第五十五話

 一番最初に巻き戻された俺たち兄妹のやりとりは、新しい「家族」として引っ越しをしたその日の夜だった。五稀から、「よろしく」と書いたウサギのスタンプが一つだけ押されている。あれは確か、引越し作業が終わった夜に、父さんが「家族で何かあった時に必要だから」と言って、家族四人でRINKを交換した時に五稀が押したスタンプだ。日付は三月三十日。ギリギリまで引越しを拒んでいた五稀の気持ちをくんで、できるだけ三月の終わりに引っ越ししたのだ。


 新しく引っ越した家は、父さんの学生時代の友人がやっているという、建築会社のモデルルームだった家だった。その家は、築十年以上は経っていたが、モデルルームということだけあって洗練された作りだった。そんなには広くはないけれど、吹き抜けの開放的なリビングと、そこへつながるオープンキッチン。こじんまりとした和室がリビングのすぐ横にあり、玄関を入ってすぐ横には洋室があった。リビングから登っていく二階には洋室が二つ。そこが俺と五稀の部屋だった。


《 開放的で、いつでも家族の顔を見て暮らせる理想的な家 》


 そんな謳い文句がついているそのモデルルームは、もしかして五稀には余計に辛いものになったかもしれないと、ふと思った。本人にとって好ましく思えない家族が、いつも顔を見合わせなきゃいけない。それは思春期の少女にとっては、辛いことではなかったか。急に人生に割り込んできた、新しい血の繋がらない母親と、血が繋がらない兄。


――違うな、血が繋がっている事を五稀だけが知らない兄って事だ。


 俺は引っ越したとき、ここが自分の家族の家だと思った。やっと出会えた父さんと、ずっと一人で俺を育ててくれた母さん、そして半分血の繋がっている妹。ここで四人で、家族だと、あの時俺は思っていたはずだ。でも五稀はそうじゃなかった。リビングを通らなくては自分の部屋に行けないその間取りは、会いたくない時でも会いたくない人に会わなくてはいけない。逃げ場のない世界。学校から帰ると駆け上がるように二階へ走って行った後ろ姿を思い出す。中学の入学式の日、父さんと入学式に出た五稀は帰ってくるなり、自分の部屋に走り去るように消えたのだ。リビングには母さんと俺がいた。


――あの時も五稀は五稀なりに傷ついていたんだ。それを俺は何にも気づかずに、いいや、違う。気づいているふりをして優しくしてたんだ。俺もおんなじだから分かるよって言って。


 後悔をしても仕切れないけれど、巻き戻された記憶の自分も最悪な兄だったと思った。そこから始まる俺と五稀の時間は、どうなったのだろう。「よろしく」のスタンプだけが押され、俺も同じスタンプを送り返したその日から、ゴールデンウィークごろまでは何もメッセージのやりとりがない。


〈 前の学校の友達最高!〉


 と書かれた吹き出しのメッセージが次に来たのは、五月三日だった。これをどんな気持ちで送ったんだろうか。俺はあの当時どう思ってこのメッセージを読んだのだろうか。「いいね」と書いてあるスタンプだけを送信しているところを見ると、やはり、五稀の気持ちは考えていなかったのかもしれない。もしかしてこの時、五稀は「前の学校にずっといたかったのに」というメッセージを俺に送っていたんじゃないのか。胸が痛くなる。キャッチボールは受けてくれる人がいないと成り立たない。俺は五稀のボールをちゃんと受けてなかった事がよく分かる。一人でいくつものボールを「同じ立場だからよく分かるよ」と言った俺に投げ続けている、健気で寂しそうな五稀を想像した。申し訳なかったと、涙が滲んでくる。でも、探さなくては行けないと、その少し下を見た。


