第五十八話
スマホで検索をすると、今いるO駅に併設されているバスターミナルから新宿行きのバスが出ていることが分かった。現在時刻と合わせて見ると、十八時発のバスにはもう間に合わない。でもそれは、これから東京へ行くとするなら特急電車に乗ればいいだけの事だと思った。同じようにバスに乗って東京へ向かう必要はない。大事なのは、五稀が東京に行く可能性がどれくらいあるかという事だ。大将自慢のツクネを口に入れてコリコリという歯触りを噛み下しながら、時刻表をタップし、料金表示のところでスマホ画面に視線が留まる。
――片道二千三百円〜三千百円って、そんなに安かたっけ?
いくつか出てくる高速バスの案内は、予約サイトが多数あるからなのか料金には幅があった。「三千円くらいしか持ってないと思う」と言った母さんの話が本当だとすると、五稀が東京に言った可能性は、「家出のために
――東京へ行った可能性が、ゼロじゃないどころか大いに増えてやしないか?
もしも家出をしたいと前から思っていて、予めお金を貯めていた場合、東京へ行くことは可能だろう。しかしもしも突発的に家出したいと思って、東京へ行こうとした場合も、このバス料金であれば可能だと思った。
――でもその場合の行き先は?
その場合の行き先は、知り合いの家か、さっき聞いた保護団体を頼る、もしくは、SNSで知り合った誰かのところへ行ったの三つの可能性が見えてくる。中学二年生の五稀が、東京に長期にわたり泊めてくれるような知り合いがいるとは、どうしても思えない。俺が知っている限り、親戚もいないはずだ。とすれば、残るのは保護団体か、SNSで知り合った誰かの家に泊めてもらっている、この二つの可能性のどちらか。
――SNSって、まさか、そんな危ないことはしてないよな? てことは保護団体か?
「大将、あの、さっき言ってた家出少女の保護団体って、どんな感じなんですか?」
「まさかお兄ちゃんも家出なの? ははは、冗談冗談。あのね、そこは女の子専用みたいだから、兄ちゃんみたいなのは保護してもらえないよ」
焼き台の中で腕を組みながら暇そうにテレビを見上げていた大将が、こちらを向き、笑顔でそう答えた。
――もしかして、そんな風に俺、思われていた?
そんな風に、というのは、家出でもして来たように見えたという事だ。
――確かに、今の俺ってそう見えなくもないか。こんな髪の毛もボサボサで、店に入った時もきっと、最悪な顔してただろうし。
カウンターと焼き台の間にある透明な間仕切りにぼんやり映る、自分の顔を見た。髪の毛がひどく乱れているように思える。
――髪の毛切ってなかったしな。
高校まで剣道部で、ずっと丸坊主だった。だから思春期の全てと言っていいほどの時間を丸坊主で過ごして来た俺は、大学に入り坊主を卒業した。坊主ではない髪型に憧れがあったのだ。それでもだらしなく伸ばすことは、性格的にできない。バリカンを持ち、自宅の風呂場で自分で刈り上げれば床屋へ行かなくても良かった俺の頭は、二ヶ月に一度くらいは格安の床屋へ行って、切って貰わなくちゃいけなくなった。正月前に髪の毛を整えればいいと思っていた俺の髪の毛は、今、絶好調に伸びていて、前髪も目にかかりそうだった。しかも少し天パが入った髪質が雨の湿気を吸い、酷くボサついている。自分の姿を俯瞰してみれば、いかにも何かを抱えていそうな雰囲気だと思った。
――もしかして、そう見えたから、焼き鳥を最初に頼んだ時、一本多く焼いてくれたのか?
そう思われていた自分が少し恥ずかしくも思えたが、大将がそんな気持ちで焼き鳥を焼いてくれたのかも知れないと思うと、胸の奥に温かいものが湧いてくるような気がした。身内に家出をして保護された少女がいて、連日のように報道される猟奇的殺人事件のニュースを見て胸を痛めている大人だから、そんな風に思ってくれたのかも知れない。
――いや、全ての大人がそうじゃないとは思うけど。でも、もしそうであれば、もっと色々聞いてみたらいいんじゃないか?
