第六十一話

「久しぶり」


「あ、うん、久しぶり。てか、誰かわからないくらい髪の毛が」


 友香と待ち合わせ場所で合流したのは、夜の九時半を過ぎた頃だった。まさか返事をくれるとは期待もしていなかったし、ましてや会ってくれる事になるとは、正直思っていなかった。ショート丈のフードにファーがつけられた、白いダウンコートに手を突っ込みながら、改札口に近い壁にもたれている友香が目の前にいる。ここに向かう最中、頭の中ではシミレーションを繰り返して来たけれど、実際に会ったら、なんと言っていいのか分からない。そんな俺の顔を見上げて、友香が話かけてくる。


「てか、その髪の毛うけるね。伸ばし過ぎじゃない? で、どうする?」


「え?」


「だから、弘樹の妹ちゃんを探すのってさ、まずはどうするの? って聞いてんの」


 友香は珍しくスカートを履いていて、別人のようだった。やはり東京の女子大生なのだと、改めて思った。肩まで伸びた茶色い髪を耳にかけ、下から覗き込んでくるその顔は、少し化粧をしていて、その唇は淡いピンクで艶めいていた。


「あ、そうだよね。ごめん、なんかイメージと違ったし、会ってくれると思ってなくて」


「まあね、そんな色々は今は置いておいてだって。だって、心配じゃん。中学生の女の子が一人で東京かもだなんて。それだけで来ただけだし」


 壁から離れ、距離が先ほどより近くなった友香を抱き寄せたくなる。そんな自分でも不思議なくらいの湧き上がる衝動を押さえた。とりあえずはどこかで話をしようと、友香がいい、コーヒーショップへ向かう事にする。大きな駅には必ずと言っていいほど入っている、あのアメリカンブランドのコーヒーショップだ。


 店内に入り、とりあえず温かいコーヒーを大きめのサイズで注文して、ゆっくり話ができそうな、ガラス越しに外が見える位置の座り心地がいい椅子に腰を下ろした。向かい側に座った友香は女子がいかにも好きそうな、クリームがのった季節のホットドリンクを注文していた。


「それで? いつからいなくなっちゃったの?」


「土曜日の夜」


「まじで? めっちゃ日にち経ってるじゃん。今日、月曜日でしょ? えっと、土、日、月って、三日もじゃん。連絡は?」


「ない」


「それってやばくない?」


 そう言って甘そうなホットドリンクを口に運ぶ。あちっと言いながらカップから口を外したその時に、唇の艶かしい姿を白いカップに残しているのが微かに見えた。地元にいる時の友香とは明らかに違う、やはり、東京の女子大生だと思った。


――じゃあ、今、一緒にいる俺はなんなんだ?


「おーい、どっかいってるぞ」


「あ、ごめん、なんか大人っぽいなと思って」


「そりゃあ女子大生ですから。で、あのさ、弘樹、ちゃんと調べてから東京来てるんだよね?」


「え? 調べてって、あぁ、もちろんだよ。いろいろ調べてやって来た」


「例えば?」


「例えば、えっと、家出した少女を保護する団体があるとか」


「バカなの?」


「え?」


「だってそんなの調べて、弘樹がそこに行ったとしてさ、教えてくれると思う?」


「え? なんで、家族だから教えてくれるだろ?」


「家族が嫌で家出してるのに、保護している団体が教えてくれるわけないと思わない? だって、虐待されている子だったらさ、家に戻りたくないから家出するんでしょ? 」


「いや、うちはそんなんじゃないからさ」


「だからぁ、虐待していますって言う人どこにもいないって」


「そ、そうか。そりゃそうだよな」


「あと、男の人が来たら絶対教えてもらえないと思う。男の人に嫌な事されて家出してる子もいると思うから」


 そう言って、友香はまた甘いホットドリンクをガラス窓の外を見ながら、ゆっくりと口に運んだ。


――その通りだ。もしもそんなことで家出してる子がいたら、探しに来た家族には教えてくれないよな。え? でもじゃあどうして、大将の言ってた女の子は家に帰れたんだ?


