軍事顧問 カーメネフ ソ連海軍少将

 その日の明け方、まだ太陽が水平線から顔を出していない夜の闇が最も深まる頃、北日本人民海軍<解放>の艦内にけたたましい警報が鳴り響いた。

 軍事顧問として<解放>に乗り込んだミハイル・カーメネフソ連海軍少将も、警報音にたたき起こされる。


「何だ!」


 広い自室で飛び起きるとスピーカーから猪口の指令が下った。


『訓練! 訓練! これより<解放>は実働訓練を行う!』


「訓練で艦を動かすだと。聞いていないぞ」


 階級こそ少将で、軍事顧問だが政治的、思想的観点からカーメネフは制度上の第一艦隊司令官として存在していた。

 ソ連の衛星国である北日本は、ソ連軍に従うべきだとソ連もカーメネフも考えている。

 だが、実際は、猪口がこのように艦艇を勝手に行動する。

 カーメネフの承認なく、事を進める。

 腹立たしいのは、その方が良い方向へ進むという事実だ。

 建国前から、この艦の艦長をしているだけあって猪口は的確な指示を下す。

 彼がいなければ、この艦は動けない。

 北日本いや、世界でも最強の艦を動かせるのは、東側で唯一、猪口だけだ。

 昨年完成させた原爆の前には屑鉄だが、巨大な艦の威容という物は、圧倒的であり砲艦外交にもってこいだ。

 実際目の前で仕様、核爆発を起こすわけにはいかない原爆より、この目で威容を見せつけられる大戦艦の方が、印象は強い。

 事実、数年前行われた<解放>による東アジア巡航は共産主義の威光を遍く示した。

 それも猪口の功績であり、無視することは出来ない。

 猪口の政治的信頼性が低くても艦長を任せなければならない理由だった。


『想定! 大泊に多数の敵機来襲! 回避行動の為、直ちに出港する! 総員戦闘配置!』


「勝手な事を」


 だが、戦時ではそのような我が儘を許してはおけない。

 ゴルシコフ長官が指揮している中で勝手な行動をしたら、自分が叱責されてしまう。下手をすればシベリア送りだ。

 直ちに猪口を止めるべく、カーメネフは、自室を出ると艦橋に向かう。

 しかし、配置へ向かう水兵達に弾き飛ばされる。


「貴様ら! シベリアに送るぞ!」


 大声で叫んでも、誰も止まらない。

 ぶつかった水兵を咎めようともしない。

 ぶつかるような所にいたお前が悪いと言ってるようだった。


「なんて船だ」


 カーメネフは提督であり、彼等より階級が上だ。

 なのに、一番無能と思われている。

 怒りながらラッタルを登ろうとした時、艦が揺れた。


「もう動いているのか」


 オハの油田から潤沢に燃料が供給され、艦のボイラーは整備点検を除き、常時動いている。

 だとしても動くのが早い。

 だが揺れは前後だけでなく左右にも揺れる。


「うおおおっっ」


 右に大きく傾き、カーメネフは咄嗟に壁に手を付いて転倒を免れた。

 だがソ連から連れてきた彼の部下はそうもいかず、転げ落ちてしまう。


「医務室へ連れて行け」


 目を回した部下をもう一人に任せカーメネフは、司令塔、、最大五〇〇ミリの装甲で囲まれた最も防御力がある区画へ向かう。


「猪口は何処だ」


「艦長は、防空指揮所に上がられております」


「ばかな、そんな場所にだと」


 戦闘時の指揮を安全なところから執るのが第一だ。

 頭脳である艦長が、司令長官が身の安全を考えないでどうする。


「まったく、実戦を想定していないのか。戦争中はここで指揮を執っただろうに」


 カーメネフはかつて猪口にそう言ったが、司令塔だと視界が悪くて状況把握が出来ないので防空指揮所に上がっていた、と猪口は答えた。

 見栄を張っていると思ったが、年がら年中、防空指揮所に上がるのを見て戦中の見栄をここまで続けるのかとカーメネフは呆れた。


「防空指揮所だな。行くぞ」


 部下達を率いて上がる。

 だが、登るのは困難だった。

 戦闘を想定しているためエレベーターは使用不可とされ彼等はラッタルを使って上がって行く。

 だが昇につれて揺れが酷くなっていく。

 いかに安定性に長けた七万トンの巨体とはいえ、海面から登るにつれ揺れ幅が大きくなってしまう。

 海軍とは言え外洋での行動が殆どなく、慣れていないカーメネフの部下の何人かは船酔いを起こしてしまい、脱落した。

 結局、カーメネフ一人が吐き気を抑えて防空指揮所に上がった。


「おい、猪口! 何をしている!」


 防空指揮所に顔を出したカーメネフは開口一番、指揮所の真ん中に立つ、士官、水平線に見え始めた太陽の光りを浴びて輝く白い制服に身を包んだ猪口に向かって言った。

 だが返答はなかった。

 猪口が口に出したのは、操艦指揮だ。


「訓練! 右舷より敵機接近! 面舵一杯!」


「面舵宜候!」


 操舵手がすぐに反応して舵を切る。

 予め当て舵をしていたため、艦はすぐに右に回頭する。


「うおおおっっっっ」


 左に大きく傾き、カーメネフは、危うく振り落とされそうになる。


「気をつけてください、軍事顧問殿」


 防空指揮所付きの下士官が抑えて転落を防いだ。

 だがカーメネフは嬉しくなかった。

 明らかに、嘲笑が混ざっている。

 この程度で、転倒するなど素人目と言いたいのが分かる。


「ふんっ」


 カーメネフは助けた下士官に礼も言わず猪口に向かう。


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