戦争終結工作

「高木少将ですか」


 入室した人物が高木少将と気がついて佐久田は慌てて敬礼した。

 高木惣吉は、幼い頃から貧しく、苦労して勉学に励み海軍兵学校四三期に入校した。

 しかし在学中から健康状態が思わしくなく卒業してからも海上勤務を志願するが病状悪化により辞退することが多くなった。

 海大を首席で卒業するものの陸上勤務が多く、昇進は遅れがちだった。

 だが、その陸上勤務で海軍の外の人間と接触する機会が多くなり、多数の知己を獲得。

 高木は人見知りで大人しい人間で人付き合いも苦手だった。だが一度打ち解けると高木の聡明さに驚き、快く思う有識者には多く、高木の人的なネットワークは広がった。

 それは海軍にとっても吉だった。

 第一次大戦前シーメンス事件――海軍高官が装備購入にからむ入札でドイツ企業に便宜を図る贈収賄事件が起こり国民からの顰蹙を買った。

 日露戦争の結末、賠償金なしの上、多額の戦費負担を重税でおわされていた国民は、薩摩閥の残る海軍への反感もあって猛烈な抗議を行う。

 大正デモクラシーの波もあり、海軍は攻撃され、事件以降、表向きには海軍は政治に関わることが少なくなっていた。

 そのため、海軍の外に特に有力者とツテを持つ海軍士官が、特に海軍中枢で要職にある士官が少なくなった。

 だが、そんな時、高木が作り上げたネットワークが役に立った。

 日中戦争が総力戦となった時、いや総力戦になったからこそ経済、政治、外交の各方面と緊密な連携が必要となる。

 このような状況では高木のネットワークが海軍には必要だった。

 軍政――装備品の調達、他省庁との交渉、調整を行う海軍省勤務が多い高木は、海軍の中枢において活躍。

 調査課長を務めあげ、さらに人脈構築に尽力。

 その成果は発揮され日米開戦後の南方作戦では軍政面において多大な助力をした人物もいた。

 お陰で安全なリンガ泊地で潤沢に物資を受け取ることが出来、佐久田達機動部隊は多少の不便はあるものの、補給を受けることが出来た。

 北山も高木の協力者の一人であり海軍が対米戦において作戦遂行能力を持てたのは高木の力によるところも大きかった。

 戦争中盤からは教育局長に任命されたが、高木が作った海軍の外部諮問協力機関、ブレイントラストは、戦時体制強化とともに規模を拡大し、海軍の継戦能力を高めた。


「お目にかかれて光栄です」


 故にブレイントラストと高木少将の話は佐久田も知っていた。

 作戦遂行上どれだけ助けになったか計り知れない。

 階級以前に人間としての敬意から自然と佐久田が敬礼をしてしまうほどだった。


「敬礼しなくていい、表向きには私は民間人だし、その方が都合が良い」

「何の為にですか」

「戦争を終わらせる為だ。それ以外にない。それとも永遠に戦い続けるか」

「まさか北欧神話に出てくるバルハラではあるまいし、永遠に戦い続けることなど不可能です」


 現在は総力戦であり国の過去の遺産さえ前線に投入して戦っている。

 厄介なことに、二〇世紀以降の戦争は、正規戦イコール総力戦であり、総力戦でないと戦いにすらならない。

 だが、総力戦は国の全てを金も、物資も、人命も、遺産も全て投入することになる。


「総力戦を続ければ、国が滅びます。例え百戦百勝出来ても、残るのは山河のみでしょう」

「つまり君は講和に賛成なのだね」

「勿論です。それ以外に終わらせる方法はありません。戦争終結を考えなければならないでしょう」


 佐久田が機動部隊で最善を尽くしてきたのも、講和のための条件を揃えるためだ。

 勝利が目的ではなく、手段なのだ。

 それを理解していない人間が軍、いや日本には多すぎる。


「少将は講和をお考えなのですか」

「アメリカは確かに侵略者だ。だからといって永遠に戦って跳ね除けることなどできない。どこかで落としどころをつけて終わらせるしかない」


 そもそも、高木は対米戦には反対だった。

 圧倒的な国力の差を、気合いで戦うなど出来ない。

 威勢の良い言葉で、アメリカなど恐るるに足らずと浪花節を決めたところで、戦場で勝てるわけがないのだ。


「戦争終結のために私は今動いている。協力してくれないか」

「勿論喜んで」


 佐久田の返事に高木は喜んだ。

 貧相な顔立ちで女性にもてなかったが、どことなく愛嬌があった。

 それだけ佐久田に協力して貰えるのが嬉しかったのだろう。


「ところで北山さん。私の転属ですが、あなた方の手によるものですか?」


 歴代の機動部隊司令長官は佐久田を強く留任させるように言ってきていた。

 豊田大将でさえその声は無視できず、佐久田の留任は今回も決まりかけていた。

 しかし、直前になって転属が決まり山口が、人事局へ怒鳴り込んだほどだ。

 だが既に決定しており、撤回することは出来なかった。

 あまりにもやり過ぎなことに、豊田さえやらなかったことが土壇場で行われたことに、佐久田は疑念を持っていた。

 もし、北山と高木の差配があったのなら、佐久田を心良く思わない人間を巻き込んで転属させることもあり得る。


「海軍省の中にも、協力者はいますから」


 北山は、穏やかに笑って無言で認めた。


「まあ、機動部隊にいても出来る事はたかがしれていますし」


 他に方法がない、戦場で勝利を収めても戦争終結に繋がらない事もあり、佐久田は受け入れた。

 三人は椅子に座り直し、相談を始めた。

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