 コーヒーカップを見つめながら、大将から聞いた話を巻き戻してみるも、その答えを見つけることはできなかった。もしかしたら、保護団体の人が話を聞くことで、帰る方がいいか、そうじゃないかを決めているのかも知れない。


「だいたい、東京に出て来てるかも分からないじゃん。それっていつもの思い込みで突っ走ってるのかもよ? 弘樹、自分で思い込んだら、それの答えが出るまでその路線でずっと走って行っちゃう癖、あるからさ」


 窓の外に視線を向けたまま、友香が俺にそう投げかけてくる。確かに自分にはそういうところがあると思う。でも、そのおかげで、もう死んでいて、いないと思っていた父さんを見つけることができた。


 「私には、なかったけど」小さくそう友香が呟いたような気がして、手に持っていたホットコーヒーのカップから視線をあげた。友香をみると、まだ窓の外をぼんやり眺めていた。夜の街は驚くほど色鮮やかに明るく、今が深夜に向かう時間の途中だなんて誰も思ってないように、行き交う人は多かった。それぞれが、それぞれの家路に急いでいるのか、それとも何処かへ出かけていく途中なのか。自分の住んでいる土地では、見ることがない景色だった。


「あのさ、もし、自分が思った可能性を信じて、答えが出るまで突っ走ろうとここまで来たなら、もう行き着くとこまで行けばいいと思う」


 こちらを向き、友香がそう言った。さっきまでの、ぼんやりとどこでもない場所を見ているような表情ではなかった。


「だって、もうそうなったら、きっと答えが出るまであきらめないじゃん」


 俺の知っている友香だと思った。髪は伸び、色も変わったけれど、化粧までして、可愛らしい女子大生になっているけれど、そういうところは俺の知っている友香だと思った。


「なんであの時、急に別れようなんて言ったんだ?」そう言いかけて、飲み込んだ。今じゃない気がした。その答えも探しに来たんだと、まだ言えない。


「ちなみに、今日はどこに泊まる予定できたの?」


「え?」


「ネカフェ?」


「あ、うん、そうそう。ネットで色々調べようと思って」


「ふうん。そっか」


「え? なんだよ、その言い方」


「別に」


 カップに口をつけたまま、外をまた見始めた友香が今でも愛しいと思った。でも今はそうじゃないと、心を切り替えるも、やはり胸が締め付けられるような痛みを発し始めている。巻き戻されていく失恋の痛み、忙しさに身をまかせ、感じていないふりをした痛みだった。


「あのさ、そんなボサボサで、しかもなんか、その辺のコンビニにちょっと行ってくるみたいな格好で、そんな保護団体に行っても信用してもらえないと思うよ?」


 外を見たまま、友香が言った。反射的に声が漏れる。


「え?」


「そう思わない?」


「思う……かも? でも急いで出て来ちゃったからさ。思い込んで、お前の言うように」


「バカだよね。そういうとこ」


「ま……、馬鹿かもな、そういうところが」


「頭はいいのに」


「まあな、そこそこいいはずなんだけど」そう言ってまたカップに視線を落とした。微妙な空気感が流れているような気がする。友香も押し黙ってしまって、窓の外ばかりを見ているようだった。


――何か言わなきゃこの変な時間、終わらないよな。でもなんて?


 そう思っていたら、同じように考えていたのか、「ああ、もう、さ、」と言ってこちらを向き、カップに残っていた甘い飲み物をゴクゴクと飲み干してから、友香が言った。


「本当に妹ちゃんが東京にいるのか知らないけれど、とりあえずは探すの手伝うし、それで、今日はうちに泊まって、ちゃんとお風呂に入って、髪の毛もしっかりしなよ」

 


 

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