第六十七話
「僕の妹が保護されているかどうかを教えていただくことはできますか?」と聞くと、思った通り、「本人の了解なく、ご家族に情報はお伝えできません」と、他の保護団体と同じ答えが返ってきた。身体中から熱を発し始めているのが分かる。そう言われると分かってはいたものの、やはりここに来ても意味は無かったのだと言われた気がした。頭の中で隣に座っている友香が言った、「思い込んで突っ走っている」という言葉が浮かんだ。一体何をしているのだとまた自分を責めてしまう。もっと他にやるべきことがあったのではないか、などと今更考え下を向いた。
「ですが」
「え?」と、思わず顔をあげる。棚橋と名乗るその女性弁護士は、小豆色のジャケットの裾を引っ張りながら、座り直し、僕の方を見て先ほどよりも少し柔らかい顔をして言った。
「その妹さんのお名前をお伺いしておいて、もしどこかの団体で保護されているのであれば、その家出しているご本人に、ご家族に連絡していいかどうかを尋ねることはできます」
「本当ですか?!」と思わず身を乗り出してしまった弾みで、テーブルのお茶が揺れて少しこぼれてしまった。慌てている僕を横目に友香が拭くものを取り出そうとしているのか、鞄の中を弄り始めている。
「すいません、お茶が」
「いいえ、結構ですよ。お気になさらずに」と棚橋弁護士はさらに柔んだ顔で言い、「真美さんもこちらにきてもらっていいかしら」と俺たちの後ろに立ててある、白い布が貼られたパテーションの向こうに声をかけた。その間に友香がハンカチを出してそのテーブルのお茶を拭いてくれている。友香がいてくれて良かった。昨日から何度もそう思っていたけれど、今この時もまたそう思った。
――俺の味方が一人いるだけで、こんなにも安心できるなんて。俺一人じゃ、こんなところで話なんてできなかった。
そう思いながら友香に目配せで感謝を伝え、棚橋弁護士の方を向きなおした。その隣に先ほどの女性が、青い分厚いファイルを持って座る。白いニットのワンピースが目に眩しく映るその女性は、やはり美しい人だと思った。顔に出ないように気をつけながら、二人の方を向く。真美と呼ばれたその女性は「お名前と、お写真などもあれば」と、分厚いファイルの中から、申し込み用紙のようなもの取り出して、机の上に置いた。
「実はそういうご家族の方、たまにいらっしゃるので」
「え? たまに、ですか?」
思わず聞きかえす。そういう問合せの家族は、たまにしかいないのだろうか。
「たまに、ですね。でも最近は多い方です。あの事件がありましたから」
あの事件とは、家出少女を殺害して山中に遺棄した猟奇的殺人事件のことだとすぐ理解した。確かにあんな事件があって、まだ犯人が捕まっていないと思うと家出少女の家族は気が気でないはずだ。もちろん自分の家もそうである。でも今聞いた感じだと、家出しても探さない家もあるってニュアンスに聞こえた。
「子供が家出しても探さない家もあるんですか?」
友香が隣から真美と呼ばれている女性に尋ねた。友香も同じように思っていたのだろう。なぜ大事な家族が家出をしているのに探すことがないのだろうかと。棚橋弁護士がお茶をすすり、友香の方を見ながらその問いに答えた。
「そうねぇ、あなたはそんな家の子に見えないから想像しにくいかもだけど、家出をする家の子供たちって、虐待だったり、育児放棄だったり、家庭内で性被害に遭っていたり、いろんな事情を抱えている子が多いのよね。親は親で子育てをしたくないって親もいたりするから、家出してくれて良かったと思ってる親もいたりするのよ。そうするとどうなると思う?」
「どうなるんですか?」と友香が聞くと、棚橋弁護士の隣にいた真美さんが少し鼻につくような笑い方をしながら、答えた。
「そんなの決まってるじゃない。帰る場所がなくってどっかに消えちゃうしかないのよ」
「もう真美さん、そんな言い方」
「だってそうですよね? 先生。私もそんな時期ありましたから」
ボディラインが分かる白いワンピース姿の女性とは対照的に、小豆色のスーツが少し苦しそうな棚橋弁護士は、「そうかもしれないけれど」と、その真美という女性に言い、こちらに向かって「悪気はないのよ、こういうはっきりとした言い方をする人なだけだから」と俺たちに捕捉をした。
――はっきりした言い方って、もう少し何か含んでるような気がしたけど?
