栗林の訓示

「諸君いよいよ、この時が来ました」


 上陸報告を受けた元山地区地下二〇メートルに作られた司令部施設で栗林中将は部下を集め訓示した。

 兵員が苦労して掘り上げ、硫黄島の火山灰を混ぜ込んで作り上げたコンクリートの施設は強固で艦砲射撃の被害も受けず、健在だった。

 他の地区の洞窟陣地も健在で十分な兵力を持っている。

 一昨日よりフロッグマン部隊が来たことにより上陸を予想していたが、大部隊の上陸を伝えられ米軍の作戦が始まったと確信した。

 そのとき、海軍側が本格的な上陸と判断し砲火を開こうとしたが、栗林が断固として止めた。

 佐久田という参謀が陸海軍の共同作戦の為、海軍側の部隊を栗林の指揮下に置いてくれたからだ。

 発砲しようとした海軍側の指揮官を更迭したり、陸軍兵の見張りを置くなどして徹底的に発砲を禁じ砲門の位置を秘匿したお陰で、見つからずに済んでいる。

 栗林としては望める限り最良の状態で戦いに臨めることを喜んだ。


「今一度、敢闘の誓いを述べよう」


 栗林の命令で幕僚達は斉唱した。


一 我等は全力を奮って本島を守り抜かん

一 我等は爆薬を抱いて敵戦車にぶつかり之を粉砕せん

一 我等は挺進、敵中に斬込み敵を皆殺しにせん

一 我等は一發必中に射撃によって敵を打倒さん

一 我等は敵十人を殺さざねば死すとも死せず

一 我等は最後の一人となるとも「ゲリラ」に依って敵を悩まさん


 長期持久を決めたときから全軍に持久を徹底するため栗林中将が配布した文章だった。

 この方針の下、硫黄島守備隊は準備を整えてきた。

 特に十人殺さざれば死せずは、士官学校で繰り返し聞いた日露戦での永沼中佐率いる挺身隊の騎兵突撃のとき述べられた言葉だ。鉄橋爆破後、挺身隊の倍以上の数でやってくるコサックの追撃を受け逃れられないと判断した永沼中佐は騎乗突撃を決意。突撃前に全隊員に向かって「十人殺すまで死んではならない!」と命じた故事に基づくものだ。

 入学したのが日露戦争から七年しか経っていない時期だったため、教官の中には従軍した者も多かった。しかも挺身隊参加者の同期もいたため繰り返し彼らの武勇を十代という多感な時期に聞かされた栗林に大きな影響を残した。

 それを今アメリカに対して実践しようとしている。

 勿論、異を唱える幕僚もいた。

 水際撃滅こそ日本陸軍の方針だったからだ。

 しかし、それでは米軍に上陸前に虐殺されてしまう。

 そうした幕僚を栗林は容赦なく更迭し本土に送り返し、自身の方針を徹底させた。

 代わりに自分の意見に同意してくれる幕僚を呼び寄せた。

 特に士官学校同期で歩兵の神様と呼ばれる千田少将を呼び寄せられたことは栗林にとって幸運だった。

 騎兵出身の栗林にとって、歩兵の指揮は難しく、専門家が来てくれたのは良かった。

 彼のお陰で、防御が整った。


「必ずや米軍をこの硫黄島に二ヶ月以上引きつける」


 栗林は強い意志で改めて伝えた。


「攻撃開始命令は間もなく出す。準備を。だがそれまでは決して撃つな」


 解散を命じ、彼らは部署へ戻っていった。

 栗林も司令部の上に作った見張り台へ上り、敵の様子を観察した。


「圧倒的だな」


 水平線に浮かぶ膨大な艦艇群。

 島と船団の間を忙しく動き回る舟艇。

 海岸を埋め尽くすような上陸部隊の装備、物資。

 大国アメリカの底力を見せつけるような光景だった。

 かつてアメリカ駐在武官として赴き、アメリカの国力を嫌というほど知らされていたが、それが戦場に投入され自分に向けられると改めて巨大な力を見せつけられる。


「まるで山車の怒濤図だ」


 栗林が生まれた信州松代の北、小布施で牽かれる山車の天井画に渦巻く大波の絵が描かれている。

 山間の国で育った栗林にとって初めて見る波の絵は、祭りの雰囲気も合って迫力があっり飲み込まれると思い子供心に恐怖を感じた。

 それの何倍も恐ろしい米軍の戦力を前に内心驚いていた。


「閣下、攻撃命令を」


 何とか恐怖に飲み込まれなかったのは周囲の幕僚が見ていたからだ。

 司令官として醜態はさらせない。

 気持ちを落ち着けると上陸部隊の様子を確認して告げた。


「まだです」


 海岸に上陸しているが、内陸部への進撃は行っていない。

 海上にも新たな舟艇が海岸に向かっており、まだ上陸作業の最中だ。

 敵を十分に引きつけ上陸させてから反撃するのが方針だ。


「ですが、撃滅する好機です」


 幕僚は攻撃を進言する。

 縦深配備、長期持久を目指しているとはいえ上陸直後が敵が一番無防備になる瞬間だ。

 敵に大損害を与える機会を幕僚達は逃したくなかった。


「もっと敵を上陸させてからです」


 だが栗林中将は許可しなかった。

 栗林も承知しているが、敵を十分に引き寄せたかった。

 それに敵が上陸すれば先ほどの艦砲射撃を、同士討ちの危険がある味方が上陸している海岸に向かって放てなくするという目論見もあったからだ。その後も、栗林は米軍の上陸を観察し続けた。

 そして十時過ぎ、米軍が内陸部への進撃を始めたとき命じた。


「行きましょう」


 穏やかに前置きすると、激しい口調で、全員に聞こえるよう大声で命じた。


「全軍! 攻撃開始!」

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