第七十一話
「だから、家出した妹が帰ってくるって言った日に帰ってこないんですよ! さっきからそう言ってるじゃないですか!」
「ですから、そういったお話は結構ありましてね」
「結構あるかもしれないけど、俺の妹はそんな結構の中に入らないかもしれないじゃないですか! もしかしてあの事件に巻き込まれてたらどう責任とってくれるんですか? だって、この動画見てみてくださいよ。明らかにおかしいですよね? 」
「そう言われても、見てみましたけど、動画配信してる若者の悪戯という感じでしたよ?大体、妹さんが家出をされてから一度連絡あったんですよね?」
「ありましたけど、でも、その帰るっていう日に帰ってこないんですよ」
「そういうこともありますよね、気が変わったとか。思春期だし」
「じゃあどこにいるんですか? そんな何日も、一体どこにいるっていうんですか!」
「それは私たちにもわかりませんが。心当たりはないんですか? 家族なのに」
家族なのにと白髪頭の警察官に言われ、言葉が詰まった。家族だけど、わからないことなんて沢山あるというのに、なぜそれをわかってもらえないのだろうか。
「それに、捜索願はもうすでにご両親から提出されて受理してしますし。こちらもできる限りはご協力しているつもりです」
追い討ちをかけるようにその白髪頭の警察官が俺にいうけれど、納得ができない自分がいる。頭ではわかっている。「家出」をしたい意思があって、それで自ら家を出た事は、誘拐でも拉致されたわけでもない。それにまだ幼い子供ではなく中学生というのが、事件性が低いと思われてしまうのも理解できる。何度も聞かされる「特異行方不明者」に当たるか当たらないかが微妙なラインだという話を聞けば聞くほど、「特異行方不明者」に五稀が当てはまらないと思ってしまう自分もいる。
――でも、だからってどうしたらいいんだよ!
五稀が帰ってくると言った日曜日、五稀は深夜になって日付を跨いでも帰ってはこなかった。その代わり、夕方に変な動画が五稀からRINKで送られてきていた。真っ赤な明かりの灯る部屋に、気味の悪い解剖図が何枚も貼り付けられている部屋の動画だ。それからすでに二日経っている。
――この動画だって明らかにおかしいだろ?
そう思ってスマホに届いた動画を持ってもう一度警察署に来てみたけれど、よくあるCTubeの動画みたいだと言われてしまった。確かに、そういった類の「お化け屋敷中継」に見えなくもないが、だからといって何もせずに五稀の帰りを待つだけではいられない自分がいた。
「すいませんね、管轄内はいつもパトロールしてますから、見つけ次第すぐにご連絡いたしますのでね」と言って、その警察官は頭を軽く下げて受付のような場所から中へ戻っていく。それ以上かける言葉が見つからないまま、その姿をみて、憤りが溢れ出してくるのがわかった。警察だって自分たちの仕事をしているだけだ。そんなことはわかっているけれど、この憤る気持ちはどうしたらいいのだろうか。
「どうしたらいいんだよ」
どうしたらいいのかがもうわからない。思い込みで東京まで探しにいって、保護団体の人に聞いてもらったけど、そこでも五稀は見つからなかった。「本人が連絡をしたくない場合はお教えできません」と言われたことを思い出してみても、その後の五稀からのRINKを読めば、明らかに保護団体のところにいるとは思えなかった。
――それともこの状況をわざと作って楽しんでるのか? まさか、五稀はそんなことしないだろ?
でもそうやって五稀が楽しんでいるのであればまだいいと思った。恐ろしい事件に巻き込まれたり、事故に遭ったりしていなかったらその方がいい。
なんとか五稀につながる糸口が見つからないものかと、警察署を出たところで壁に背をつたい腰を下ろした。外は重たい湿った雪が降っていて、紺色のコートを羽織った警察官が駐車場でパトカーに乗り込むところだった。今からどこかにパトロールにでも行くのだろうか。
――それなら今すぐにでも行って五稀を見つけてきて欲しい。
そう思いながらパトカーに乗る警官を見ていたら、近くの車から二人の男が降りてくるのが見えた。一人は背の高いグレーのコートを着たスキンヘッドの男。もう一人は薄茶色のコートを着た若い男だった。
――あれ? どっかで見たことのある顔だな。
どっかで見たとは、どこだったか、それはきっと道場だと思った。剣道着かラフな格好の姿しか見たことがないけれど、グレーのコートを着た背の高い中年男は、春日井先生のような気がする。そういえば春日井先生は県内トップクラスの剣道の腕前で、それで警察官になったと言っていたはずだ。近づいてくるその顔を目を凝らして見て、間違いないかを確かめる。
――間違いない、あれは春日井先生だ。
「春日井先生!」
思わず立ち上がり声を張り上げたら、春日井先生も俺に気づいたのか、驚いた顔をしながら手を軽くあげてこっちに歩いてきた。道場以外で会う春日井先生は初めてだった。といっても、もうしばらく剣道をしに道場へは行ってない。けれどこの状況で、警察官の春日井先生と再会できたことは今の俺には救いに神だと思えた。
――そうだ、先生に頼めばいいんだ。刑事課だって言ってたじゃないか。
