第二十九話
「何でまたテレビがついてるの?」
一階に降りてくると、リビングでテレビを見ながら子供達がおにぎりをかじっていた。
「えー、だって、さっき途中だったから」
「信じられない! ダメでしょ? ちゃんと椅子に座ってテーブルでおにぎり食べなきゃ! ご飯粒が落ちそうだって、ほら、夢輝そこ、そこほら!」
お母さんがなかなか降りてこないと思ったのか、それとも、全く私のことを気にしてなかったのか、リビングのソファに座っておにぎりを頬張りながらテレビを見ている夢輝の指の隙間から、海苔からはみ出た白いご飯の塊が落ちそうだった。
「あ、本当だ」
「本当だじゃなーい! もう、テレビ消して、早くテーブルに座って食べる! あ、お味噌汁よそってないじゃん。光、お願いしたよね?」
「あ、忘れてた」
「忘れてたじゃなーい!もう!ほら、早くこっちきて、座る!」
ぶつくさ文句を言いながら、テーブルにやってきたので、味噌汁の鍋に火をつけて、少し温め直してから二人に出すことにした。二人とも、ネギはあまり好きじゃないから、ネギを多めに入れてやろう。そう思っていたら、テレビの音が聞こえてきた。
『はい、じゃあしっかり血が抜けたことがこれでわかりますね! 身が白く輝いているのがわかりますか? こういう下処理をきちんとするか、しないかで、生臭さが違ってくるんで、皆さんも河口付近でスズキを釣ったら、ちゃんとしてみてくださいね。それでは! レッツクッキングターイム!』
テレビの中では、まさやんと名乗るCTuberさんが、きれいに血抜きされた美しい白身魚の刺身を作り始めるところだった。その声はとても明るく、効果音も楽しげだったけれど、私の中にまた不安という名の塊が落ちてきた。
――もう、本当やだ。何かの呪いなの? あの週刊誌の記事の中に私の意識を閉じ込めたいの? 私にはそんな事件関係ないんだってば。
急いでテレビのリモコンを手に取り、電源を落とした。
――もう、本当やだ。コーヒーでも淹れて、気分を変えなきゃ。
と、リモコンをソファとセットで買ったローテーブルに置こうとした時、白いソファにふわふわしたものが見えた。もぞもぞっと、動いている。
――玉吉発見! はぁ、良かった。これで二匹は安全だ。
安全というフレーズが脳内に浮かんできて、少し変な気がした。いったい何から安全なのだろうか。いつもと変わらない風景だというのに。やはり、心に週刊誌の呪いが少しかかっているのかもしれない。そんな呪い、いったい誰がかけたのだろうか。
――あとは、キナコだけだ。
キナコはお隣さんの庭に迷い込んだ、小さな子猫だった。当初、お隣さんで飼うつもりだったらしいけれど、お子さんに猫アレルギーがあることがわかり、うちに話がやってきたのだ。もう五年ほど前のことである。その名の通り、キナコ色をした長い尻尾の日本猫で、小さい頃から子供達と過ごしているせいか、誰にでも人懐っこい猫である。誰にでも人懐っこいのは、我が家の中だけではない。キナコが歩いていると、近所の人はキナコちゃんと声をかけるくらいだから、多分、いろいろな家の庭先や玄関先で昼寝をしているのだろう。
そんなキナコは三匹の中でも一番家にいる時間が短い。「きっと、第二の家、第三の家があるんだよ」と、貴志君は言っている。愛人宅がいくつもある政治家か社長さんか、そんなイメージだけれど、あながちその想像は間違っていない気がする。キナコは雌猫だから、その逆なのかもしれないけれど。
そういえば、こんな事があった。ある時、キナコの首輪がどこかで外れたのか、無くなってしまったのだ。すぐに新しい首輪を着ければ良かったのだが、なかなかうまくキナコと噛み合わなくて、首輪のない猫の期間があった。大体二週間くらいだろうか。それでもいつもと変わらず家に帰ってくるからと、無理なく首輪を付けれる機会を待っていたら、だんだんキナコが痩せていったのだ。
最初は気のせいかと思ったけれど、さすがに子供達も、「きなこなんだか軽くなった」と言い出して、「これは絶対おかしいぞ」と家族内でなり、動物病院で診てもらったのだ。獣医さん曰く、どうやらお腹を壊していて、誰かに餌をもらって食べているんじゃないかとのことだった。
「きっと首輪がついていないから、人懐こい野良猫だと思って、良かれと思った人がキャットフード以外の人間のご飯をあげているのかもしれないですねぇ。そういう人、いますから」
そう言われた時は、大いにありうる話だと納得した。だから、すぐさま文字の書けるような首輪を買ってきて、その首輪に「餌をあげないでください」とマジックで書いたのだ。その後、獣医さんの推理は正しかったのか、しばらく経って、キナコは元どおりのぽっちゃり猫ちゃんに戻った。外に出るということは、そういう危険性もあるということだ。
でも、我が家の猫は外にいく。貴志君曰く、「猫は元来自由な生き物だから」だ。さすがに外に行くのが日常になってしまっている三匹を、今更家の中に閉じ込めてしまうのは、無理な気がする。それこそ、ストレスを感じるだろう。もう、外の世界を知ってしまったのだから。最初から家の中だけの世界で生きているならば、ともかく。
それにしても、キナコはどこにいるのだろう? どこかの家に上がり込んで、キナコと呼ばれ、もしくはキナコではない名前で呼ばれ、可愛がられているのだろうか。なんだかそう思うと、本妻としては気に触るが、愛人宅も居心地がいいのかもしれない。
――いや、そういうことじゃなくって、安全を確認したいんだってば。
出かける前に、キナコは帰ってくるだろうか。もうすぐ雨も降りそうだし、はやく私もこの胸の塊を手放したいのに。
でも、出かける時間になっても、キナコには会えなかった。昨日の夜は家にいたから、朝から出かけているのだろうか。水族館から帰ってきた時、キナコが家にいるといいのだけれど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます