マリアナ沖海戦前の現状
「長官、只今戻りました」
司令部艦橋に入った佐久田は長官に報告した。
戦艦から空母へ改装されるとき、機動部隊旗艦として運用されることを想定して信濃型には予め艦隊司令部用の艦橋が用意されていた。
「それで赤煉瓦と木更津は何だと?」
侮蔑が入った口調で機動艦隊司令長官の山口は尋ねた。
赤煉瓦――軍令部はともかく、木更津沖に停泊している軽巡大淀にいる連合艦隊司令部を山口は好いてはいなかった。
旗艦としても能力面から不安だ。陸上の通信所を使えるのは好ましいがならば陸上に司令部を置いた方が良い。
現在神奈川の日吉の慶応大学キャンパスに建設中の地下壕へ移ればより充実した通信能力を得られるし、貴重な戦闘艦艇をわざわざ後方に置く必要も無くなる。
何より、連合艦隊司令部が従兵まで含めて二〇〇人に満たない人員で太平洋全域を指揮出来ない。
しかし陸上に移れば数千人の司令部要員を増強して指揮が出来る。
いや、そもそも連合艦隊自体が中途半端な存在だ。
元々、前線の最高指揮官、位の高い現場監督みたいなものであり、指揮下に全海軍に相当する部隊が配属されている方がおかしい。
確かに海軍の戦力は集中させる事が原則だ。だが、恒常的な制海権確保までやらせる必要は無い。
本来ならば、決戦の局面に派遣されその海域の陸海の部隊を指揮すれば良い。
他の方面は軍令部が指揮監督すれば良いはずだ。
日露戦争で世界史的な大勝利を収め、半ば神に等しい扱いを日本のみならず世界中の海軍士官から受けている提督が勤め上げた役職というだけで絶大な宣伝効果があり、伝統いや神話となったのを良いことに、海軍が好き勝手に要求を通すために権力と戦力を集中させすぎた。
いや、海軍も自らの宣伝を自己洗脳で信じ切ってしまった。
いくら戦力の集中が戦略の原則だとしても、広大な太平洋とインド洋の作戦を一部隊にやらせるなど、やり過ぎだ
しかも商船護衛の戦力まで決戦兵力として奪っていく連合艦隊の評判は悪化していた。
さすがにやり過ぎたため各方面艦隊に常設の防御部隊を編制し、さらに護衛艦隊を編制して、船団護衛を強化している。
だがこの処置はソロモンの戦いが始まり徴用された商船の被害が増え始めた1942年に入ってからだ。
各地に運ぶための商船までソロモンの補給に使用しようと連合艦隊が無理に引っ張り出した反感から行われたことだ。
この状況は開戦前に行っておくべきだ、いやいっそ連合艦隊など廃止しておけば良かったと山口は思った。
だが苦笑した。
この意見は第一空襲部隊司令官時代に佐久田から聞いた意見だった。
その佐久田は山口の苦笑を気にせず報告を続けた。
「敵情判断、作戦に変更無し。予想されるマリアナ諸島へ全力を投入し反撃するとのことです」
「ビアクは?」
数日前よりニューギニアの西部にある島、ビアクに米軍が上陸していた。
ここを取られると蘭印やフィリピン、パラオへの爆撃が可能となり、絶対防衛圏が危ういことから反攻部隊を送るべきだという意見が出ていた。
「軍令部の決断は持久です。救援は出しません。絶対防衛圏の外なので取られても問題は無いと考えます。そもそも救援に向かえばマリアナで米軍を迎え撃てません」
佐久田の意見は最もだった。
マリアナへ来航する米軍を迎え撃つのがあ号作戦、今の帝国の方針だ。ここでビアクへ救援を出せば戦力を二分することになり各個撃破の標的になる。
南西方面艦隊の高須大将はビアクに来航した部隊を主力と判断し海軍が全力で撃滅すべき、と訴えた。
だが、却下された。
南西方面――蘭印の防衛を担当する立場上、ビアク救援を訴えるのは仕方ないが、本土の方が大事だ。
「米軍がマリアナに来るのは間違いないか?」
山口は尋ねた。
わかりきっていたことだし、山口も次はマリアナだと確信している。
だが、確認と状況に変化がないか、参謀と方針の齟齬がないか確認したかった。
佐久田は自信を持って答えた。
「本土侵攻を考えれば米軍の適当な中継地はマリアナ諸島以外にありません。他は不適当です」
国力の大きいアメリカにとっても太平洋は広すぎる。補給と連絡を確保するための中継地が必要であり、マリアナ諸島は日本攻略によい位置である兵站基地を作る必要な土地も十分にある。
「しかし、戦力が整う前に来航するとはな」
日本もそうだが、アメリカがこの時期に、戦力の増強が不十分な状況で攻めてくるのは山口の予想外だった。
もう少し遅らせて戦力が整ってから攻めてくると考えていた。
「B29が完成したからでしょう。マリアナは日本本土空襲の基地となります」
先日、中国の成都を飛び立ったB29により八幡製鉄所が爆撃された。航続距離と補給の問題から東京は今のところ航続範囲外だ。
しかし、マリアナを奪えば東京を空襲出来る。
本来ならトラックを攻め落としてからマリアナを攻めるのが常道だが、B29の完成でアメリカはマリアナへ直接向かうことにした。
「マリアナに来るのは確実か」
「軍令部三部――情報部と参謀本部の堀少佐にも確認を取りました。間違いありません」
堀少佐は陸軍の人間だがドイツとソ連を相手に情報収集をしていた経験を元にアメリカ担当となってから捕虜の尋問や通信情報を中心に徹底して情報を収集しており、内容は信頼出来る。
ニューギニアでは敵の作戦行動を見抜き、まるで敵司令部の参謀のような正確さで言い当ててきた。そのためマッカーサー参謀――マッカーサーのことに詳しいのと、彼の横で参謀のごとく作戦を見ているかのような情報能力から与えられた異名で呼ばれるほどだ。
海軍の情報部もニューヨーク証券取引所の値動きから軍需品の発注を予想して次の作戦準備を予測する方法を生み出しており、今回はマリアナ方面ではないかと推測していた。
これらの情報は非常に正確で有用であり佐久田が何度かアメリカの先手を取れた理由でもある。
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