「先生!」と、もう一度声をかけながらこちらからも走り寄った。久しぶりに会う春日井先生は、道場で見るよりも老けて見えた。道着を着ていないからだとは思うけれど、顔が少し疲れて見える。それでも今の俺には救世主だと思った。
「先生、会えてよかったです」
「おう、久しぶりだな弘樹。お前、どうしたこんなところで?」
「実は妹が家出して、もう何日も帰ってこないんです。それで俺、ここきたんですけど、事件性が薄いからって、警察はすぐに動いてくれなくって。先生、俺の妹、探してもらえませんんか?」
春日井先生は驚いた顔で「それはちょっと俺には難しいな」と言った。そういう類の捜索は別の課が担当しているらしい。そんなことは自分でもわかってはいるが、なんとしてもこの救世主を逃したくなかった。事件性があるかないかなんて、まだわからない。それに、変な動画だってある。その動画を見て欲しいと頼み込み、春日井先生を引き止めていると、隣にいた若い男性が、「じゃあ俺、先に行ってますんで」と先に警察署内へ入って行った。
「しょうがないなぁ。俺、徹夜明けなんだけど、お前のその動画見るだけ見るか。目が疲れてるし、スマホのちっちゃい画面じゃ何にもわかんないかもしれないけどな」
「お願いします!」と言ってスマホに送られてきた動画を見せた。床を軋ませながら、暗い階段をゆっくり登り、窓が塞がれた廊下が映し出されている。五稀のものと思われる息遣いが生々しく聞こえる中、一つ目のドアが開き、なんの変哲もない部屋が映し出される。そしてもう一つのドアが開き、カチカチとスイッチを触る爪の音のようなものが聞こえて、あの真っ赤な部屋が映し出され、スマホを落としたような音ともに画像が乱れた。
「確かにこんなの送られてきたら気味が悪いよな。しかも家出してる妹から。って、お前妹いたっけ?」
「あ、はい。いろいろありまして。で、先生これどう思いますか? 事件性ないってさっき受付の人には言われちゃったけど、俺、なんか胸騒ぎがして。事件に巻き込まれてると思うんですよ」
「そうだなぁ。事件かどうかは正直わからんな。今時、こういう動画いっぱい配信してるやつもいるし。ほらシーチューバーとか、そういう類の動画と言われれば、そうも見える。実際そんな感じの言葉を撮影しながら喋ってるしな」
「でも、俺の妹はそんな動画配信とかやってないはずなんですよ」
「本当のところはわかんないだろ? 家族だって知らない顔がある」
先程の警官と真逆の回答が出て、その通りだと思った。家族でも知らないことはある。
「とりあえず、その動画俺のスマホに送ってくれよ」と先生が言うので、先生の個人スマホにその動画を送信した。現役の警察官、それも刑事課の春日井先生とRINK交換できたのが心強かった。何かあれば連絡を取ることができるはずだからだ。
――何か、なんて絶対ない方がいいけど、一応だよな。
必死さが体全体から滲み出ていたのか、「お前、ひどい顔してるな。俺もだけど」と声をかけられ、日曜日からあまり眠れていないことを思い出した。眠っても寝てないような感じだったのだ。東京の友香の部屋で見た恐ろしい夢を何度も見て、その度に起きてしまう。
「もしもあの事件に妹が巻き込まれていたらとか、変な想像までしちゃって、なかなか寝れてないんですよ。絶対ないって思ってるけど、心配で」
「そりゃ心配にもなるわな。ここだけの話、それで俺も徹夜だし」
「そうなんですか? でもなんで? この県関係ないんじゃ? だってY県とS県でしか遺体発見されてないって報道で」
「まあな、そうなんだけど。猫が持ってきた変な紙にさ、害者の指紋が見つかったんだよなぁ。って、今の聞かなかったことにしろよ。俺も寝てないから頭がまってねぇわ。悪い、もう行くわ」
「先生、猫って?」
「忘れろよ。いいな、弘樹。何もお前は聞いていない、な?」
「はい。わかりました」と俺が頷くと、「じゃあまた道場で」と言って、春日井先生は警察署の中へ入って行った。その後ろ姿を見送りながら、気になることを何度も口の中で呟いている。疲れ果てた脳味噌のどこかの部分に何かがある。それを探し出すように、同じ言葉を繰り返す。
「猫、が運んできた。猫、が運んできた、猫、が……、猫、猫、猫、……そうか、伝書猫」
急いでスマホを取り出した。あの大盛りラーメンを田中に奢った日に見た、猫画像の中にあった「伝書猫」と言う言葉。同じ県内の、定食屋の女将さんのインマルだ。あの四角い紙に書かれていた猫伯爵のマークが気になる。差出人の名前は一体誰だったんだろうか。
――確か、お店の名前は?
「海鮮ゆきちゃんだ」
スマホの検索ワードに「海鮮ゆきちゃん」と打ち込んで、電話番号を調べた。今から向かうと三時間はかかってしまう。その時間がもどかしい。
「まずは電話だ。ダメでもともと。聞くだけ聞くんだ」
時刻は午前十時を少し過ぎた頃だった。この時間なら店に誰かはいるだろうと、俺はその「海鮮ゆきちゃん」へ電話をかけることにした。
――お願いだから、差出人が五稀じゃありませんように。
そう思いながらも、もしもそこで五稀の糸口を見つけてしまったら、それは最悪のケースにつながると、俺は電話番号をコピーしながら思っていた。
「最悪のケースじゃないってことを確認するんだ。差出人は五稀じゃない」
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