第二艦隊司令部 伊藤の憂鬱

「参謀長、第三戦隊より返電です……」

「どうした? 読め」

「はい」


 有賀少将に促され躊躇った水兵は返電を伝える。


「ご機嫌如何、懐かしいな、伊集院松治である、本文ママ、以上です、ひっ」


 報告した水兵は有賀が歯を食いしばる顔を見て怯えた。


「す、済みません。電文の内容をそのまま言っただけで」

「いや、それは分かっている。だが、何故か歯を食いしばるんだ。開戦の時もそうだった」


 開戦当日、有賀は第四駆逐隊司令として重巡洋艦愛宕に随伴していた。

 そして当時の艦長は伊集院松治だった。

 当日、伊集院が有賀に送った電文も今日送られたのと同じだった。

 その時も有賀は歯を食いしばっていた。


「兵学校以来、伊集院先輩の名を聞くと、この調子だ」


 有賀は海兵第四五期。

 伊集院の二期下で、伊集院の鉄拳制裁を受けた一人である。


「そう、口に力を入れるな。戦いはまだ長いですよ参謀長」

「そういう艦長こそ、顔が強ばっているぞ」


 大和艦長である森下も、歯を食いしばっていた。

 森下は有賀の同期であり、伊集院に鉄拳制裁を受けていた。

 流石の、伊藤中将も黙るしか無かった。

 だから少しでも忘れるように仕事を与える事にする。


「本日は、空母の護衛だが、明日の朝から上陸前の艦砲射撃を行う。十分に用意をしておくように」

「はっ」


 有賀、森下両名とも、敬礼して答えた。

 作戦計画では、この日一日、マリアナ諸島へ航空攻撃を仕掛ける予定だ。

 大和以下第二艦隊は第三艦隊の護衛に就き、接近する敵の排除を行う。

 だが、日没後は分離。

 第二艦隊はサイパン島へ進撃し艦砲射撃を行い、上陸前の援護射撃を行う。

 これが最大の任務だ。

 以降は、上陸部隊の要請に応じて艦砲射撃で支援を行う。

 敵艦隊の接近が報告されれば、離脱し、迎撃に当たり、上陸部隊を援護する。

 作戦計画では問題ない。

 しかし、無謀ではないかと伊藤は思った。


「航空機の損耗を抑えられるのか」


 航空戦の指揮をとった事がないが、第二艦隊司令長官の前は、開戦直前より軍令部次長――実務の責任者としてこれまで主要な戦いを指揮し、結果を分析してきた。

 航空機の消耗が激しいことは、補充と編成に苦労した経験から理解している。

 一回の作戦で五割近い損失が出るのだ。

 新型機の投入と防弾性能の向上により、抑えられつつある。

 だが、ウォッゼへ航空作戦を展開した後、すぐにマリアナへ向かうのは、損害を補充できず危険だ。

 敵に対応する暇を与えないことが重要だが、拙速すぎる。

 一応、本土に近いため、硫黄島から補充の艦載機が飛んできているが、連携や調整などで問題が出ないだろうか、伊藤は心配だった。


「スプールアンスはどこから来るかな」


 少佐時代、昭和二年にアメリカへ派遣されたとき、深く親交を結んだのが今、第五艦隊司令長官を勤めるスプールアンスだった。

 当時海軍大学校を卒業し海軍作戦部情報課勤務していた彼と情報交換していたがやがて深く付き合うことになった。

 だからこそスプールアンスの凄さが強さが伊藤には良く分かる。


「通常ならマリアナへ迎撃に出てくるか」


 海軍の図上演習でも、アメリカ艦隊は、マリアナの機動部隊へ攻撃を仕掛けてくるとしていた。

 そして、日本側は当然、硫黄島の航空隊と協力して米艦隊を迎撃する作戦をとった。

 結果は、米艦隊の敗北。

 そしてマリアナを占領した。

 日本側も相応の被害は受けたが作戦目標を達成できるとされた。


「そんな事をするだろうか」


 伊藤は演習の結果を疑問視していた。

 ミッドウェー海戦前に行われた演習で起きた宇垣判定のような、命中弾の修正があった訳ではない。

 ただ、同じ結果をスプールアンスの司令部も出しているはずだ。

 これまでの戦果、同じ戦いの結果――戦場での判定だけでなく中立国を通じて諜報活動による戦果確認を元にして数値を出しているのだから細かい部分は異なっていても、大きな部分で結果は同じだ。

 大きな損害を受ける、作戦が失敗するのに、あえて正面から米軍機動部隊、スプールアンスの第五艦隊はやってくるだろうか。


「そもそも、迎撃にやってくるか」


 迎撃にやってくる米軍は補給線が伸びきっており、日本の機動部隊が米軍の後方へ回り込む可能性さえある。

 図上演習や作戦案でも、進出してきた敵機動部隊の背後に回り込む作戦案もあり成果を上げている。

 だが、これまで第一機動艦隊参謀の佐久田が散々やって来た手だ。

 アメリカが同じ間違いを繰り返すとは言えない。


「佐久田参謀がいれば……」


 上海事変以来、中国戦線に投入され、性格がひん曲がった佐久田なら、何かしら作戦の欠陥を見つけ出し解決案を出し修正を迫るだろう。

 だが、横須賀鎮守府へ異動したため、作戦案を見たわけではない。

 佐久田が作った作戦案をたたき台にしているとはいえ、問題がないか不安だった。

 作戦前に佐久田は微調整を繰り返し、現実に合った、最新情報を反映した作戦案に手直ししている。

 今回は他の参謀が、連合艦隊司令部が行っているが、上手くやっているか心配だ。

 しかし、作戦は既に発動しており、最早修正できない。

 伊藤は、作戦が破綻しないことを、自分の手でどうにか出来る範囲で終わる事を祈るしかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る