第七十三話
「それで、その白い手紙を自宅から持ってきたってわけなのね」
「そうです。違ってて欲しいけど、もしかして役に立つことがあるかと思って」
「えらい! 何かの時のために準備をしておけるなんて、あなたえらいわよ。私もそう思うわ。もちろん! 違っていて欲しいし、これ以上被害者の女の子が書いた手紙なんて見つかって欲しくないけどね」
魚臭い軽自動車を運転しながら「海鮮ゆきちゃん」の女将さん、雪さんはそう俺に言ってくれた。さっき会ったばかりのこのおばさんは、まるで昔からの知り合いかのように俺を迎え入れてくれている。「今からお店に向かいます」と言った時、「それなら駅まで迎えに行ってあげるから」と申し出てくれて、本当にありがたいと思った。
「それにしても、すごい行動力だわね。東京まで行ってしまうだなんて。それに、あの週刊誌に出ていた弁護士の先生にまで会ってきちゃうだなんて。羨ましいわぁ」
と言われ、何が羨ましいのかとも思ったが、「はい」とだけ答えておいた。実家に帰って五稀の指紋がついていそうなものを探し、机の引き出しから見つけたよれた白い手紙をビニール袋に入れて持っている俺は、その白い何も書かれていない手紙を見つめている。
――週刊誌に書かれていた事件の被害者がこの街にいたなんて、信じたくないけど、でも、可能性はゼロじゃないんだよな、五稀。
思い込みでもいい。可能性がゼロじゃないなら、それをゼロにするまでだと思いながらまた行動してしまっている自分に矛盾を感じる。ただの家出でいて欲しい。誰かの家に安全にいて欲しいと思う自分と、もしかしてあの猟奇的な殺人事件に関わっているのではないかと思い行動している自分は、どちらが兄として正解なのだろうか。
――事件に巻き込まれた可能性はゼロだった、を探してるんだ。
「実はねぇ、指紋が出たのは三番目の被害者の女の子だったのよ」
おばさんは、いや、雪さんはカーブを曲がりながらそう言った。その横顔を五稀の手紙から視線を移動して見ると、さっきまでの楽しい雰囲気とは違い、重苦しい表情だった。
――三番目の被害者って、十一月に発見された遺体の子だよな、確か。
「キナコちゃんがね最初に手紙を持って来た時、警察に持って行って被害者の指紋が出ないかどうかを調べてもらったのは私なのよ」
「そうなんですか?」
「そう。最初はちょっとしたミステリーで面白いわなんて思っていたんだけど、あんな事件をテレビでやってるし。でもまさかそんな事はないと思ってたのよ。だけど」
「だけど?」
「一人目の被害者の女の子がねぇ、すぐ近くに設置してある自販機の防犯カメラに映っていて」
「本当ですか!?」と思わず声をあげてしまう。そうであるならばこの街で事件が発生したことに信憑性が高まるのではないか。それに、雪さんのインマルで投稿していた写真を車に乗ってからもう一度確認したけれど、五稀の筆跡に似ているような気がしてならない。五稀の学校で使っているノートも持って来たけれど、そのノートにもあの猫伯爵のマークのようなものが書かれていた。それも似ているような気がしている。
「カメラに映っていたって、それも内緒の話なんだけど。だからそれ聞いたときに警察にその手紙を持って行ったのよ。助けてって書いてあるし」
「助けてって書いてあったんですか?」
「そう、気持ち悪いじゃない。そんなことが書いてあると。だから持って行ったんだけどねぇ、近所の防犯カメラに映っていた被害者の女の子のものじゃなかったから、そのままになってたのよねぇ。それで私たちも安心して、さっちゃんちの子供たちは伝書猫だってお手紙書いて遊んでて。でも、やっぱり日本の警察は優秀よねぇ。きっと水曜サスペンスでよくみるような敏腕
「その手紙っていつ届いたものなんですか?」
「最初のその手紙は十月だったわね。そしてその手紙を書いた子が遺体で発見されたのが十一月」
「一ヶ月後……」
車内の暖房で温められていた身体の体温が一気に冷めていくのがわかる。一ヶ月もの間、一体この街のどこで監禁されていたというのだろうか。
――しかしなぜ猫の首輪に?
