第七十四話

「キナコちゃんがどこに行ってるのかが分かれば、その女の子たちが監禁されていた場所がわかると思うのよね。警察もそれで動き始めてるみたいだし。でも、その場所の特定が本当に難しいらしくって。ほら、猫って人が入れない隙間をするするって入って行っちゃうでしょ?」


 ビニールに包まれた薄っぺらい紙おしぼりを何枚も俺に手渡しながら、雪さんがそう話し始めた。確かに、猫は人が入れないようなところへも入って行ってしまう。


「それ、いつから警察は調べているんですか?」と鼻水を拭いながら俺が聞くと雪さんは「まだ昨日からなのよ」と答えた。


「あの、じゃあその写真の手紙はいつ届いたんですか?」


「これよね、この妹ちゃんが書いたかもしれない手紙。これはね確か、ちょっと待ってね、小さくて日付が見えないけど、えっと、金曜日に届いたはず。そうそう、先週の金曜日に届いたものだわ。土曜日にさっちゃんがパートに来た時に見せてもらったはずだから、間違いない」


「金曜日……」


 それならもうすでに五日も経っていることになる。もしその五日の間に五稀の身に何かあったらと想像したが、今はそんな想像よりも事実をひとつづつ調べ上げて五稀に近づくことが先だと思った。


「猫の首輪に発信器をつけて探すとか、そういったことを警察はしているんですか?」


「そうしたかったみたいなんだけど、キナコちゃんがなかなか家に帰ってこなくって。一晩中待っていたみたいなんだけどねぇ。猫ってほら、どっかで雨宿りしてたり、キナコちゃんの場合、どっかの家に入り込んでたりもするみたいだしねぇ。あなたから電話をもらった時にさっちゃんに聞いた話では、一回帰って来たけれど、見慣れない警察官が首輪をつけようとしたら逃げ出しちゃったって言ってたわ」


「見慣れない人には近付かないんですか?」


 「まぁ人懐っこいって言っても、大きな体をした怖い顔の人がいきなり首輪をつけようとしたら逃げ出したくなっちゃったんじゃないかなぁ」と聞いて、それはきっと春日井先生だと思った。確か徹夜明けだとも言っていた。であるならば首輪をつけることを一旦諦めて警察署に戻ったのだろうか。


――先生、何でつけてくれなかったんだよ。


 ついそう思ってしまう。猫の首輪に発信器をつけることができれば行動範囲が絞られたかもしれないのに。


「でもね、私、思い出したのよ」


「え?」


「私の仲がいいメダカ友達の伊藤先生がね、確かキナコちゃんの手紙の話を聞いて興味深いから研究したいって、確か発信器をつけてたはずなのよね」


「本当ですか?! でもそれ警察には?」


「思い出したのがついさっき、あなたの妹ちゃんの話を聞いて車に乗っていた時なのよ。さっちゃんも手紙が被害者の女の子のものだったって聞いて、相当ショックを受けて動揺しているから、警察に話してるかどうか。そうね、警察にもすぐに連絡した方がいいかしら」


「ですよね、すぐに。その伊藤先生って、今どこにいるんですか?」


「伊藤先生は今は東京に戻っちゃったから、東京じゃないかなぁ。大学で獣医学を教えてるのよ。地元がこっちだから私とは昔からのお友達でうちの古くからの常連さん」


 東京と聞いてまた五稀から離れてしまった気がした。けれど、雪さんはすぐにスマホを触り始め、どこかに電話をしている。警察にかけているのだろうかと思ったら、その伊藤先生にかけているようだった。


「もしもし? 伊藤先生? そうそう、こないだの蟹はいい蟹だったわねぇ。はい、え? 来週また来るって? はーい、お待ちしています。それでね、先生大変なことが起きたのよ。あのね、さっちゃんちのキナコちゃんにつけてた首輪あったでしょ? あれでキナコちゃんがどこに行っていたか今でもわかる? 」


