牛島満中将

 華やかな音楽と、賑やかな声が流れる。

 琉球舞踊を見て沖縄県民の人々は喜んでいた。


「いやあ、よかった」


 その様子を嬉しそうに見ているのは、島田叡県知事だ。

 前任者が――当時の県知事は官選制で東京から内務官僚が派遣されていた―――東京に出張して沖縄に帰らず県知事不在となった。

 米軍侵攻が確実とされる中、赴任しようと考える官僚などいない。

 急遽、派遣されたのが島田だった。


「やって良い物だな」


 一緒に見ていた第三二軍司令官の牛島中将が同意する。

 こちらも前任者が胃下垂とマリアナ陥落にともなう部隊再編、防御計画策定による激務による体調悪化で指揮不能となり更迭され、急遽任命された司令官だった。

 知事が不在となったとき、島田を推薦したのは上海領事館でともに仕事をした事があり、その能力と人柄を見込んでいた牛島が惚れ込んだからだ。

 実際、島田のお陰で助かっている。

 最前線となり、フィリピン戦の際には艦載機部隊の空襲を受け配備された陸軍部隊は苛立っていた。

 特に琉球方言は訛りが酷く聞きにくく、反逆の密談をしているのではないかと疑い、方言を禁止した。

 また、物資が少なくなったこともあり、節約のため琉球舞踊を禁止する処置が行われた。

 これに島田は待ったをかけた。


「住民の協力を得るためにも、いたずらに禁止するのはよくありません」


 牛島に進言し、撤回させる事に成功した。

 沖縄県民の信頼を勝ち取った島田は、島民と協力して上陸作戦に備えて準備を進めた。

 防御陣地の建設に協力して貰ったり、疎開を推進したりする。


「あははは、楽しいな」


 国民服姿の荒井退造警察部長が泡盛を飲みながら喜んでいる。

 警察の仕事を愛していたが、制服が嫌いで何時も国民服姿だった。

 県知事不在の時は代理として軍との交渉を一人でやった。

 島田が来てからはコンビを組み、戦争に備えた。

 住民を餓えさせるのは行政官最大の恥とし、島の各所に芋を植え、非常時には勝手に取って食べ、残った茎を植えるように指導し、食料が不足しないようにした。


「こうして楽しめるのは良いものですな」


 招待された海軍の指揮官である太田実少将が言う。

 小柄でコロコロした体格の上、子供のような顔立ちのため、子供に見えてしまうが、肉体は鍛えられており陸戦の専門家であり、陣地の増強に努めている。

 当初こそ、県側の対応能力が低いことを批判していたが、島田がすぐに改善し、滞りなく薦めるのを見て、それまでの言動を謝罪。

 今は島田を信頼し協力している。


「いやあ、たのしい」


 牛島も上機嫌だった。


「一つ私も踊りましょうか」

「「「それはお止めください」」」


 供をしていた幕僚、長勇参謀長、八原博通高級参謀、神直道航空参謀が一斉に牛島を止めた。

 牛島は裸踊りが好きで自ら演じる。

 神参謀など今年の正月に着任したとき、報告のために訪れたら宴会の最中で牛島が裸踊りをしいた。

 怒ろうとしても長も八原も同席していた上、何ら動じていないため、自分がおかしいのかと神は錯覚してしまったほどだ。

 実際は、二人とも牛島の裸踊りに慣れていたため動じていなかっただけだが。

 だが流石に、県民の前で披露するのは躊躇われる。


「そうか、残念だのう」


 顔を俯けながら牛島は大人しく座った。

 牛島は司令官らしくなく、部下に任せっぱなしで、何時もこのような感じだ。

 地元の女子師範学校校長もあまりにも司令官らしくないので


「もっと威厳を出して指示を出すべきだ」


 と面と向かって言われる程だった。だが


「しかし、儂より参謀長や高級参謀の方が戦が上手いからのう」


 と返事をしてくるため怒った校長の方が毒気を抜かれる始末だ。

 確かに長も八原も優秀だ。

 参謀長の長勇は参謀経験豊富ながら猪突猛進型で将来を嘱望されている。

 八原博通も士官学校時代からの優等生で陸大は最年少で入学し、優等で卒業。開戦時は、タイの大使館で情報収集を行いビルマ攻略軍の参謀として従軍している。

 だが牛島の器量も戦歴も素晴らしい。

 鹿児島出身で、西郷隆盛を思わせるような巨体と大らかな性格もあり、部下に仕事を任せ自分は責任だけをとるため部下に慕われていた。

 二・二六事件のあと反乱を起こした歩兵第一連隊の連隊長に任命されたのも、反乱部隊の汚名を受けた上、かねてから決定していた満州移駐を懲罰と受け取り士気が下がっていた同部隊を元に戻すことを期待されての事だった。

 牛島は期待に応え、兵士達を頻繁に慰問し、士気を回復させた。

 シナ事変では第六師団第三十六旅団長として従軍し華北ののち南京攻略戦に参加。

 二万の捕虜と大量の武器弾薬を得る大戦果を挙げる。

 予科士官学校を経て第十一師団師団長に任命されるが、対米戦に反対したため、満州国の公主嶺学校学校長に左遷される。

 その後は日本の士官学校校長に任命されるが、緒戦の快勝で楽観的になる中、牛島は圧倒的物量を誇る米軍との戦い方を研究するよう部下の教官達に指導。その後の米軍の反攻を見て、部下達は牛島に心酔した。

 そして軍司令官として沖縄に赴任する。一説には士官学校で起きた失火事件の責任を東條に取らされた懲罰人事だったとされる。

 だが、牛島という希代の名将が沖縄に配置されたのは天佑でもあった。

 沖縄県民も牛島の人格に敬意と親しみを持っていた。


「しかし、本当に米軍は沖縄に来るのでしょうか」

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