まるゆと帝国海軍の誇り

「登舷礼か、海軍の真似をしているのでしょうか」


 双眼鏡で観察していた森下が呟く。

 登舷礼とは手空きの者が甲板に上がり相手に敬礼をするのは相手の船への最上の敬意の表し方だ。


「海の男として礼儀を示そうとしているのだろう」


 彼らの思いを汲んだ伊藤は呟く。

 だが、ほんの数名が殆ど海面すれすれの甲板に上がり大和へ向けて敬礼している姿は森下には滑稽にも思えた。


「ならばこちらも答礼しなければな」


 しかし伊藤は毅然として言った。


「艦長、答礼を行う。登舷礼だ」


「了解」


 内心、そこまでする必要は無いと森下は思うが、伊藤の命令は下った。

 実行するだけだ。


「達す! 手空きの者、上甲板に集合! 登舷礼用意!」


 直ちに甲板に大和乗員千名以上が上り登舷礼を行う、まるゆに対して敬礼する。

 伊藤達も敬礼した。


「しかし長官ここまでしなくても」


 登舷礼が終わってから森下は言う。

 乗員僅か十数名の船舶に登舷礼をする必要などないと森下は考えていた。

 しかし、伊藤は困ったような、さみしいような、申し訳なさそうな表情で気持ちを吐露する。


「これは我々の誇りの為だよ」


「はい?」


「確かに、四年近い戦闘で、もはや帝国海軍にかつての面影は無い。だが最後まで我々は帝国海軍でいたいんだ。どんな小さなことでも怠らず礼儀を尽くし、威厳を以て行きたい。自己満足でしかないかもしれないが、その誇りを後々まで伝えるために、これまでの誇りを穢したくないために行いたかったんだ」


「はい」


 伊藤の言葉に森下は同意した。

 理想の海軍を、自分の矜持を残したい。

 最後の戦いに赴くに至り、その思いが強い。

 自分の有り様を、これまでの生き方を、間違いはあったかもしれないが海軍で過ごしてきた事を貶したくなかった。

 だからこそ、陸軍の小型潜水艇であっても礼節は守りたい。


「確かに残したいですな」


 いつの間にかやって来た佐久田が同意する。


「我々の、海軍の伝統、シーマンシップを途切れさせることなく、過去、現在、そして未来へ繋いで行きたいものです」


「海軍は続くと思うのか?」

「ええ、そのために来たのですから」


 佐久田は気負いなく言った。

色々と不遇な人事を受けてきたこともあったが、海軍に憧れて海軍兵学校へ入り、卒業しただけに愛着は人一倍だ。

 いや不遇な人事の中でも予備役編入を願い出なかっただけに、佐久田の海軍への愛着は人一倍だ。

 その能力を最大限に生かし貢献してきた。

 しかし、海軍側にそれを受け入れる余裕がなく、半ば懲罰人事を受けることになったが、自分の思いを踏みにじりたくなくて、海軍に奉職し続けた。

 そして劣勢の中、殆ど一人で海軍の作戦を支えてきた。

 それも自分の愛した海軍の為にだ。

 嫌な部分は多々あるが矜持やシーマンシップを大切にする精神を含めて残したかった。

 陸軍の潜水艇が受け取ってくれるか、無事に残してくれるかどうか、それは分からない。だが自分たちの為に決して礼節は怠りたくなかった。

 幸い、この登舷礼は、陸軍潜水艇に過大な程伝わった。

 大和から登舷礼を千人以上の乗員が甲板に並び敬礼してくれた事に潜水艇の乗員は感激した。

 大和の航行波で打ち寄せた波に全身ずぶ濡れになっても感動は消えず、基地に帰ってからも興奮冷めやらず、敬礼が海軍式になってしまっていたほどだ。

 それを見た陸軍の上官が激怒し、艇長の船舶司令部への転属を取り消して残留させた位だ。

 これは懲罰人事であったが、のちにこの艇長に幸運をもたらすことになる。

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