伊五五八潜 橋本以行少佐
七月二五日 マリアナ諸島東方洋上
「確かなのか?」
「間違いありません。接近中の敵艦です」
聴音手の報告に伊五五八潜艦長橋本以行少佐は興奮した。
戦前から潜水艦に乗り組み、実戦にも何度も出ている生粋のドン亀乗り――潜水艦乗員だ。
戦前何かと便利屋使いされていたが様々な改革、戊型潜の開発に成功し、Uボートの如く太平洋とインド洋各地に派遣し多大な戦果を挙げることに成功した。
橋本も開戦後、戊型潜の一隻の艦長としてインド洋へ進出し十数隻を沈めたエースだ。
太平洋に移っても交通線――日本海軍特有の用語で前線へ物資を送るルート、である米本土やハワイ近くの航路へ進出して襲撃し戦果を挙げている。
広い太平洋を縦横無尽に駆け回り警戒の弱い部分を襲撃することこそ潜水艦の本分だ。
撃沈すれば敵の警戒は厳重になるがそれで良い。
敵は前線に配備するべき兵力を後方へ回す事になり、味方が有利になる。
自分たちは、違う狩り場へ赴けば良い。
そのために日本海軍の潜水艦は長大な航続距離を持っている。
戦前なら哨戒線配備などと言う特定の位置に上層部の馬鹿共が貼り付けていたが、戦争が始まってからは、度々商船を撃沈する成果を上げ、国民に知らせてからは鼻高々だ。
特に無理をして映画会社の撮影会社のクルーを乗せて敵船を撃沈するシーンのある映画が流されてからは、国民の潜水艦を見る目が変わり、積極的に持ち上げるようになってくれている。
おかげで、多少の海域指定はあるものの自由に狩り場を選べるようになっていた。
今回、新型潜水艦に移って初めて受けた命令はマリアナ諸島の東側へ進出し、マリアナへ向かう船団を攻撃する事だ。
B29への補給物資を運ぶ敵輸送船団を撃滅するのが任務であり、非常に重要だ。
ただ、米軍も警戒しており、特にマリアナ周辺は哨戒機を飛ばして日本軍の潜水艦が行動出来ないように哨戒している。
実際、攻撃に向かった潜水艦の何隻か、橋本の同期が指揮する艦も沈められていた。
第六艦隊の一部では、哨戒する海域をウォッゼやハワイ、更には米本土沿岸での襲撃を主張する一派もいた。
だが、日本本土に近い、往復が容易という考え方により、マリアナ周辺での襲撃が今は重視されていた。
しかも、連合艦隊司令部より米本土方面、ハワイ以東への襲撃は遠すぎるという事で禁止されていた。
絶好の狩り場を無くす方針に一部では反発の声も上がり撤回を要求したが、連合艦隊司令部より拒絶された上に、改めてハワイ以西での襲撃を厳重に禁止を言い渡された。
あまりに強い連合艦隊司令部の方針に不満は更に上がったが、一部からはあまりに強い拒絶にいぶかしがる者もいた。
しかし、橋本は上層部の方針を気にしていなかった。
この最新鋭艦の性能ならば、警戒厳重な海域でも戦果を挙げて帰還することが出来ると橋本は考えていたからだ。
「単独行動中の軍艦か?」
「はい、四軸をフル回転させ三十ノットの高速で移動していますから軍艦で間違いありません」
商船は燃費、輸送コストを考えて十ノット程度の低速で航行する。
三十ノット以上の高速を出せるのは軍艦だけだ。
「艦長どうしますか?」
「……攻撃する」
副長の問いに素早く橋本は決断した。
広大な海で敵艦を攻撃出来るチャンスはそうそうない。
見敵必殺は出会える機会が滅多にないので見つけたら襲撃しろという意味でもある。
それに相手は軍艦だ。
橋本はこれまで魚雷で船舶を撃沈したことも多いが、商船が殆どだ。
通商破壊が潜水艦の最大の役割である事は勿論、橋本も承知している。
しかし、出来れば敵艦を、軍艦を撃沈したいと誰もが思っている。
この好機を逃したくない。
「反撃されませんか?」
「大丈夫だろう。多分、巡洋艦だ」
大型艦には駆逐艦の護衛が付くのが普通だが、高速で潜水艦を振り切る事が出来ると考え、単独航行しているのだろう。
駆逐艦の単独航行の可能性もあるが、大型で四軸の駆逐艦はまずいない。
巡洋艦であるのは間違いない。
重巡は爆雷を持っていないので反撃される心配はない。
軽巡は爆雷を持っているが、この最新鋭艦ならば反撃を受ける前に離脱出来ると橋本は考えていた。
「攻撃する。聴音、敵の動きを確認しろ。先回りしたい」
「はい」
聴音が耳を澄ませ敵艦の位置と、航路を割り出す。
「おおよその位置が掴めました」
「攻撃位置へ急行する。シュノーケルで移動だ」
「はい艦長」
橋本率いる伊五五八潜はディーゼルを稼働させながら敵艦へ接近する。
そして十分に近づいたと思ったら、再び潜航して敵の音を聞く。
水深が深い方が遠くの音を聞きやすいのだ。
深く潜航すると、聴音手が敵艦の音を探知した。
「敵艦の音を探知しました。十時の方向、距離一万」
「全速で攻撃位置へ向かうぞ」
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