第三戦隊司令官 伊集院松治少将

「ぎゃあっ」


 機動部隊に随伴する第三戦隊旗艦金剛の艦橋に悲鳴が上がった。

 足下からの悲鳴に踏んでしまった水兵は、血の気が引く。

 踏んだ人間が誰だか分かっているからだ。


「申し訳ありません! 司令官!」


 起き上がろうとする第三戦隊司令官伊集院松治少将の顔を踏みつけた水兵はすぐに、足を離し、頭を下げて謝罪する。


「ああ、いい、寝ていた俺が悪いからな」


 そう言って伊集院は謝罪を受け入れる。


「話はこれで終わりだ。任務に戻れ」

「は、はい」


 そこまで提督に言われては、水兵もそれ以上は言わなかった。

 艦橋のグレーチング――鉄などの金属で作られた格子状の蓋で出来た床で寝るのが好きなのだ。

 海が、海軍が、軍艦が好きなので、艦橋から離れようとしない。

 好きすぎて書類が来ると伊集院は床に座り込み読み始める。

 夜になっても艦橋から離れず、床に座ったままなのでいつの間にか寝入ってしまう。

 灯火管制をしているため暗く、足下が見えないため、部下達も乗員も伊集院に気がつかず踏んでしまう事が多かった。

 だが、伊集院も自分が艦橋の床で寝ているのが悪いと分かっており、この事に関しては怒ることはない。

 朗らかで理解があり、父親のようで子供のような伊集院を乗組員達は皆慕い、同時に恐れを抱いていた。

 伊集院は起き上がると司令官席に着いた。

 夜明けの水平線を見るのが好きなのだ。

 流石に床に寝そべっていては、外を見ることが出来ない。

 周囲が明るくなり、空が青くなっていく。

 視界が急激に広がり穏やかな海面が鮮明に見え始める。


「マリアナ攻撃隊から入電! 攻撃成功! マリアナの航空基地を無力化することに成功しました!」

「よし!」


 作戦成功の報告に艦橋内は沸き立った。


「いよいよ、明日は俺たちの出番だ」


 今日一日は航空攻撃だが、明日は戦艦による上陸前の艦砲射撃が計画されており、金剛以下の第三戦隊も参加予定だ。


「皆、いつも通り元気に一緒にやろうぜ。第三戦隊の砲弾を腹一杯、敵に喰わせてやれ。余っているからといって魚にやるんじゃ無いぞ」

「お任せください。私たちは連合艦隊でも古参ですから。無駄玉など撃ちません」

「英国生まれの淑女に恥をかかせるなよ。海軍軍人は女性に優しくだ」

「もちろんです」


 ビッカースで建造された金剛の事を引っかけて、ひねりのきいた会話を伊集院がすると皆笑った。

 歴戦の指揮官で在りながら何処か子供っぽいところがあった。


「左舷にイルカ!」


 そこに見張りからのイルカ発見報告に艦橋は緊張に包まれる。

 戦争中、日本海軍では洋上で発見した正体不明物は魚雷接近や敵潜水艦の可能性もあり、正体不明であっても報告する。

 だがハッキリしない発見物は、跡から誤認すると気まずくなる。

 そこで訂正しやすく、報告しやすいイルカと言うことになっていた。

 だが見間違いの場合を考えて艦長は命令を下せなかった。

 見張り員は新人であり見間違いの可能性が高い。

 現在金剛は第三戦隊の旗艦として戦隊の先頭を航行している。下手に針路を変更して、戦隊の陣形を乱すことを艦長は恐れた。


「艦長! 指揮貰うぞ!」


 だが、すぐさま伊集院が動き命令を下した。


「取舵一杯!」


 本来なら司令官に艦への指揮権はないのだが緊急時と判断して命じた。

 そしてその判断は正しかった。


「魚雷です! 雷跡が接近してきます!」


 先ほどの見張りが改め報告する。

 やはり魚雷だった。


「舵戻せ! 面舵!」


 しかし、伊集院が予め針路変更命じたために、間一髪のところで金剛は魚雷を回避することに成功した。

 艦橋の全員が伊集院の判断を褒め称えたが同時に恐怖した。

 特に艦長は


「馬鹿野郎! ちゃんと指揮を取らないか!」


 伊集院の怒声を浴びせられ萎縮することになった。

 普段は大らかながらも、仕事に厳しく怒らせると怖い司令官、それが伊集院松治だった。


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