「あ……」


 投げっぱなしでどっかに転がっていくボールのような五稀の、そのメッセージの下に、写真がある。女の子が三人で写っているものだ。その下にもう一つ吹き出しがついていた。


〈 今でも超仲良しなんだよ! みきと、ゆうなでーす! 弘樹君の写真送ってください。見たいんだって 〉


 そういえばそんな事があったのを思い出した。でもその日は剣道の試合ですぐに返信ができなかった。その後にも、


〈 送ってね! 待ってまーす! 〉


 とメッセージが来ていて、友達の家らしき背景に三人の少女の写真が送られている。そこには、「今日はお泊まり」とスマホのアプリで書いたであろうピンクの文字が添えられていた。あの日もその友達の家に泊まったのだろうか。「みき」、もしくは「ゆうな」と書いてある名前のどちらかの家に。何か思い出しそうな気がする。なんだったか、何か思い出しそうな、脳内で記憶が蘇り始めてくる感覚がした。


――なに小学校だった? 確か、そうだ、確か小山西小学校じゃなかったか?


 なんでそんな簡単な事を思いつかなかったのか、自分でも不思議だった。小学校のある場所に住んでいる友達の家に行くのであれば、実家まで帰る必要はもうない。帰ってこないでほしいとも言われたじゃないか。であれば、直接そこへ行けばいいだけのことだ。すぐにスマホで「N県小山西小学校」と検索をかけた。出て来た小学校の場所は、小山駅から近い場所だった。今乗っている電車が後一時間もすれば到着する街。


「もっと早く気付けよな」


 そう自分に言い捨てて、急いでスマホのRINK画面に戻り、先程の続きを見始める。どこかにヒントがあるはずだ。時間をまた最初から巻き戻し、「今日はお泊まり」と書いてある写真のあたりへと移動する。その下には、俺自身が送った、剣道着を着た写真が張り付いていた。変な顔をしていると自分でも思うけれど、「かっこいいですだって!」とメッセージがその下についていた。もしかしたら友達に俺を見せてとせがまれて、それでメッセージをくれたのかもしれないと思った。早く、気づいてやれば良かったと思っても、後の祭りである。その時間を見ると午後六時三分だった。もうその友達の家にいるのだろうか、と急いで次の写真まで指を動かした。


「あった、これだ」


 そこには、居酒屋らしき店内で、仲良く三人が色とりどりのジュースを片手に写っている写真が載っていた。「お酒みたいなジュース!」と写真に書かれている。子どもだけでそんな店に行くなんてことはあり得ない。きっと写っている友達のどちらかの家が居酒屋なんだと思った。


――どこかに店名が書いてないか、どっかあるはずじゃないか?


 そう思って、画面をタップし、写真を画像フォルダに保存する。急いで画像フォルダからその写真を選択して、拡大しながら店名を探した。壁に書かれているメニュー表には焼き鳥の種類が書いてあるが、店名は見当たらない。その下にある、野菜炒め、もつ煮込み、じゃがいも餅などの札の周辺にも店名は書かれていない。位置を指で細かく動かしながら注意深く探してみる。テーブルの上にはおしぼりらしき白い物体、被写体の少女の後ろに映る後ろ姿の人影は、スタッフだろうか。そのスタッフらしき人が来ている黒いTシャツには白い文字で何か書かれているような気がする。可能な限り指を動かして拡大をしてみると、ぼやけてはいるが、読めなくない字が見えて来た。


「多分ここは居酒屋って書いてあるんだろうな……、で、これは、えっと」


 被写体の少女たちが手前にいるせいで、頭の一文字しか見えないけれど、多分、その文字は「鳥」ではないかと思った。急いで「N県小山駅周辺 居酒屋 鳥」と打ち込んで検索をかけると、グルメ紹介のページが画面に上からずらりと並び、何軒か「鳥」とつく居酒屋はあるようだった。その中に、五稀が送って来てくれた写真の店内にそっくりな店がある。「居酒屋 鳥よし」と書かれたその店。


「ここだ」


 きっとそこに五稀につながる何かがあるはずだ。俺は、小山駅から徒歩五分の場所にある、その「居酒屋 鳥よし」へ行き先を変更した。

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