出撃命令
八月三日
柱島泊地は連合艦隊の集結地である。
呉鎮守府に近く海軍工廠もあり、艦艇の整備がしやすいこと。
広く深い海面が広がり、比較的波が穏やかな瀬戸内海にあるため停泊しやすいため、明治の海軍創設以来、主力艦隊の集結地に指定されていた。
帝都に近い横須賀も十分に役目を果たせそうだが、東京湾の交通量の多さから大規模艦隊を集結させるには不適当と考え、比較的船舶が少なく広い柱島が選ばれた。
それでも無理をすれば館山湾などに艦隊を集結させられたという話もあったようだが海軍部内で、大都会に近いと潮気が抜ける事を恐れて取りやめたという話も流れている。
築地から江田島へ兵学校が移転した経緯もあり、一部ではそう信じられていた。
だとしても、柱島が泊地として適地であることに変わりない。
むしろ沖縄への出撃に良好な場所として、瀬戸内海にあるため空襲を受けにくい――事実先日の大空襲では迎撃と早期警報により艦隊の被害は最小限で済んだ。
その主力艦隊の旗艦大和に佐久田は草鹿参謀長と神参謀と共に乗り込んだ。
本来なら武蔵も停泊しているはずだが、先日の空襲で再び損傷し、ドックに逆戻りだ。
被害は比較的軽く、現在横須賀で修理、点検中だが今回の作戦には間に合わないだろう。
ホッとしたような残念なような複雑な気分だ。
いや、この場にいないことに何かしら不安を佐久田は感じる。
無理にでも引っ張ってこなければと思ってしまう。
たとえ、次の作戦で確実に沈むとしても、その方が武蔵には幸せではないか、と思ってしまう。
そのような事など佐久田は一度も考えたことはなかったが、何故かこの時佐久田はそう思ってしまった。
しかし、狭い海峡をすり抜け柱島泊地へ入るとそのような不安や疑念は吹き飛んだ。
「綺麗だな」
内火艇のデッキに立ち、目の前に現れた大和を見ていた。
無骨でありながら目が釘付けになる優美なシルエットを持っている。
先日の被雷、南方からの帰還中に潜水艦が放った魚雷による損傷が心配されたが、すぐさま呉海軍工廠のドックに入り修理を実施。
すぐに修理は完了し出渠。
泊地で猛訓練を実施していた。
甲板では多くの水兵が各所で訓練のために駆け回っている。沖縄に米軍が上陸し各艦が揃い始めている緊迫した状況のため彼らの訓練にも熱が入っていた。
その中を佐久田は進み、長官公室へ入った。
公室には既に第一機動艦隊司令部幕僚と所属部隊の指揮官が集まっており、草鹿と佐久田の発言に注目していた。
草鹿参謀長は伊藤と机を挟んで正対する位置に座り鞄から命令文を取り出して、命令書を読み上げた。
「これより連合艦隊司令部からの命令を読み上げます。
発 連合艦隊司令部 宛 第一機動艦隊司令部
現時刻を以て菊水作戦を発動す。
第一機動艦隊は八月五日徳山基地を出撃。
八月六日未明沖縄本島嘉手納沖の敵船団へ突入。これを撃滅。
その後は小碌沖、慶良間諸島へ行き残存敵戦力を撃滅せよ。
以上です」
「不可能だ」
命令を聞いた有賀参謀長が毒づくように言う。
「もし大和型が複数隻あるのなから何隻かはたどり着けるだろう。しかし一隻では強大な米空母部隊の前に途中で撃沈されるのがオチだ」
大和の前艦長であり、大和のしぶとさは知っている。
森下の操艦の腕が優れているのも知っている。
だが米軍の強大さは、それ以上に知っている。
「我々に死ねとおっしゃるのか」
「日吉は穴蔵に入って勝手な事を言う」
「どうして長官自ら陣頭に立たないんだ」
「何時も我々に命令を下すだけで何もしていない」
各部隊の指揮官、艦長が口々に不満を述べる。
「死ぬのが怖いですと! 臆病風に吹かれましたか」
その様子を見て随行していた参謀の神重徳大佐が叱責するように言う。
だが、その一言が伊藤の逆鱗に触れた。
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