第五十九話
「まぁ、そうは言っても子供の心なんて、親が全部わかるわけじゃないしね」
大将がテレビに視線を向けたまま、そう話し出した。
「俺のとこの娘もさ、上の子だけど。知らない間に年上の彼氏がいたりして、おいおいそれって大丈夫かよって、親ってそういうの知るとさ、なんかこう不安が胸によぎるっていうか、なんつーの、ちょっと複雑な気持ちっていうのかなぁ。そんなんなるわけなんだよね。という自分も高校生くらいの時には彼女くらいいたんだけどさ。兄ちゃんだって彼女くらいいるでしょ?」
「あ、いや。前はいましたけど、今は全然」
「そっかそっか、前はいたんだ」
そう言って大将は笑顔でこちらを向いた。彼女がいないように見えていたのだろうか。こんなボサボサの髪の毛で、部屋着に近い服を着ているからかも知れないが、などと思っていたら、うんうん頷いた後、大将はまたテレビに視線を戻した。
彼女、は、今はいない。高校時代から付き合っていた彼女が一人だけいたけれど、大学に進学してからしばらくして別れてしまった。東京へ進学した彼女との遠距離は思っていた以上に難しいものだったからだ。
付き合っていた彼女、友香は、高校で同じ剣道部だった。友香とは高校で出会ったのではなく、元々スポーツ少年団などの大会で何度も顔を合わせたことがある仲だった。同じスポーツ少年団ではなかったけれど、錬成会などで何度も対戦したこともあった顔馴染みだった。それが同じ高校の剣道部になり、急激に親しくなった。
「あれ? 一緒の高校だったんだ」
「そうそう、おんなじだったんだね。って、私は知ってたよ。頭良いって噂で聞いてたから」
「そうなの? 俺は全然知らなかった。友香がそんな頭いいってこと」
「まぁねぇ。すごいでしょ」
「いや、同じだし? 同じ高校なんだから」
「だよね、あはは。女子と男子で違うかもだけど、遠征とかあったら一緒に行けるね」
「あ、うん、そうだな。でも勉強メインで高校来てるから、どこまで参加できるかわかんないけど」
県内トップの進学校の剣道部なら、そこまで遠征もないはずだと思っていた。スポーツ少年団の時は母さんにずいぶんお金を使わせたと思っていたからだ。ありがたいことに、入っていたスポーツ少年団は防具一式を貸してくれたし、剣道着もサイズが小さくなったものを先輩から譲り受けていた。竹刀と小手さえ買えば、そんなに裕福ではない家でも入団することができたのだ。しかし、遠征や試合が遠方で開催されると行かなくちゃいけない。成長するにつれ、その費用が気になり始めた。
「全国大会、今年は広島県だって!」
「うんうん、楽しみだね、今からちゃんと準備しておくからね、それにしてもありがたいわよね。全国大会の宿泊費用は交通費以外全部大会持ちなんて。しかも県の代表選手なんだよ。お母さん嬉しくって嬉しくって」
その時の「今から準備しておかなきゃね」や「それにしてもありがたい」という言葉を、その時はなんとも思っていなかった。でも、中学生になり、どこの高校にするか、その高校へ行くための交通費はいくらかかるのかなどを自分で計算し始めた頃から、やりたいと言って始めた剣道に、どれくらいお金がかかっていたかを知った。だから、高校からは剣道をやめようと思っていたのだけれど、やっぱりやめることはできないと思った。剣道の集中する感じをどこかで持っていたかったからだ。それに母さんが、父さんも昔、剣道部だったと教えてくれたのが大きかった。父さんに再会した事で、父さんの今まで歩んできた道に触れていたかったし、剣道の話で会話も弾むのが嬉しかったからだ。
「で、そこで合い面一本で勝ったのか?」
「そう。そこで合い面。一瞬負けたかと思ったよ。ですぐに審判見て、赤が上がってて、やった! 勝ったって。ガッツポーズを抑えるくらい無茶苦茶嬉しかったんだよね。だって一回も勝てた事ない相手だったからさ」
「ははは。ガッツポーズしてたらアウトだったな。なぁ、それビデオ撮ってなかったの?」
「ごめんなさい、それ、大人は入場できないから撮れてないの」
「そっか、残念、見てみたかったなぁ。息子の華麗なる合い面」
「でも見たら本当は向こうが勝ってるかもよ? ビデオで見ると審判の判定間違ってるのに気づくことあるから」
「ははは。確かに、それはよくあることだな」
たまにやって来てくれる父さんとの、そんななんでもない普通の会話が、嬉しかった。本当の家族ができたみたいで、「息子」と呼ばれることも嬉しかった。だから、再婚すると聞いた時は、心の中で飛び上がって喜んだ。妹ができるという事も、不安よりも嬉しさの方が上回っていたと思う。できるだけ心に寄り添って、早く仲良くなりたいと思っていた。
――だから始めて会った時、ゲームを持って行ったんだよな。父さんになんのゲームをやってるか先に聞いておいて。
元々ゲームは好きじゃない。ゲーム機を買ってもらえなかったわけじゃないけれど、友達がやっているような、いわゆるバトル系のゲームはそこまで興味がなかった。それよりもどうやったらこんなゲーム機が作れるかの方に興味があった。でも父さんから聞いた、五稀がその当時やっていたゲームは、素材を自分で集めて来て、ゲームの中の世界そのものを作り出すようなゲームだった。助かったと思った。会う前にいろいろネットで調べて、ゲームの知識を詰め込み、始めて会う日を待ちわびた。会った時に、優しい面白いお兄ちゃんだと思ってもらえるように。
――それなのに、俺は……。
感傷的になってる場合じゃない、はやく五稀を見つけなくては。東京へ向かうとなると、今から特急電車に乗ればいい。そうすれば二時間もあれば着くだろう。
――でも俺も東京はそんなに詳しくないよな。遠征で行ったくらいだし。てことは、俺だってあの有象無象の街の中でどこに行っていいか分からなくって、彷徨い歩いてしまうんじゃないか? ……誰か、頼れる人がいた方が?
その方が効果的に探せるような気がした。道に、電車に、迷いながら行くよりも、確実に目的地へ向かうことができる気がする。で、あれば、誰か。
――孝哉は連絡が取れるだろうけれど、妹が家出したなんて言いたくないよな。深い事情も知らないし。あとは、そうだよな、友香なら知ってる……か。
誰にも言えない心の闇を、友香にだけは話していた。小学校の時からの顔見知りっていうだけじゃなく、少しずつ肌が触れ合うことで、他の誰よりも気が許せたのだと思う。親が再婚したことや、妹と実は血がつながっている事も話していた。
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