――頼むからわかるといって欲しい。


「わかる? 本当? それはすごい、え? データに残ってるって。ちょっと待って、今、本当に大変なことが起きてるから、ちょっとそのお兄ちゃんに変わるから」


 そういって雪さんは俺に自分のスマホを渡した。その伊藤先生とつながっている電話に急いで「もしもし」と話しかける。


 「あの、俺、竹野内弘樹といいます」というと、人の良さそうな柔らかい低音の声で伊藤先生が自己紹介を簡単にしてくれた。その流れで今までの経緯を伊藤先生に簡潔に話し、キナコという猫の行動範囲をどうすれば今すぐ見れるかと、尋ねる。


「実は僕もねぇちょっとバタバタしていて、首輪をつけてからデータあんまり見てなかったんだけどね、今、雪さんに言われてパソコンで見ていたら、ちょっと不思議なことがわかったんだわ」


「不思議なこと?」


「うん。キナコちゃんに首輪をつけて、それで一ヶ月くらい経ってるんだけどね、なんか今見た感じだと、行動範囲はそんなに広くなさそうだけど、あ、もちろん人が入れないところもあると思うんだけどね、その中でもさ、ある場所だけポッカリと受信できてないとこがあるんだわ。そうだな、大体半径二十メートルくらいかなって思うんだけど。不思議だよね。その周りには動いている線がのってるんだけど」


「半径二十メートル? そんなことって起こりうるんですか?」


「そうだねぇ。可能性としてはその時だけ首輪を外してるってことはないと思うんだけど、猫だし。考えられるとすれば、そこの場所は電波が届かない場所っていうか、届きにくい場所っていうか、違法な妨害電波を出している場所っていうこともあるか。あ、ちょっと待って、たまにそこ通ってる日もあるから、これはどういうことなんだろう」


――電波の届かない場所。妨害電波? でもたまに通ってる時もあるって……?


「そのデータ、こっちでも見れますか? スマホか、パソコンか、送ってもらって」


「うん、いいよいいよ。僕の趣味みたいなもんだし。それにしても心配だよねぇ。まさかそんなことになってるとは」


 そういって伊藤先生は俺のパソコンのメールアドレスを聞き、そのデータが見れるクラウドのアドレスを教えてくれた。俺は怒られることを覚悟して、春日井先生のRINKに今起きている出来事を簡潔に書いて送信した。直接話すこともできたけれど、それだともうこっちに任せろと言われてしまう気がしたからだ。


 案の定、春日井先生は「もうそれ以上は動かずに警察に任せろ」と返信してきたけれど、そんなことはできない。なぜなら最新のデータを今確認したら、その発信器をつけたという首輪の位置が、全然違う場所に動いているからだ。


「移動してる? 雪さん、これ、移動していますよね?」


「本当だ。さっちゃんちの近所からだいぶ移動してるわね。でも、おかしいなぁ。さっちゃんちのキナコちゃん、昨日警察が来た時にはその首輪、取れてたはずなのよ」


「取れてた?」


「そう、どっかで落としてきたみたいでって、」


 「まさか」と俺と雪さんは顔を見合わせた。落としたはずの首輪が行動範囲から移動しているということは、猫ではない何かがその首輪を持って移動していることになる。


「俺、これの行き先追いかけます! あ、でも行動手段が……、バスと電車じゃ行けないか、くそっどうしたらいいんだ!」


「大丈夫よ! うちの配達用の車を使いなさい。あなたもちろん運転免許持ってるわよね?」


「はいもちろん」というと、雪さんは急いで厨房へ走って行き、まだ温かい白いおにぎりを三つレジ袋に入れて車の鍵と一緒に俺に渡した。そしてさっき店まで一緒に乗ってきた配達用の車のドアを開けてこういった。


「 おにぎり食べて頑張んなさい。お兄ちゃん!警察にはこちらから連絡しておくわ」


 俺は雪さんがくれたおにぎりの温もりを手に感じながら礼をいい、パソコンを助手席に置いたまま車を発進させた。


「待ってろよ、五稀。絶対助け出してやるからな」




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