佐久田の決断

「……はあ?」


 ニミッツに伝えられた条件に佐久田は珍しく、素っ頓狂な声を上げよ。

 だが内容がないようだ。

 日本軍がアメリカから手に入れた原爆を使用せよ。

 何故そのような事を言われるのか、佐久田は分からず、間抜けな声を出してしまった。

 しかし、驚きから回復するとすぐさま高速で思考し、ニミッツの言葉の意味をすぐに佐久田は理解した。


「……ソ連に使用せよ、日本軍が投下せよ、と言うことですか」


「そうだ」


 佐久田の言葉をニミッツが肯定した。

 ソ連軍への原爆投下は日本が完全にアメリカ側に付くという証明となる。


「講和に必要ですか」


「日本軍が、原爆を保有していない、アメリカ側に付く確証を、ソ連に行かない確、証拠が欲しい」


「引き渡しで問題ないのでは?」


「ソ連に降伏しない、協力しない証が必要だ」


「しかし、ウラジオストックなどに攻撃出来るだけの準備はありません」


 今日本海軍は沖縄戦への対処の為に部隊が集中している。

 それに、ソ連は満州国に任せるため、ウラジオストックへ攻撃の準備など日本本土の部隊は出来ていない。

 迅速に行うなど不可能だ。

 だが、アメリカが突きつけた条件は無情だった。


「日本国内なら問題ないだろう」


「……なんですって」


 ニミッツの言葉に佐久田は背筋が凍った。

 だがニミッツは話し続ける。


「上陸したソ連軍、北海道北部に上陸に向かって投下するなら問題ないだろう」


 この数日の仁科博士達の努力と海軍航空隊の奮闘により原爆投下の準備は整っている。

 だがこれは、対米交渉の切り札であり万が一の決裂に備えての事だ。

 本当に使うつもりなどない。

 まして本土に使うなどやりたくない。


「しかし、それでは日本国民が」


「ソ連軍の侵攻を認めるのか。原爆を使わず北海道を守り切れるか。ソ連に領土を奪われて良いのか」


 そこは痛いところだ。

 ニミッツの指摘に佐久田は顔をしかめる。

 修理途中の武蔵を中心とする艦隊が急行中だが稚内の内陸部へ侵攻したソ連軍を排除出来るとは思えない。

 樺太、千島への侵攻が先だという固定観念と誤断から攻撃を許して仕舞い現地部隊は必死の抵抗にも関わらず徐々に敗退している。

 海岸部は勿論、内陸部のソ連軍も完全に撃滅する必要がある。

 沿岸部は残存艦艇のみとはいえ、ソ連海軍に日本海軍が負けるわけがないと自信を持って言える。

 だが艦砲が届かない内陸部での反撃、領土の奪回は非常に難しい。

 それには原爆が効果的だというのは分かる。

 しかし、日本軍が自らの国土に、悪魔の兵器を落とすなど、味方兵士は勿論、民間人も巻き込むなど狂気の沙汰だ。


「ソ連領内に落とすのは」


「構わないが、不発をソ連に提供する事は避けて貰いたい」


 ソ連に原爆を提供するのは絶対にダメだと言うことだ。

 洋上飛行中の事故で行方不明も避けたいだろう。

 なら日本国内で使うのがもっとも安全――なんて言葉だ――なのだ。


「米軍の代わりにソ連軍を核攻撃しろと? 米軍の原爆の威力を見せつけるために?」


「そうだ」


 ニミッツは佐久田の言葉を肯定した。

 現在、アメリカとソ連は同盟国だ。

 明日の敵対が保証されているが、日本が降伏するまでは味方同士だ。

 だが明日、敵となるのならば、今日力を見せつけなければならない。

 特に力を信奉するソ連、ロシアに対しては、力を見せつけなければ言うことを聞かないだろう。

 なら力の行使をしなければならない。

 だが、味方を攻撃しては、他の同盟国に悪影響、アメリカが無法な国とみられ信用が失われる。

 しかし、運悪く日本軍に鹵獲された原爆が、ソ連に向かって使用されたのならば、まだ、言い訳が立つし、仕方の無いことで済ませられる。

 アメリカの力をソ連に見せつけるために、まだ戦争中の日本に原爆を、連合国の一員であるソ連に向けて使用させようというのだ。


「以上がアメリカの条件だ」


「無茶な」


「決めて貰いたい。ソ連軍は今も侵攻中だ」


 佐久田は反論しようとしたが、出来なかった。

 アメリカにとっては、使用可能なカードの一つだ。

 ダメなら他の手段を使えば良いだけ。

 ソ連との戦いが不利になるが、信用ならない味方を抱え込むよりマシだ。

 一方の日本はこれを逃せば講和の機会を失う。

 来年の中間選挙まで戦い、政権を不利にする目算はあるが、国土への被害が、更なる原爆投下を招きかねず、死者も今の数倍に膨らむだろう。

 事実、マリアナから空襲が始まり、死者の数は増えている。

 ここで止めなければ、講和しなければ、後日は講和がなったとしても、日本の死傷者は目を覆いたくなる数となる。


「……我々がソ連にこの話を漏らすとは思わないのですか」


 佐久田は精一杯のジャブをかけてみた。


「話せば講和の話は終わりになる。中国大陸は蒋介石の領分だ。彼にどうにかして貰う。重要なのはアメリカの国益だ」


 ニミッツの言葉に佐久田は同意せざるを得なかった。

 ここで暴露しても講和の機会を失うだけだ。

 しかし、日本にあの悪魔の兵器を落とす事になるのは、しかも日本人が、自分が落とすのはやりたくない。

 アメリカを焦らせるため、戦後ソ連が優位に付かないようにという思いから、様々な仕掛けを施した。

 沖縄戦やパナマ運河攻撃、ワシントン空襲、満州国の裏切り。

 いずれもアメリカが交渉に乗ってくるようにするための手だ。

 しかし、効き過ぎた。

 まさか自分がこんな立場になるとは思わなかった。


「使用すれば、講和を結んでくれるのですか?」


「勿論だ。ソ連と対抗してくれる国が味方になってくれるのは歓迎だ」


「使用させて、消費させ反故にするという罠では?」


 原爆は日本では製造できない。

 偶然米軍から手に入れた一発だけだ。

 その一発が、日本の切り札であり、一回限りだ。


「それなら、我が軍は何発でも用意できる。その時は、日本の全ての都市に原爆を落とす事になる」


 事実だろう。

 諜報活動の結果では、アメリカは原爆の量産体制を整えつつある。

 幾らアメリカでもすぐに百発を作るなど不可能だが、月に一発から二発は作れるだろう。

 対して日本は一発のみ。


「アメリカは、日本がソ連に身売り、あるいは自分が優位に立つためにソ連に肩入れしている可能性を否定できない。自国、日本の利益のためだろうが、アメリカの国益を損なうことは許されない。日本とアメリカが共通の利益、反共である事を確かめたい。それを証明できないなら、講和はなしだ。」


 たった一発の原爆を、最後の切り札であり、ソ連に提供しかねない代物を自分で使えと強要している。

 これまでの事を、ソ連がアメリカと対抗できるように、日本が反共の切り札となり、アメリカが手を結ぶべき相手となるよう環境を整えるべく、ソ連の国力を、脅威を高めるために肩入れしてきた。

 しかし、アメリカは見破り、日本に試練を与えてきた。

 しかも、一参謀である自分が、佐久田が、決断しなければならない。


「返答を聞きたい」


 ニミッツは佐久田に尋ねた。

 佐久田は暫し考えた後、決断を口にした。

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