「何で猫の首輪にそんなものがついて来たんですか?」
「さっちゃんちのキナコちゃんはものすごく人懐っこいのよ。警戒心が薄いっていうか、誰にでも撫でさせてあげるような、そんな猫ちゃんなのよねぇ。だから、どっかでその被害者の女の子と接触して、その子が助けを求めたんじゃないかって思ってるんだけど。さぁ、着いたわよ」
そう言って「海鮮ゆきちゃん」と看板の書かれた店先で雪さんは車を停めた。
「今は夜営業の前だからお客さんはまだいないし、入って。あったかい飲み物でも飲みながら捜査を開始しましょ!」
――捜査? 確かに捜査かもしれない。駅から今までの話を聞いていると、自宅から遠いこの街で、五稀の書いたかもしれない手紙があるってことは、可能性はゼロどころかかなり高いはずじゃないか。
五稀がもしかしたら事件に巻き込まれている。そんなことないって思いながらここまで来たのに、あり得る可能性が高まり続けていくことが恐ろしかった。
「海鮮ゆきちゃん」の店内は小さな魚屋さんが併設された漁師町の定食屋という印象だった。案内された二階の部屋は船の名前が書いてある大漁旗が大きく壁に貼られ、その周りにはメニューだと思われるポップが何枚も何枚も貼られている。まるであの真っ赤な部屋に貼られていた解剖図のように、何枚も。
――あの動画の部屋で監禁されているのか? まさかだよな。あんな気持ち悪い部屋。
動画に映っていた部屋を思い出しながら、重苦しい気持ちで店内を見ていると、雪さんがコーヒーカップを持って戻って来た。
「最近、コーヒーマシーンを導入したもんでね。若い子はお茶よりコーヒーの方がいいでしょう?」と言いながらテーブルに置いたカップは白い陶磁器に薔薇の絵が描かれた上品なもので、店内の印象とのアンバランスさを感じた。でもそういったものが雑多に混ざっているような店だとも思った。大漁旗と観葉植物。誰かが書いた絵手紙と古臭いビールのポスター。何でもありで、何ものも拒否しない、そんな空間の店内だった。もしかしたらこの雪さんの人柄がこの店内に出ているのだろうか。初めてあったけれど、昔から知っているような態度で接してくるこのおばさんの中身が、この店内に現れているような気がした。
「じゃあ早速捜査を開始しましょうか。まずあなたの妹ちゃんの話はさっき聞いたから、そのキナコちゃんが持って来た手紙があなたの妹ちゃんの書いたものじゃないか、ってところが重要よね」
「あ、それで学校で使っているノート持って来ました」と急いで鞄から五稀の英語のノートを出した。所々に猫伯爵のマークが落書きされていたからだ。
「ううん、似てる。似てるわね、これは」
「そう思いますか?」
「そうねぇ。似てる気がするわ」と言いながら老眼鏡をかけてスマホの画像とノートの落書きを比べている雪さんは、本気で五稀のことを心配してくれているような気がした。それは同時に思い込みで動いている自分の行動も、肯定してくれているということだと思った。
――思い込みであって欲しい。だけど、そうじゃないなら今すぐにでも五稀を助けに行かなくちゃいけない。
「思い込みでもいいのよ」
「え?」っと顔をあげた。心の声が漏れていたのだろうか。雪さんはまだその二つを見比べながら話を続ける。
「思い込みで行動しなきゃこういうのは。だってそうじゃなかったらそれで良かったでいいじゃない。大事な家族が大変な時に待ってるだけだなんて、そんなの私はダメだと思うわ」
そういってこちらを向いた雪さんの顔を見たら、湧き上がるように涙が溢れてきた。五稀の家出が分かった時からずっと思い込んで行動して来た。東京へも行ったし、保護団体にも行った。その全てが無駄じゃなく今ここにつながっているのだとすれば、自分の行動は無駄じゃなかったのかもしれない。
「ほら、泣くくらいお兄ちゃんは妹ちゃんを思いやって動いてるんでしょ?」
「はい」と言いながらも涙が溢れてくる。家出の原因は自分が作り出したと自分を責め続け、それでも誰にも、友香にさえも見せることがなかった本当の気持ち。
「ずっと自分を責め続けています。妹の家出は自分のせいじゃないかって。でも、父さんにも母さんにもそう言えない事情があって、友達にも、誰にも言えなくて、何か行動していなきゃ自分が自分でなくなるようで、……もしも、……もしも事件に五稀が巻き込まれていたらと思うと……、俺、もうどうしていいかわかんなくって。違ってて欲しいって思うけど、……でも、でも、可能性がゼロじゃないならって、そう思って、一人でずっと思い悩んでで……。五稀がもしも事件に巻き込まれていたんだとしたら、それは……、それは全部、お…れのせい……」
言葉にならないような言葉を、嗚咽を押し殺しながら話してたら、今まで抱え込んでいた大きな黒い塊がどっと身体中から溢れてくるような気がした。後悔してもしきれないと自分を責め続けていた。それでも俺は自分の本当の家族が欲しかった。そんなわがままで五稀を苦しめて、惨殺な事件に巻き込んでいたとしたらと、ずっと誰にも言えず一人で抱えていた。その塊が全身から雪崩のように涙として溢れてくる。
「素敵なお兄ちゃんだよ。どんな事情があるかわかんないけど、そんなに泣いて一人で頑張って、いいお兄ちゃんじゃない。さ、思いっきり泣いたら早速行動に移すわよ!」
雪さんが俺の背中を撫でながらそういうのを聞いて、絶対に五稀を見つけ出すんだと、何度も何度も自分に言い聞かせた。
――絶対に見つけ出すんだ。そしてやり直すんだ。家族として、兄妹として。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます