔵を下がらせた。

 かくして武蔵は大泊に向かって反転し、戦場を離脱していった。


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