臼淵大尉と佐久田


 若手士官、任官したばかりの中尉少尉の間では今回の出撃に激論が行われた。

 特に兵科士官と予備士官、自ら兵学校へ志願し三年近く修業し任官した士官と、大学や高校を卒業し一年ほどの訓練で任官した大卒の士官との間で意見の対立があった。

 帝国海軍の伝統に従い、出撃するべきだと兵科士官は主張するが、途中で撃沈されるのだから、作戦は無意味だと批判する予備士官の間で激論が交わされ、殴り合いにまで発展した。


「止めたのか?」

「いえ、臼淵大尉が止めました」


 仕方なく、ケップガン――士官室のまとめ役の臼淵大尉が出て行った。

 通常なら中尉の中の先任者から適任者を選ぶのだが、任官して間もなく経験の浅い中尉が多い。有能な者はすぐに昇進させたため適任者が居らず臼淵大尉がケップガンに任命されていた。

 臼淵大尉は乱闘の行われる士官室に行き諭すように言った。


「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩と言うことを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずして何時救われるか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」


 臼淵大尉の言葉に全員、激論を止めた。

 それだけ臼淵大尉の言葉は重かった。

 臼淵大尉自身が、かつて身に染みて受けたことだけに説得力は大きかった。

 優秀な父の予言、いや予測を妄言と思い軽く扱い、決してまともに取り合わず、今の状況を作り出してしまったことに自責を感じていた。

 それを自分より若い士官、自分たちがしくじったツケを負わせるような形で死地へ行かせようとしていることを悔やんでいるだけに沈痛だった。


「全く、身につまされるな」


 報告を聞いた森下は顔が引きつった。

 本来なら自分たちが第一線で活躍し、戦局を優勢にして勝利しなければならない。

 なのに、力が無かった故に若い彼らを、特に本来なら大学を卒業して国のために力を、海軍以外の場所で発揮するべき優秀な人材を死地へ向かわせるなどあってはならない。

 臼淵大尉に咎められているようで森下には余計に堪えた。


「それで彼らは納得したのか」


「はい、みな黙り込みましたが……」


「どうした?」


「佐久田参謀が出てきまして」




「素晴らしい言葉だな」


 臼淵大尉の発言が終わった直後、佐久田が現れ言った。


「確かに負けて目覚めなければ、進歩はないな」


 四年もの間、中国戦線で戦っただけに佐久田の言葉は重かった。

 戦っても傷つき増えていく陸戦隊員と航空隊の搭乗員。

 敵味方の分からない民衆。紛れ込む便衣隊。

 勝ったのか負けたのか分からない状況で戦った佐久田には、戦場の現実を、それまで決して知ることのなかった真実を見て目覚めた気分だった。


「綺麗事で勝てはしないし、上手くも行かない。上手くいったとしてもいつか破綻する。それが現実だ。今回の出撃も非常に厳しい。だが、ただで負けるつもりはない」


 いつになく佐久田は熱を持って言った。


「これまで戦って勝とうが負けようが、戦いは終わらなかった。だが、今回の戦いは違う。必ずや戦争を終わらせる。米国は圧倒的であり負けるだろう。だが、ただでは負けない。必ずや戦争を終わらせ、日本が目覚める切っ掛けになる。それに艦隊を無駄死にさせるつもりも安易に負けるつもりなど決してない。私はタダ君たちに全力で戦って貰いたい。それは勝利だけでなく、君たちと君たちの部下の生存に繋がる。総員の奮闘を期待する」




「あの佐久田参謀がか?」


 何時も陰気で死んだような目をしている佐久田参謀が若手士官相手に演説を行うなど、森下には覚えがなかった。


「いよいよ佐久田も焼きが回ったか、それとも」


「それとも?」


「本気で全力を尽くす気になったか」


「何時も全力だと思いますが」


「どうかな。どこか火が点かないような感じだったからな。しかし」


「なにか?」


「あれが本気になって命じたら、とんでもない激戦になるだろうな」


「確かに。ですが負ける事は無いでしょう」


「それはそうだな」


 森下は能村の意見に賛成して笑った。

 あの普段、慎重で確実に進めていく佐久田が、全力で何もかも投入して遮二無二に進んで行くのだ。

 全力を投入するからには、とんでもないことに、激しい戦いになる。

 だが、これまで日本海軍を勝利に導いてきた実績から、負けるとはとても思えなかった。


「引き続き、艦内を頼む。私は長官の下へ行く」

「了解」

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