家出少女の保護団体の事や、詳しい経緯をもっと知りたいと思った。さっき電話の話だと、五稀も大将の娘からその保護団体の話を聞いていると思ったからだ。もしそんな話を聞いていたとすれば、可能性はさらに広がる気がした。大人にはわからない、子供達だけの会話がそこにあるような気がする。
「あの、大将実は……」
「なに?! やっぱり兄ちゃんも家出なの?!」
やはり、家出するように思われていたようだ。テレビに目を戻していた大将は勢いよくこちらをまた向いて、言葉を被せて来た。
「いや、俺、あ、僕は家出じゃないです」と、急いで手を振りながら大将の問いかけを打ち消して、話を続ける。
「あの実は、僕の知り合いの女の子も家出してるみたいで、その、今、みんなで探しているんです」
「本当に? それは心配だよねぇ。だって、ほら、また先月もあったでしょ? あの事件」
「そうみ……たいですね」
「毎月中頃に一人ずつ発見されてるみたいだし。ほら、あの可哀想な遺体。あああ、想像するのも恐ろしいって」
ネット記事で読んだまでのことは、さすがにテレビや新聞では報道されていないが、遺体に首がない事や、遺体に内臓が入っていなかった事までは報道されていた。遺体の内臓が抜かれていたということが、「臓器売買組織」との関係を連想させるからだ。実際ネット記事もそういった組織の仕業ではないかということが載っていた。
《 臓器売買をビジネスとして、多額の利益を生み出す組織存在しています。人身取引で購入した人間の臓器を摘出する例も少なくありません》
確かそう書いてあった気がするが、それであればわざわざ発見できるように遺体を遺棄しないだろうというのが、コメンテーターや犯罪に詳しい人々の見解だった。
――俺もそう思う。それなら遺体の足首に実名入りのタグなんてつけないはずだ。
「でもさぁ」と大将がテレビにまた視線を戻して、話を始めた。
「家出したら、自分の身が危険って思わないんかねぇ。まぁ家出したい時期っていうのはあると思うんだよね。実際、俺もそういう時あったしさ、誰でもあると思うんだけど。でも、今はあれだよねぇ。ネットですぐに誰とでも繋がれちゃうから、怖いよねぇ。俺も自分に同じくらいの娘がいるから、スマホを取り上げたほうがいいんじゃないかってことまで考えちゃうわけよ。ま、うちの身内もネットで知り合った人のとこに行くつもりで東京行ったんだしね」
「どうやってそんな人探したんですか?」思わず聞いてしまう。
「なんつったか、若い子とかがよくやってる短い言葉で呟くみたいなやつ? あれでキーワードみたいなやつ書いて探すらしいよ。ほら、ニュースでもよくやってるじゃん。知らない? ほら、あれだよあれ、家出してますみたいな、泊めてくださいみたいな? なんとか待ちってのも、あったんじゃなかったっけ?」
「神待ちってやつですか?」
「そうそうそれ、それみたいなこと打ったらしいんだよねぇ、そのなんちゃらってやつに、いつも使ってない裏なんちゃらってやつで」
「
後ろから声が聞こえた。振り返ると、先ほどの店員だった。
「大将なんちゃらじゃわかりませんって。Tubuyakkiと、裏アカですよね。結構多いみたいですよ、裏アカ持ってる人。私も持ってますけど」
女性店員も同じようにテレビを見ていたようだった。テレビのニュースは天気予報になっている。
「大将、この感じだと、この後の時間がヤバそうなんで、私今日、忙しく無いならあがっちゃダメですかね? 車で帰れなくなりそうだし」
「そうだなぁ。後三十分くらい待ってみて、それでお客さん来なさそうなら今日は帰っても大丈夫だわ。もし最悪忙しくなったら母ちゃん家から呼ぶし。七時から来る古川ちゃんと入れ替えで帰っていいよ」
「あの、すいません、裏アカってなんですか?」と、その若い女性店員に聞いてみた。Tubuyakkiをやらないから、その仕組みも裏アカもあまりよく分からなかった。不思議そうな顔をしてこちらを向き、尋ねてくる。
「え? お兄さん、今時、Tubuyakkiやらないんですか?」
「あ、まぁ、はい。最近登録したばっかりで。で、あの、さっきの裏アカってなんですか?」
知らないことは恥ずかしがらず、知ってる人に聞けばいい。
「裏アカっていうのはぁ、表のアカウントじゃ無いっていうかぁ。だから裏アカなんですけど。なんて言うのかなぁ、裏アカは基本的にリアルで繋がってる人には教えなくって、だから酷い愚痴を書いてもいいと言うのもあって結構みんな愚痴ってたりしますよね。あ、あと、好きなアニメとかそういうののアカウントをフォロって見てるだけで使う場合もあるしぃ?」
「え? よっちゃん、まさか店の愚痴とか書いてないよね?!」
大将がカウンターの中から身を乗り出して聞いてきた。
「書きませんよ、だってそれ書いたら特定されちゃうじゃないですか。私だって」
「そういうもん?」
「そうですよ。裏アカってもっと個人的に特定されないようなこと書きますって。確かあのニュースの女の子達もそれ使ってたみたいじゃないですか? じゃなくちゃ家出したいなんてリアルで書きませんって。大将の言ってたその身内の子、それで東京まで行っちゃたんでしょ? 大将、娘さん気を付けないと危ないですよぉ? 」
「やめてよ、よっちゃん、そんなこと。でもそうだな。後で確認してみっか、お前、裏アカやってないだろなって」
「絶対やってないって言うと思いますけどね」そう笑いながら、よっちゃんと呼ばれた若い定員は、用事があるのか裏へ消えていった。
――Tubuyakkiで、裏アカ、キーワードを打ち込んで検索……、そして東京。きっと、それだ。
ここに来て良かったと思った。五稀の血の繋がらない兄だと名乗る事なく、情報を得た気がした。多分その友達に会いに行っても、同じような情報だっただろう。裏アカとやらはリアルな知り合いに教えないなら、その子も知らないはずだ。
――ではどうやって見つけ出す? 考えろ。可能性は一番どこにあるのかを、考えるんだ。
皿に残る最後のねぎま串を口に運びながら、今までの情報を整理して、どこから手をつければいいかを思案していた。
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