第三二軍の反撃
それは第五砲兵司令部指揮下の砲兵部隊による砲撃だった。
野戦重砲第一連隊をはじめとする、日本陸軍では優良装備を持つ部隊を指揮下に持つ第五砲兵司令部の火力は非常に良く整えられていた。
彼らは上陸初日の夜、迅速に上陸地点へ移動し、予め構築されていた砲兵陣地に入り、二日目の昼の攻撃、砲爆撃をしのいだ。
そして、二日目の夜、七月三日の真夜中過ぎ、砲兵陣地から出てきて上陸した米軍に対して砲撃を開始した。
各師団の砲兵部隊と戦車連隊の五式砲戦車さえ一時的に指揮下に入れて行われた砲撃は激しいの一言に尽きた。
徹底的に統制された砲撃で米軍は最初の五分間で全ての砲から放たれた砲弾により、上陸、占領した地域を全て攻撃された。
想定外の猛砲撃に米軍は奇襲され、特に万歳突撃を警戒していた前線は日本軍の歩兵の重火器、迫撃砲や擲弾砲によって大損害を受けた。
直ちに反撃しようとしたが、日本軍の砲撃は巧みで一通り撃つと陣地を移動するため、撃破出来る数は少なかった。
特に五式砲戦車は厄介だった。
長射程の上、自力で迅速に移動出来るため、捕捉出来ず、砲撃地点を捕捉して反撃してもイタズラに砲弾を消耗するだけだった。
「日本軍の砲撃が激しくまるで昼間のようだった」
「太陽が地上に現れたみたいだ」
「何もかも吹き飛び、常に土埃か人が空を舞っていた」
と生き残った将兵が報告する程、激しい物だった。
砲撃戦は数時間にわたり続けられたが、米軍の方が不利だった。
一年近くにわたり陣地構築を行い、地下陣地化した日本軍に対して、米軍は上陸したばかりで遮蔽物の殆ど無い平野に進んでいた。
兵員は塹壕を掘るなどの防御が出来たが大量に集積された物資を守る事は出来なかった。
第六海兵師団と第九六師団は弾薬集積所に直撃弾を受け、上陸させた弾薬の大半を喪失。
隣接する、部隊から弾薬供給を受けるまで弾薬不足になった。
足りないのは弾薬だけではなかった。
第六海兵師団はグアム戦後、ガダルカナルで編成されたばかりで実戦は沖縄戦が初めてだった。
第九六師団は、第七師団と共にレイテの戦いで主力が降伏したため留守部隊を中心に再編制されたばかりで実戦経験が少なかった。
彼らの実戦参加を危ぶむ声もあったが他の部隊はローテーションの関係で再編成及び休養中。
一例を挙げるなら硫黄島で戦った三個海兵師団は、補充を受けて回復していたが、再訓練中で投入出来ない。
他の部隊も、大なり小なり損害を受けており投入出来なかった。
結局手元の兵力でどうにかするしかないのは米軍も同じだった。
それでも、夜明けまで陣地は保持出来ると考えられていた。
日本軍が攻撃を仕掛けてくるはずがないと思っていたし、バンザイアタックがあっても撃砕出来ると米軍は考えていた。
だが、それは見事に裏切られる。
午前二時過ぎ、第二四師団を中心に、第三二軍の四個師団全てが夜襲を開始した。
八原参謀が計画した作戦通り、上陸初日の夜に夜間移動を行い、日中は硬い石灰岩の地層に穿たれた洞窟陣地で米軍の砲爆撃から身を守り兵力を温存。
第五砲兵司令部の猛砲撃で混乱した米軍に対して、夜襲を敢行した。
「突撃!」
日本軍の夜襲対策をしていた米軍だったが、猛砲撃で前線が滅茶苦茶になったこともあり、日本軍の夜襲を許してしまった。
特に派遣された第八四師団の攻撃は激しく、海岸付近まで突進した。
「突撃だ!」
特に激しく攻撃を行ったのは教導隊だった。
彼らはフィリピンもしくは硫黄島の戦いで生き残った将兵を中心に編成された部隊で、各地の守備隊に指導を行うために派遣されていた。
特に沖縄は米軍の侵攻が予想されるため、重点的に配備された。
だが、米軍の侵攻が早まった事もあり、彼らの多くは本土に帰還することが出来ず、守備隊と共に戦う事になった。
修羅場をくぐった上、自ら志願したこともあり、彼ら教導隊の攻撃は激しかった。
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