戦前の日本海軍の不安

「我々はアメリカに勝てるのか?」


 それは、戦前のある時、海大の学生の一人が口にした疑問だった。

 アメリカは日本海軍の仮想敵だ。

 予算獲得の為に仮想敵にしているが、太平洋を挟んでいる以上、何時敵対するか分からず備える必要はある。

 それは平時でも同じであり当然だ。

 だが、同時に疑問もある。

 十倍もの国力があるアメリカと日本が戦って勝てる事など出来るのか。

 一応、日本海軍は、日露戦争以降、仮想敵となったアメリカに対する作戦計画を立てている。

 勿論国力に勝る米軍の戦力は日本の三割増しはあると予想されるので念を入れて計画はたてている。

 もし日本と交戦状態になったアメリカは、フィリピン救援の為、あるいは日本本土へ上陸するため太平洋を横断してくる。

 真珠湾を監視している日本海軍の潜水艦が接触、追尾し潜水艦隊が襲撃。さらにマーシャル諸島に近づけば陸上攻撃隊や空母艦載機部隊で漸減攻撃――敵艦隊を徐々に減らす。

 そして決戦前夜に精鋭水雷戦隊を揃えた第二艦隊が肉薄夜襲攻撃を行い敵戦艦の数を更に減らし、日本の戦艦と同じ数に持ち込む。

 そして戦力が同等になったところを主力である戦艦中心の第一艦隊が艦隊決戦を行い勝利する。

 日露戦争の焼き直し、開戦と同時に手近な旅順艦隊を撃滅、旅順を占領遙かヨーロッパからやってくるバルチック艦隊を相手に決戦を挑み勝利した栄光の歴史。

 それをアメリカ相手に繰り返そう、開戦と同時にフィリピンを攻略、救援の為に駆けつけた米海軍主力を小笠原、マーシャル諸島が委任統治領となってからマーシャル諸島で迎撃する事に変更はあっても、基本的に来航する敵艦隊を迎撃する、というのだ。

 日本にとって都合の良い話しだが、作戦計画自体は完璧だった。

 またアメリカ側の対日作戦計画オレンジ計画も同じ、日本側の想定通り、フィリピン救援の為にマーシャル諸島を占領し救援に向かうのがアメリカの基本計画であり――他のルートだと欧米の植民地があるため使用できないこともあり、結局敵である日本のマーシャル諸島経由でしか行けないこともあってルートが制限される事情もあった。

 以上の事から日本海軍の作戦は自己中心的な作戦計画ではなく勝算は十分にあった。

 だが、同時に作戦を立案した彼らは思っていた。

 訓練を積んだ自分たちなら、帝国海軍は対米七割の劣勢でも、この作戦ならば勝てる。

 だが、作戦終了後、決戦のあと帝国海軍は艦艇の多くが損害を受けて壊滅する。

 しかし、米国はどうか。

 確かにアメリカ太平洋艦隊は壊滅する。

 日本の場合、乏しい国力を投入して作り上げた艦隊の為、壊滅したら戦力が回復するには、戦艦の建造で十数年かかる。

 人材は江田島で少数精鋭で鍛えている分、到底補充不可能だ。

 一方、工業力が圧倒的な米国は、戦艦を数年以内に多数建造することが可能だ。

 人員も、アメリカの各界から集めれば何とかなるし、機械化で人の手を煩わせないようにすれば良い。

 そのため、急速に戦力が回復する。

 実際この戦争で始まってから何隻の戦艦、空母が建造され実戦投入されたことか。

 日本海軍の当初の想定通り、決戦の後、アメリカとすぐに講和する事が出来れば良い。

 しかし、講和交渉が決裂したら、そもそも講和の糸口さえなかったら。

 長期戦になれば米国に比べて国力に劣る日本の敗北は確実だ。

 一高――第一高等学校、のちの東大教養学部に入学できるほどの秀才である帝国海軍士官、そのなかから更に選ばれて入学した海軍大学校の学生が思い至らないはずがない。

 彼らだけでなく、少し軍事に詳しい者なら誰だって思い至る。

 下士官以下なら精神論で有耶無耶にする、命令を受けるだけの彼らに選択権はないのだ。

 だが、海軍の中枢にいて、任務を遂行するための責任を負う彼ら、命令を下す士官は、特に中枢部のスタッフとなる彼らは違う。

 アメリカと戦っても勝てる方策を考えなければならない。

 それで負けたら彼ら士官、上層部、作戦の責任者の問題だ。

 そして負けたら国が滅ぶ。

 到底、一命であがなえることではない。

 しかし、目標の達成は、アメリカに勝つということは困難だ。

 日本とアメリカの間には広大な太平洋がある。これを海軍の総力が横断するだけで困難だ。

 しかも太平洋に面した合衆国の西海岸は米国の中枢ではなく、大陸の反対側の東海岸がアメリカの中心。

 そこまで攻め込むには、合衆国の広大な国土を横断出来るだけの兵力がない。

 あったとしても陸軍の援軍が提供されても、彼らへの補給物資を運ぶ能力が、アメリカ大陸まで輸送できる能力は日本海軍は勿論、帝国にもない。

 中国へ三個師団を敵前上陸で送るだけでも帝国商船団の二割から三割を使用したのだ。

 アメリカはフィリピンやハワイなどを除いて海外領土はなく、それらの島々にアメリカにとって死活的に重要な生産力も無い。

 重要な工業地帯は全て、人口も生産力も大西洋岸、東部に集中している。

 アメリカの生死を握れるような位置に日本はおらず、アメリカの命を握ることは出来ない。

 だが、それでも握るための方策を考えなければならない。

 そんな彼らが思い至ったのが、潜水艦によるアメリカ東海岸襲撃だ。

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