第六十六話

 「友香に連絡して本当に良かったって思ってる」と、歩きながら俺がいうと、隣にいた友香は、「でしょう?」と言って、嬉しそうに笑った。


 五稀の裏アカかもしれないと思って見つけたその最後の投稿には、コメントが何件か入っていた。その全てに目を通したけれど、どのコメントも下心がありそうな、誘い文句のようなコメントだった。ただ一件を除いては。


 「あれ、このコメントだけなんかまともじゃない?」と、友香が画面を指さしたコメントは、「シェアハウス」という言葉が載っていた。「詳しくはDMします」と書いてある。写真が載っていないそのアカウントをクリックすると、「このアカウントは削除されました」と出てきたが、「シェアハウス」という言葉が妙に気になった。あの、ネットで見つけた家出少女を保護する団体も、「シェアハウス」「シェルター」などの施設を持っていたからだ。


 「アカウント削除って、なんか、嫌な感じだね」と友香が言ったけれど、俺の中ではこの「裏垢やみ猫」というのが、もしも五稀のアカウントならば、保護団体のところで保護されている確率がグッと上がった気がした。それは、一種の希望のようなものでもあった。それ以外のコメントのところへ行ったのであれば、性的被害にあっているかもしれない。でも、もしも「シェアハウス」に行ったのならば、性被害にも、今、世間を騒がせている猟奇的殺人事件にも関係していないことになる。


「とりあえず、東京にある保護団体のリスト急いで作る」


「待って、それじゃあ時間がかかっちゃうよ。弘樹がリスト作ってる間に、私もこっちのパソコンで団体探して、問い合わせをかけてみるね」


「え? いいの?」


「当たり前じゃん、一緒に探すって言ったでしょ? それと、問い合わせるのは女性がいいと思う。男性じゃあダメでしょ。きっと答えてもらえないって」


「確かに。助かる」


 俺が、家出少女を保護している団体のリストを作成している間、友香は、保護団体の問合せフォームに質問を入力したり、連絡先が載っている団体へは直接電話をして、五稀が保護されていないかを探してくれた。


 しかし、ほとんどの団体が、「個人に確認してから連絡します」と答えてくる。いるのか、いないのかだけでも知りたいというのに。憤りながらも、それも仕方がないことだと思った。


 例えば親に虐待されていた場合、連れ戻されたその後は、また同じような仕打ちを受ける可能性が高い。もしかしたらそれ以上になる場合もあるだろう。だとしたら、また、家出を繰り返す。その時は、もう保護団体のもとへも逃げ込むことができなくなってしまうのではないかと想像した。それ以降の家出は、ネットで出会う男性の家に転がり込んでしまうか、性的搾取を目的とした組織に拾われる可能性だってある。家にいるより、その方がマシだと思うかもしれない。家を出たい理由がそこにはあって、家出をした少女達だからだ。


 昼をすぎ、夕方近くになった頃、電話で問い合わせた中に、会って話を聞いてくれるという団体が一つだけあった。今、友香と向かっている保護団体「NPOサポートガール」だ。


 千駄ヶ谷の駅を出てから横断歩道を渡り、少し歩いた奥まった場所で友香の足が止まった。「ナビで見ると、多分、ここだよね?」と友香が指差したビルは、さほど新しそうには見えず、その三階には、「棚橋刑事法律事務所」と四角い看板が窓ガラスに貼り付けられている。


「ここだな」


 それだけ言って、ビルの中に入り、薄汚れた緑色のエレベーターの扉の前に立った。寒々しい安っぽい色をした蛍光灯がチカチカと光り、取り替え時期を知らせている。上向きの三角のボタンを押すと、年代物のエレベーターは、キュイーと変な音を鳴らしながらすぐに一階にやってきた。俺たちはそれに乗り、三階にある「棚橋刑事法律事務所」へと向かった。


 辛気臭い匂いが鼻につくエレベーターの扉が空き、薄暗い廊下に出るとすぐに、その法律事務所の看板があった。友香と思わず顔を見合わせる。


「なんか、思ってたのと違うね」


「だな。ホームページはもっとこう、な」


「うん」


 そうは言っても、家出少女の保護団体をNPOでやっているのであれば、そんなにお金があるわけではないような気がした。法律事務所の中に間借りしてNPO法人の事務所を持っているならば、尚更だとも思った。きっと善意で、そのスタッフをしている人が多いのではないか。この法律事務所の女弁護士もそのNPO法人の顧問に名前を載せている。


