ソ連の対日参戦への思惑

 原爆研究は英国で先行していた。だが、完成までの予想される労力と予算は戦争中の英国では捻出出来ず、またドイツに先を越される危惧があった。

 そのため、アメリカの参戦と共にアメリカへ計画研究は移動され米英共同研究となりチャーチルもマンハッタン計画の詳細を知らされていた。

 そしてトルーマンのスターリンへの切り札が一つ失われた事に失望している事も老練な政治家らしく素早く察知しての話しかけだった。


「ええ、日本に対する切り札を手に入れました。お陰でソ連軍を使う必要は無くなりました。ですがスターリンは対日参戦を決意しています。どうすべきか悩んでおります」


「新兵器は効果的に使用するべきです」


 チャーチルは自信満々に答えた。


「ロシア人によく見えるように目標を定めるべきでしょう」


「ソ連軍を対日戦に参戦させるべきですかな」


 トルーマンはチャーチルに尋ねた。

 原爆が実用化された今、ソ連軍を参戦させる必要など無い。

 しかし、ソ連は対日参戦すると約束しており、断っても参戦しかねない。

 強く断ると何らかの代償をスターリンに支払う必要があると考え、トルーマンは悩んでいた。

 チャーチルは暫く考えた後、答えた。


「参戦させるべきでしょう。弱体化していても関東軍と満州国軍という日本の軍隊はソ連軍を疲弊させる位は役に立つでしょう」


 ヨーロッパ戦線の振る舞いから、いや戦前からチャーチルはソ連を、共産主義を危険視していた。

 ナチスドイツと戦うために一時的に手を組んだだけであり、ナチスドイツが滅んだ今、ソ連は敵に戻っただけだ。

 だが、ドイツ戦に勝利して強大になったソ連に英国が対応出来る様な戦力も国力もない。

 従来、同盟を組むべきヨーロッパ諸国も今回と先の大戦で疲弊しており、ソ連と戦える状態ではない。

 ならば、ドイツ国内にいるソ連軍には遠くへ、極東へ行って貰おう。

 出来れば日本軍によって、天国へ送り届けて貰えればヨーロッパに戻ってこないので非常に良い。


「いずれ日本本土へ上陸する際に本土の日本軍は少ない方が良いでしょう。ソ連が参戦すると知れば日本本土の部隊もいくらかは大陸へ向かうでしょう」

「では日本海側で計画している飢餓作戦は中止しますか」


 天皇の浴槽――日本本土と朝鮮半島を結ぶ重要な航路である日本海へ潜水艦による侵入、通商破壊作戦を海軍側から提案されていた。

 日本の最後の重要航路――南方資源地帯と上海経由の大陸との航路は沖縄戦により塞ぐことに成功していた――を寸断し日本を本土に閉じ込め飢え死にさせる計画だった。

 だが、この作戦が成功した場合、日本本土に残った部隊が、大陸へ移動することも出来なくなり、来る本土上陸作戦で迎え撃つ日本軍の数が多くなる。

 出来れば数を減らしておきたい。

 ソ連軍に対応させるため、日本軍が大陸へ動けるように作戦を中止させる事にすべきかと尋ねた。


「それが宜しいかと」


 チャーチルはトルーマンの考えに同意した。

 本心では強大なソ連軍が少しでも減れば、ヨーロッパからソ連軍がアジアへ向けられれば良いとチャーチルは考えていた。

 何年も中国を倒せない日本軍に期待はしていないが、アジアでソ連軍が少しでも減ってくれれば儲けものだとチャーチルは考えている。

 本来の英国の敵はソ連であり、ヒトラーを倒すために一時共闘しただけ。

 永遠に同盟する気など無い。

 いずれソ連とは対峙する。いや、既に始まっている。

 しかし、今回の大戦と先の大戦で英国いやヨーロッパは疲弊した。

 とてもソ連の強大な軍隊と戦えない。

 そのソ連軍を僅かでも遠くへ、少しでも損害を与え減らそうと、ソ連の対日参戦をトルーマンにそそのかした。

 他のヨーロッパ諸国もソ連軍がヨーロッパから減るソ連対日参戦を喜ぶはずだ。

 結果、ソ連が極東で大きな顔をして、英国が持つ中国の利権を幾分か渡すことになるだろう。

 だが、本国の脅威を減らすためには捨てても良いカードだ。

 トルーマンは日本本土上陸の事を考えているようだが、不要であると指摘する必要は無いだろう、とチャーチルは思い黙っていた。


「ならば、早く沖縄を陥落させ、戦争を終わらせたいものだ」


 トルーマンの呟きを聞いて、ミズーリの田舎者とチャーチルは心の中で毒づいた。

 このような小心者が超大国の国家元首だとはチャーチルには信じられなかった。

 ただ一つの小島が重要だと思っているようだ。戦後の舵取りを考えなければならない時期なのに些細なことに心を煩わされるとは嘆かわしい。

 せめて捕虜になっても脱走するくらいの胆力はあって欲しい、とチャーチルは思った。


「日本の連中に原爆を落とし威力を見せつければ、無条件降伏を飲むだろう」


 トルーマンの呟きを聞いてチャーチルは呆れた。

 まるで子供が新しい玩具を見せつけて、自慢するような口調だ。

 それも日本だけでなく、ソ連に対してもだ。

 だが、致し方ないとも思った。

 スターリンも、いやスラブ系――スターリンはグルジアの出身だ、は力を見せつけなければ話し合いに応じない。

 一つ威力を日本とソ連に見せつける必要があるとチャーチルは思い、原爆投下を止める様な事はしなかった。

 同時に英国への非難が、民間人を巻き込むような破壊と殺戮の関与を疑われないよう距離を取ることにした。

 原爆投下の最終同意はしているが、その怨嗟が英国へ向かうことは最小限に食い止めるのが己の役目だとチャーチルは考えていた。

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