第六十二話
「泊まってって、それはだめだろ」
「なんで?」
「なんでって、付き合ってるわけじゃないし……」
「もういいから、そういうの。もともと幼馴染みたいなもんだったじゃん」
「え? でもだからと言って、そんなわけには……」
「あぁ、もう! はい、早く飲んで、さっさといくよ!」
そう言って友香は立ち上がり、店の外へと向かっていく。俺も急いで残ったコーヒーを飲み干しながら、二人分のカップをカフェの返却口へと返し、その後を追った。
友香は人の波をうまく避けながら、どんどんどんどん歩いていく。フードについているファーを上下させながら歩くその後ろ姿は、幼い頃から知っている剣道少女の友香ではなく、明らかに都会の人間だった。駅の構内に入り、手をかざすような仕草をして改札を抜けていく。そのままついていきそうになって、それはだめだと声をかけた。
「ちょ、ごめん、俺、切符買わないと!」大きな声でその後ろ姿に言うと、くるりと振り向き、しまったという顔をして友香が答えた。
「そっか、電車乗らないか。じゃあ、小田急で新百合ヶ丘まで買って」
「うん、わかった」と言って、改札の内側に友香を残し、切符を購入する。なんでこうなってしまったのかはわからないが、どうやらこのまま別れた彼女のアパートで一晩過ごす事になりそうだ。路線を確認して、切符に必要な小銭を券売機に入れる。一枚二枚と硬貨をいれるうちに、変な緊張感が身体を蝕み始めていくのが分かった。
*
友香の住んでいるアパートは、新百合ヶ丘駅から徒歩十分程度の場所にあって、そんなに大きな建物じゃないけれど、入り口はオートロックがついていた。
「入って」
「あ、うん」
なんだかぎこちない空気が流れている気がする。昼すぎに家を出た時点では、まさか東京に来るとは思っていなかった。それに友香に会うとも思っていなかった。だから俺の荷物には足りないものがいくつもあった。それらを途中のコンビニで購入した、白いレジ袋を持ちながら、俺は狭い玄関で靴を脱いだ。
一人暮らしをしている友香のアパートは、玄関から短い廊下があり、その先に白い壁のワンルームがあった。壁際に小さな勉強机、反対側にはベージュのカバーがつけられた、ベット。ベットの周りには友香が好きな虎のキャラクターのぬいぐるみがいくつか置いてあった。友香らしい部屋だなと、思った。女性、というよりは、まだ女の子と言った方が似合う。
そんなことを思いながら部屋の入り口から眺めていたら、着ていたコートをハンガーに掛けながら、友香はこちらを向く事なく俺に話しかけてきた。
「さっさと着替えて、お風呂も入っちゃいなよ」
「え? それは、なんていうか……」
「なんか、汚い感じするし」
「え? 汚い?」
「うん、髪の毛ボサボサだし、それにズボンの裾とか、雨の染みついてるし。脱いで、洗っとく。乾燥機ついてるから明日には乾くから」
「え? でも、脱いだら服がな……」
服がないと言おうとしたら、タンスのような引き出しから何やら取り出してきて、「だから、はいこれ」と、まだ袋に入ったままのグレーのスウェットセットを手渡された。どこの街でも売っているメーカーのものだ。サイズを表すシールにはXLと書いてある。
「え? これ、お前の?」と、思わず聞いてしまった。もしかして、彼氏がもういるのかもしれないと、自分の心がざわついているのがわかる。
「誰のだっていいじゃん」とだけ言い残し、自分も部屋着に着替え始めた。思わず背を向けてしまう。
――なんなんだ、この流れ?
