1945年6月のアメリカの外交事情

 元部下で今は陸軍の元で情報工作員として働いているアレン・ダレスを使って接触させたのも日本側に配慮してのことだ。

 もし、接触が公になったら米国では大統領の言うように枢軸に歩み寄ったと非難される。

 日本側も担当者、早期講和派は、日本の徹底抗戦派に無条件降伏の交渉、天皇陛下を売り渡そうとしていると思われてしまう。

 そうなれば日本国内の強硬派、特に陸軍の国体護持を主張する勢力がクーデターを起こしかねない。

 右翼勢力が総理暗殺を企てることも十分考えられる。

 今の首相である鈴木貫太郎とはグルーの駐日大使時代からの友人であり、彼がアメリカと講和しようと動いているのは、戦前の言動から見ても会わなくても理解している。

 だが、直接交渉をしないのは鈴木総理の身の危険を考えての事だ。グルーが話しかけただけで、暗殺されかねないからだ。

 現に天罰発言で鈴木首相は日本の国会から追及されている。

 そして、今の日本では天皇の敵と見なされれば、首相でさえ殺されかねない。

 二・二六事件の時、鈴木が殺されかけたのが良い例だ。

 その前夜、鈴木貫太郎はグルーの招待をうけて大使館を訪れ夕食を共にしたあと、一緒に映画を見た。

 映画鑑賞会は深夜に終わり、グルーは泊まっていくよう勧めたが鈴木は辞退して、帰って行き、反乱軍に撃たれた。

 あのとき強く引き留めればとグルーは何度も後悔した。

 だから鈴木を生かすために慎重に行動しつつ、交渉の席に着ける状況にようグルーがアメリカで整えなければならない。

 その第一歩が連合国による天皇制存続の保証だ。

 そのためにもグルーは大統領を説得しようとしていた。


「日本において天皇に対する日本国民の敬意は絶対的です。天皇制を保障しなければ文字通り全滅するまで、硫黄島やマリアナのように老若男女問わず、我がアメリカと戦うでしょう」

「君の言うところの女王蜂だからかね」

「そうです」


 トルーマンの皮肉にグルーは堂々と答えた。

 グルーは国務次官に就任するとき、議会での公聴会で議員から厳しい質問が多く来た。

 その中でグルーは日本の天皇について女王蜂に例えて答えた。


「もし、群れから女王蜂を取り除けば、巣全体が崩壊するであろう」


 一般に女王蜂演説と呼ばれるグルーの演説である。

 天皇がいなくなれば 日本は瓦解し、混乱状態となり、権力の空白が生まれる。

 的確な表現であり、十年にも及ぶ在日経験からグルーが導いた結論だった。


「天皇は戦後日本の唯一の安定要因となるでしょう」


 日本を日本たらしめた強力な軍隊も、アジア一の産業組織も、日本政府さえ、この戦争で瓦解しつつある。

 急速に崩壊しつつある日本をとどめているのは象徴たる天皇がいるからだ。

 戦後、何もかも差し出した日本に残るのは、日本を何とか形を留めさせられるのは、天皇以外にいない。

 日本がバラバラになれば、その占領統治は恐ろしい負担をアメリカに強いることになるだろう。

 各所で正体不明の勢力が群雄割拠し、江戸時代以前のように、いや戦国時代の様に各地方で分裂して仕舞う。

 世界地図で見れば小さい島国だが、狭い国土に険しい山々が四方に伸び、各所を隔てている日本では地域を簡単に分断してしまい、地方独立勢力の発生を許すだろう

 各勢力と交渉するなどアメリカの能力を以てしても困難だ。

 だからこそ、グルーは日本を一つに纏めておくため、天皇制の維持を、今日する事を保証する旨の宣言を出すよう訴えていた。


「少々、言いすぎではないかね」


 だがトルーマンは、グルーの発言は少し言い過ぎだと思っていた。

 日本に駐在した期間が長すぎたのか、日本に肩入れしすぎている、とトルーマンは感じている。

 自分を大きく見せるために過大な評価をしているように見え、意見を聞く気にはなれない。

 それにもう一つグルーは問題を発生させておりトルーマンを苛立たせていた。

 溜息を吐きつつトルーマンはグルーに尋ねる。


「君はレンドリースの担当だったね」

「はい」

「勝手にレンドリースを止めたためにソ連から抗議が来ている」


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