 「私から入っていった方がいいと思うから」と言って、友香がその法律事務所の薄っぺらいドアをノックした。すぐに中から、女性の応答するような声が聞こえ、ドアを開けると、狭い事務所の中は意外にも整えられていた。ドアから見える一番奥に、いかにも女性弁護士と言った風貌のふくよかな中年女性が座っているのが見える。


 「どうぞ、お入りになって。お電話いただいた方よね?」と声をかけられ、友香が、「はいそうです」と答えて中に入る。自分も友香に続いた。


 中に入った俺の顔を見て、一瞬眉をひそめたそのおばさんは、友香の方へ視線を移し、説明を求めているような顔をして、思ってた通りの反応を返してきた。


「男性が来るとは、聞いていませんでしたが?」


 想定内の反応だ。でも、そうなったときの対処方法をどうするか、友香と作戦会議をしながらここまでやってきた。


「すいません! でも、彼の家は虐待とかじゃないんです。それで、もう四日も連絡が取れなくって、わざわざN県から東京まで探しにきたんです。お話だけでも、聞かせてもらえませんか?」


 友香が打ち合わせ通りにそう言うと、女性弁護士だと思われる女性は、怪訝な顔をしながらも、「どうぞ」と皮張りのソファーに座る事を許してくれた。机から何かを手にして立ち上がり、向かいの席に座る前に、友香に名刺のようなものを渡した。


「棚橋です。本当はこんなのルール違反だと追い返すところですが、見たところ、嫌な感じは受けませんから、お話を聞くだけ聞いてみましょうか。お答えできるのは、それからで。どうぞ、お座りになって。それで? こちらの男性の妹さんが家出をされたと?」


「はい。僕の妹が家出をしてしまって、今、探しています」


「お心当たりは? あぁ、お心当たりというのは家出をした理由ね。何か思い当たることでもあるんですか?」


「はい、実はうちの家族は、」と言いかけて、喉から出てこない言葉を押し出すように、息を吐き、話を続けた。両親の再婚のこと、実は妹とは血がつながっていること、そして、妹だけがその真実を知らなかったこと。それと、SNSで妹と思わしきアカウントが呟いていたことなどだった。


「なるほど……。確かに今のお話を聞く限り、家出したい気持ちになるのはわかりますね。さらには、そのtubuyakkiのアカウントが本当に妹さんのものだとすれば、危険な状態かもしれませんよね」


「危険、ですか?」


「そうですねぇ、そのコメントを送ってきた誰かのところへ行ったならば、あら、ありがとう真美さん」


 緊張しながら話していたせいで、もう一人事務所の中に人がいることに気がつかなかった。目の前に差し出された日本茶が入った茶托を持つその指は、白くて美しい形をしていた。


 「え?」と思わず、そのお茶を出してくれた人の顔を見上げてしまう。長い髪がさらりと揺れる、あまり見ないような美しさの女性だった。髪を耳にかけながら、「どうぞ」と微笑んでくる。見惚れているような顔をしていたのか、横から友香が肘で突いてきた。


「あ、すいません、もう一人誰かいるって思ってなくって、つい」


 つい、と言葉が出た。


「こちらは、うちのNPOの事務的な事をしてくれている真美さん。真美さんも元々は家出少女だったらしくて、善意でうちの団体をサポートしてくださっているの」


「どうも、昔は家出少女でした。ふふふ、私の顔、何かついていますか?」


「や、すいません。綺麗な人だなって思って」


 ついそう答えてしまって、しまった事をしたと気づく。また友香が肘でさっきよりも強く脇腹を押してきた。それでも、まじまじと見てしまいたくなるような、陶磁器のように美しい肌と顔立ちをした人だった。それに、髪を耳にかけた時にチラッと首筋に見えた、小さな星形のタトゥーにも、心が惹かれた。元、家出少女だったからかもしれない。


「それで、何を聞きたいんでしたか?」


 棚橋弁護士に声をかけられ、意識と視線を戻す。そうだ、聞きたい事が沢山あるのだと、俺は、五稀を見つけるための質問をはじめた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る