「消えちゃうって、どこへですか?」
友香が真面目な顔をしてさらに質問を投げかける。そうだ、俺もそれが知りたかったんだと思った。家を出て、その後は一体どこへ行くというのだろうか。
「はっきりとした言い方をすると? どこかの風俗店で働いてたり、そこで稼いだお金でネカフェを転々として、街の中で存在を消して生きてる子っていますよね」
「でも中学生だと働けませんよね?」
五稀のことを考えると、そうであって欲しいと思い聞いた。
「それは見た目で? 年齢確認してるといってしてないとこはありますよ。もちろんそういった風俗店も違法就労で摘発されたくないだろうから、最近はちゃんとしてるとこもありますけどね、でもそうはいってもちゃんとしてないところもあるんですよ。なんなら街中にそういうスカウトマンがうろうろしてたりしますからねぇ。お嬢さんみたいなウブそうな女の子は夜の繁華街なんて行ったら危ないですよ? ふふふ」
隣の友香の身体が少し強張っているような気がした。夜の繁華街の怖さを知っているからかもしれない。夜明け前の薄暗い部屋で俺の胸に頬を寄せ、消えてしまいそうなほど弱々しい声で友香はそう話していた。
「飲み会があるって大学の友達に誘われて、それで行った先が、夜の繁華街で、そんなつもりじゃなかったのに、アルコールが入っていて、それで、途中から記憶がなくなって、気付いたら汚いホテルでひとりだったの」
隣に座っている友香の手を握ると、ひんやりと冷たかった。それにしても、なんでこの真美という女性はこんなにも、鼻につく感じで話をしてくるのだろうか。俺にではなく、その話し方は友香に向けられているような気がしてならない。
――しっかりしろよ、俺。俺がちゃんと聞きたいこと聞かなきゃだめじゃないか。
もう一人の俺が俺に話しかけてくる。そうだ、もっと聞きたいことはあるのだと、話を戻すことにした。友香の気持ちを想像してもその方がいいだろう。棚橋弁護士の方を向き、尋ねた。
「で、この紙に書けば、さっき言ったみたいに連絡取れるかもしれないってことですよね?」
「ご本人がそれを望めば。でも、どこかに保護されていた場合だけになります。さっきの妹さんかもしれないというアカウントを読んだ限りだと、なんとも言えないですよね。大体そのシェアハウスと書いていたアカウントは、もう存在していない」
確かにそれは奇妙だった。なぜアカウントを削除する必要があったのだろうか。消さなくてはいけない理由があったとしか思えない。その場合、どういう理由なのだろうか。どことなく嫌な予感がしてしまう。もっとも、「裏垢やみ猫」というアカウントが五稀のものかどうかも定かではないが。
「でも、さっき話しているのを聞いた感じだと? まだ家出して四日ですよね?」
真美という女性が俺と棚橋弁護士の会話に割り込んで話しかけてきた。俺の話をパテーションの向こうから聞いていたのだろうか。小さな事務所だから聞こえて当然だと思った。
「はい、土曜日からなんで、四日目になります」
「じゃあ、もうちょっと待ってみてもいいかも。だって、虐待してる家とか、あなたが性的暴行を妹に加えたとか、そういう感じじゃないんでしょ?」
「僕が妹にそんなことするわけないじゃないですか!」
思わず声を荒げてしまった。この真美という女性の友香に対しての態度に、ちょっと前から腹を立てている自分がいるからかもしれない。友香の手をぎゅっと握った。
「可能性を言ってるだけですから。もう、真美さんまたそんな言い方」
「だめですよ。ちゃんとそういうところ刺激して見極めないと。優しい顔して中身は悪魔なんて、この世界にはいっぱいいるんですよ、先生。保護している十代から二十代の女の子たちは家出に至るまで、劣悪な状況下で生活をしていて、心が病んでるんですから。入り口の私たちがちゃんとしないと。それと、その一緒にきたお嬢さんも、自分で自分の身を守るように気をつけないと、東京は人が一人くらい消えても誰もなんとも思わないんだから」
「そうかもだけど、そんな挑発的な発言をして試さなくってもいいじゃない」
「自分の経験から申しておりますが?」
「そうかもしれないけれど」
「そうですよ。探してもらえるような家の子はまだいいけど、探してもらえない家の子だっていっぱいいるんですから。それこそ、地方から東京に出てきてって子もいましたしね」
「やっぱりそういう子もいるんですか?」
「お兄さん、そう思って東京まで探しにきたんでしょ?」と、棚橋弁護士がこちらを向いた。
「あ、はい。まぁそうです。で、そういう子はたくさんいるんですか?」
「たくさんかって聞かれると困るけれど、SNSで電車代を出してあげるからという誘いに乗る子や、車で迎えに行ってあげるっていう誘いに乗る子はいますよね。SNSは本当に恐ろしい。でも今の子はみんなその危険性をわからないでやっていますから。あなたの妹さんもtubuyakkiしてたでしょ? 本当に子供のことを思うなら、スマホなんて与えちゃだめだって常々言っているんですけど、こればっかりはどうもねぇ」
「先生はSNSの危険性について情報発信をしているから。最近だと、週刊誌にコメント出してましたよね。あのひどい事件」
そう言って真美という女性は立ち上がり、すぐ近くの棚橋弁護士のデスクの上から派手な色をした週刊誌を持ってきた。そして、「これ、読んだことない?」と、ピンク色の付箋が貼ってある週刊誌のページを開いた。そこには、ネット記事で読んだことのある猟奇的殺人事件の特集ページが載っていた。
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