第二十七話
家に戻ると、予想に反して、もう子供たちは起きていた。パジャマ姿のまま、二人並んでリビングのテレビでいつものCTubeを見ている。「まさやんのお料理チャンネル」のロゴマークが画面の右上に出ていて、ちょうど何か、魚を捌いているところだった。
「お母さん、遅い!」
「もうゴミ出し時間かかりすぎだよぉ。僕もう朝ごはんだと思って起きたのに、お母さんいないんだもん」
「ごめんごめん、ちょっと立ち話してて。って、そんなこと言うなら、ご飯の前に着替えたり、顔洗ったりできるじゃない。CTube見てるよりやることいっぱいあるはずだよ?」
「えー。だって、水族館でまさやんが捌いている魚見れるかなって思って、お姉ちゃんと見てたんだもん」
「でもさ、よく考えたらあそこの水族館、川の魚ばっかりだから、まさやんが捌いているお魚いないかもよ?」
「えー、そうなの? お姉ちゃんそれなら昨日なんで海の水族館にしてくれなかったんだよぉ」
「だって、夢輝寝てたじゃん!」
「起こしてよぉ! そういう時は! ねぇ、お母さん今から海の水族館に変更してよぉ!」
確かに今日行く予定の山並水族館は、淡水魚の水族館で、いつも見ているような海の魚はいないだろうと思った。でも、今まさに目の前の画面に映る、血のついた魚の内臓と、ぬらぬらとした血糊がついている出刃包丁を見ていたら、水族館で魚を見るときに思い出してしまいそうな気がして、夢輝の希望には添えないが、予定通りに山並水族館に行くことにした。テレビ画面はさっきよりも少し作業が進んだのか、内臓を取り出した魚の身体を水で流している様子が映し出されている。
――下処理がちゃんとされていて
そんな言葉が浮かんで、それを打ち消すように、夢気を宥める。
「今日は、もうすぐ雨も降ってきそうだし、近場にしよ? 雨なのに、遠くまで車で行くのは危ない気がするし、ね?」
「えー! 僕みたいお魚いっぱいあったのにぃ!」
でも、そこは譲れないと思った。なんだかこの一週間、キナコの首輪についていた小さな紙から始まり、防犯カメラに、週刊誌の記事、さっきの吉田さんの話と、気味が悪いことが続いている。まぁ、それは家族の誰も知らないことで、私の中だけの問題だけど。でも、やっぱり気持ちよく家族での時間を楽しみたい。そんな事件には無縁の、普通の家族だという時間を、今日は過ごしたいと思った。
「とりあえず、テレビはおしまい。二人とも、着替えて顔洗ってきて。ご飯すぐできるから。あと、お父さんも起こしてあげてね」
少しふてくされながら、夢輝も着替えに自分の部屋に向かった。とは言っても、まだ姉の光と同じ部屋なのだけれど。一人で寝るのが怖いらしく、自分の部屋はあるけれど、今だに一緒の部屋にしている。二人分の勉強机と二段ベッドでは、狭いと思うけれど、光もどうやら同じ気持ちのようで、仲がいい兄弟といえば、そうなるのだろうか。でも、それも光が中学生になる頃には、部屋を分けなくてはいけないだろうと思っている。
――中学生か……。あっという間に来そうな気がする。そしたら、スマホ問題が出てくるんだよなぁ。
スマホ問題と思い出して、またあの週刊誌の記事を思い出してしまった。名前をなんといったか忘れてしまったが、弁護士の先生のインタビューで、スマホの取り扱い次第では、凶悪な恐ろしい事件に巻き込まれることがあると書いてあった。もしも、うちの子供がそんな目にあったとしたら。あんな、酷い事件。
《 これから料理でもするのかと思うくらいの下処理がされた遺体だった 》
週刊誌のそのページが脳裏に思い出される。デカデカと強調して書いてあった、〈 第一発見者と一緒にいた〉〈猟友会のメンバーが語る〉〈報道されないその残虐性〉のタイトルも。
――だめだ。その話は今日はおしまい。楽しむんだから。
私は被りを振って、意識を目の前に戻しながら、朝食のおにぎりを握る。できるだけ、洗い物は少なくしたいから、朝ごはんは簡単に鮭と梅のおにぎりにしたのだ。味噌汁は、昨日ビールを飲んだ貴志君がきっと飲みたいだろうと思って作ったけれど、これだと洗い物は、お皿一枚とお椀だけで濟むと思った。洗濯機は回っているが、今日は部屋干しにしないとダメだろう。さっきの感じだと、雨は予報より早く降ってくる。そう思って、外を見たら、まだ雨は降ってないようだった。
――さっき、確かポツッと鼻先に当たった気がしなんだけどな。
雨の気配を感じていたら、そんな気がしたんだろうか。そんなことを思ったら、またさっきの吉田さんの話が浮かんできた。「アパートが監禁場所、この近くに被害者の少女が来ていた」まさかとは思うけれど、気になることは気になる。それに、キナコについていた小さな紙。
――そういえば、猫たちは今どこにいるんだろう?
猫達は雨の気配を感じると、家に戻ってくることが多い。雨雲を察知して、猫の髭がビリビリする絵本を読んだことがあるけれど、本当に猫とはそういう生き物なのかもしれない。
「福ちゃーん? キナコー? 玉ちゃーん? 家の中にいるー?」
呼んでみたけれど、もちろん出てくるはずもないので、出かける前に、ご飯がちゃんと猫専用ドアの隣の器にあるか、確かめに行くことにした。思いにふけりながらおにぎりを握っていたら、知らない間に、一人二個ずつ、八個のおにぎりができていた。幼稚園時代、毎日お弁当を作っていただけのことはある手際の良さだ。もしかしたら、貴志君はもう一個いるかもしれないけれど、その時は私のをひとつ渡せばいいだけのこと。
――さっさと、支度をして出かける用意をしなくっちゃ。髪の毛も直さなきゃだし。
我が家の猫専用ドアは、リビングから庭に出るガラス窓の間に取り付けられている。窓枠の上から板が下まで入っていて、そこに、市販の猫専用ドアがついているのだ。猫が頭で押して出たり入ったりできる簡単なもので、寒い冬は風でバタンバタンとそのドアが揺れ動く、光熱費に優しくないドアだ。
実を言うと、猫が外から戻ってくる時に、足を拭かないのが私はとても気になってしまう。運良く帰ってくる時に鉢合えば、専用のタオルで足を拭くことができるけれど、うちの猫は自由に出入りできるから、そのタイミングはなかなか難しい。だから、猫専用ドアのところには、使い古したバスマットが足を拭くために敷いてあって、どうせならと、その中にお盆のようなものを置き、そこに、餌入れと、水を置いている。
猫専用の足拭きバスマットは、最初に私が思ったよりも汚れなかったけれど、それでも、気になるものは仕方がないので、その使い古したバスマットを敷いている。あの、いつもペロペロ舐めている行為が猫達の足をきれいにしてくれているのだろうか。猫は綺麗好きな生き物だから。
それにしても、うちの猫たちはどこにいるんだろう? 雨が降り出しそうな天気なのに。
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