佐久田の交渉
「なんということだ」
パナマ運河が攻撃され完全に破壊されたという報告をニミッツが受け取ったのは、佐久田と会談している最中だった。
だが、敵との交渉中であり気取られるわけにはいかず、ニミッツは表情を平静に戻した。
「パナマ運河が破壊されたようですね」
だが佐久田が表情を変えずに呟いたため、全てご破算になった。
「……これも、あなたの仕組んだことですか」
「まあ、建造に加わりましたし、作戦計画も立てました」
連合艦隊で大西洋方面作戦用潜水艦の建造中、用地攻撃用に改造するべきだという意見を出したことはある。
連合艦隊司令部に入って、第一潜水隊の存在を知り、彼らを生かすための作戦を計画したのも事実だ。
そして、今回の終戦計画への道筋の一つに彼らを活用しようとしたのも事実だ。
お陰で、上手くいっている。
「停戦を結んでおきながら攻撃するのは卑怯ではないのか」
ニミッツの幕僚の一人が非難の声を上げる。
「先ほどの停戦合意は沖縄周辺海域に限定されており、太平洋全域ではない。まさか、太平洋の反対側のパナマも沖縄の一部だというのか。パナマが沖縄というのなら、終戦後正当な日本領土として返還交渉の材料になるが」
「うっ」
幕僚は黙り込んだ。
国際外交では無茶苦茶な意見や要求が出てくる事が多い。
大概は国際法で黙らされるし、のちにブーメランとなって跳ね返ってくる事が多い。
下手に反論できなかった。
なのでニミッツは静かに語りかける。
「なるほど、あなた方は長い手をお持ちのようだ。確かに我々は困った事になった」
少なくとも、沖縄作戦は補給の見込みが立たず撤退することになるだろう。
下手をすればマリアナからも。
太平洋艦隊は運河に補給を頼り切りすぎている。
復旧に一年以上かかるなら、その間は作戦行動不能、南米周りで補給を得られるとしてもかつての一割程度まで下がるだろう。
その間に日本が息を吹き返す事も、今度こそマリアナ奪回さえ出来る。
「しかし、その後はどうするのですか。アメリカは十分な国力を持っている。運河さえ復旧すれば、復旧期間の間に大西洋で戦力を整え、大挙押し寄せる事も出来る」
アメリカの国力を以てすれば今回失われた戦力以上の艦艇をパナマ運河復旧までに揃える事も可能だ。
ヨーロッパ戦線が終わった今、全てを太平洋戦線に回せる。
パナマ運河が復旧するまでの間、歯を食いしばって頑張れば良い。
そんな事はパールハーバーで経験済みだ。
米海軍は再び立ち上がれるだろう。
「その通りです。米軍は日本が奪回した地域を再奪回できるでしょう。しかし、連合国の場合はどうでしょうか?」
「? どういう意味だ」
「同じ連合国が獲得した地域をアメリカ軍が奪うことは出来ないでしょう」
そこへ新たな報告が入ってきた。
「只今、モスクワのタス通信が発表しました。ソ連が日本に対して宣戦布告しました」
日本時間、八月八日午後一一時、ソ連外務省は駐ソ連日本大使に対して宣戦布告。
翌日九日午前一時に、ソ連極東軍は対日侵攻作戦を開始した。
ヨーロッパから移動してきた赤軍百五十万が日本軍勢力圏へ侵攻。
大半は、満州へ向かったが、一部は樺太、千島、そして北海道へ向かっていった。
その詳細な情報がニミッツにも入ってきた。
「すこし早すぎる」
「現地の日本軍は出来る限り抵抗します。しかし、ソ連軍にいつまで対抗できるかどうか」
ソ連に対する備えは出来ている。
しかし、圧倒的なソ連軍に何時までも抵抗できない。
それに、ソ連軍はレンドリースにより増強されている。
戦闘で占領されればソ連軍占領下となり、米軍は手出し出来ない、日本という拠点を確保出来なくなる。
極東政策上、軍事上でも不利な条件となる。
「それに、この状況でポツダム宣言をうければソ連軍に降伏せざるを得ません」
日本全体がソ連に降伏するという話を聞いてニミッツは背筋が凍った。
止めるだけの手立ては少ない。
米軍はパナマ運河をやられて半身不随の状態だ。
日本列島各地へ艦隊と部隊を送り込める状況ではない。
仮にソ連を止めたとしても志を聞く連中ではない。
戦力が必要だが、動けるのは一年以上先。
実働部隊が少ない。
「それで、降伏したいと」
「ええ、国体護持を条件に」
「それはワシントンの範疇だ。小官に権限はない」
「ならば、ワシントンに尋ねるまでですな」
一瞬聞き流したが、佐久田の言葉の意味に気がついたニミッツは再び背筋が凍った。
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