そう思いながら玄関の方を向いて部屋の入り口に突っ立っていると、「もういいよ」と声が聞こえた。振り向くと、同じようなグレーのスウェットに着替えた友香の姿があった。髪の毛もおでこの上で一つに結んでいる。
「合宿の時みたいだよね」などと言いながら、ベッドに腰を下ろしている姿は、元彼を部屋に招いたという緊張感が感じられなかった。緊張しているのは自分だけかもしれない、そう思った。
「はやくしないと、時間どんどんすぎてくよ?」
そう言われて時計を見ると、もうすぐ日付が変わりそうだった。
――何しにきたんだよ、東京まで。バカなのか、俺は。
「おお」とだけ言って、そのまま進められるがままに、風呂場へと向かい、シャワーを借りた。地元とは違い、塩素のような匂いがするお湯で体を流す。シャンプーを借りると、いかにも女の子の香りといった匂いがした。
――変なこと考えてないで、はやく五稀を探さなきゃだろ。
つい自分に声をかける。急いで服を着替え、風呂場から出ると既に洗濯機が回っているようだった。友香は部屋の真ん中に置かれたローテーブルでノートパソコンを広げて画面を見つめている。
「お、ちょうどいいじゃん」と声をかけられて、またこのパジャマ代わりのスウェットが誰のものか気になった。
「弘樹が言ってたのって、こう言う団体のことだよね?」
パソコン画面をこちらに向けてそう言うので、急いでその画面を見に行った。画面には池袋や新宿で家出少女たちの保護活動をしている団体のホームページが映し出されている。自分でも何度かスマホで検索してみていた団体のものだった。
「そうそう、こういう団体。調べてくれたの?」
「当たり前じゃん。なんのために東京きたの?」
「お、おう」
「弘樹、自分に興味のないこと全くダメでしょ? どうせスマホも連絡手段くらいにしか思ってないし」
「だって連絡とれればいいじゃん」
「いろんな使い方があるんだよってこと。まぁいいや。で? その妹ちゃん、名前なんだっけ?」
「いつき」
「いっちゃんね」と友香が口に出し、それを聞いて、ぎゅっと身体が強張った。
――そうだ、はやく五稀を探すんだ。
ようやく頭が本来の目的に戻ってきたような気がした。何度も確認しているRINKには、母さんからも父さんからも、見つかったという連絡は受けてはいない。五稀のRINKは既読さえついていなかった。
「まずはさ、こういうのってSNSから始まるんだと思うんだけど。いっちゃんのアカウント知らない?」
「あ、知ってる」と言って、五稀のインマルを友香に見せた。あの、夏以降更新が止まっているインマルだ。なぜ、夏以降更新が止まったのか、そういうことはよくあることなのかを、見せながら友香に聞いてみる。
「夏以降ね、多分嫌なことがあって、もう更新しなくなったんじゃない? それか、別のアカウントでやってるか」
「裏アカってやつ?」
「まぁ、そうかもだけど。でもさ、こういうのってこのインマルじゃなくて、
「そうなんだ。そういえば居酒屋の店員さんもそんなこと言ってた」
「だって、弘樹どっちもやらないもんね。化石か!」
「必要ないし」
「まあいいや。でさ、そのいっちゃんのTubuyakkiは知ってるの?」
「いや全然、わかんない」
「ううむ。でも知っていたとしても、家出先を探すなら裏アカだよね。まぁ、知ってなくてもそこはいっか」
「そのさ、裏アカってどんなんなわけ?」
「裏アカを知らない大学生がいた」
「知らないし」
「弘樹って感じ。裏アカっていうのはさ、自分の知ってる人には言えないようなこと書くんだよね。ちょっと待ってて、見せるから」
そう言って友香はパソコンで自分のTubuyakkiのアカウントページを開き、検索ワードに入力をし始めた。
「私もこうやって検索かけたことないけどさ、ほら、裏アカって検索してみるとするでしょ?」
検索ボタンのエンターキーを押すと、ずらっと露出の高い若い女性の写真が出てくる。中にはネット上にあげていていいものかどうなのかもわからないような際どい写真まであった。そこに添えられている言葉まで、俺は直視できない。
「裏アカじゃないね、ごめん、家出で検索しよっか」
友香も同じように思ったのか、焦りながらその画面を戻し、今度は「#家出」で検索し始めた。「#家出」とタグがつけられた写真のついていない投稿が並んでいる。
〈親と喧嘩して家追い出されました。全然お金も持ってきてないです。新宿、渋谷あたりで今晩泊めてくれる人いませんか? じゃないと凍え死ヌ #家出JK #家出〉
〈学校行きたくない。親とも喧嘩したし、もうやだ。マジで死にたい。家出したい #家出 #すてられる #不登校さんと繋がりたい #不登校〉
「でね、このコメント見てみてよ」と友香がそう言って、漫画の吹き出しのようなところをクリックすると、
〈 DMかフォローをお願いします〉
〈泊めてあげるよ。今どこ?〉
などの誘い文句のようなコメントが現れた。中には「家に帰った方がいいよ」などとコメントしている人もいるが、「帰れないから家出してんじゃん」とさらに返しているものもあった。
「こうやって家出女子を誘って、それで泊めてあげるんだよ。でもさ、今時こういうのってサクラもいるらしいけどね」
「サクラ?」
「そう、サクラ。こうやって、泊めてあげるみたいなコメントをくれる男を誘い出して、それで関係した後か、その前かはわかんないけど、怖い人が出てきて、お金を取るパターン」
「まじで? こわっ! え? でもそれで関係を持つ女の子も家出だったりするの?」
「そうなんじゃない? 東京は特にそんなのいそうだって思うよね。街を歩いてても。私は夜の繁華街はなるべく行かないようにはしてるけど」
それなのに新宿駅まで来てくれたのかと、友香の優しさに感謝した。俺への好意ではなく、中学生の女の子を心配しての判断だとは思うけれど。そこはどちらでもいいと思った。友香の言う通り、確かに夜の新宿駅にはいろいろな人が溢れていた。柄の悪そうな若者もいたはずだ。危険に巻き込まれることがあってもおかしくない。
「でね、弘樹。思うんだけど」と前置きして、Tubuyakkiの中から五稀の裏アカを探し出すのはほぼ不可能だと友香は言った。そして、東京の街中から探すのも、同じくらい不可能だ、とも言った。そして最後に、こうも言った。
「明日、私も一緒に保護団体まわるよ。女の子が一緒だと、信頼性が上がるだろうから」
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