第二十五話

 次の日がゴミの日で良かったと思った。なんとなく、寝室のゴミ箱に丸めた白い塊があるのは、子供たちもいる家だし、気が引けてしまうから。


 昨日の夜、なんだか私はおかしかった。怖いテレビを見た後で、トイレに一人で行けない子供のような感じになってしまって、誰かがそばにいてくれないと不安で怖かったんだと思う。自分でも、そんな風に大人になってからなるとは思わなかったし、それよりも、貴志君の寝ている時の背中が大きくて、くっついていると安心できた。それと、なんだか自分でもおかしなくらい、興奮してしまった気がする。そして……、誰にも言えないけれど、貴志君に抱かれながら、頭の中では違う人の顔も浮かんでしまった。いけないと思いながら、その後ろめたさも消したかったのかもしれない。でも、誰にも言えないし、自分でも認めたくはない。


 なんでそんなことを思ってしまったんだろうか。後藤さんに恋心? いや、違う、仕事姿がかっこいいから、それもよくわからない。もしかしたら、後藤さんの置かれている環境に同情していて、それを癒してあげたいと思ったのかもしれない。もしそうなら、わたしは最低だ。


 誰にも言えないし、もう二度とそんな風に考えるのはやめようと思いながら、ゴミ置き場に向かって歩いている。ゴミ置き場は線路を渡った向こうにあるから、車で行けばすぐだけど、なんか歩きたい気分だった。


 今日はこの後、家族で水族館に出かける予定だから、ゴミを出して、一通り掃除機だけかけて、洗濯物を干してからしか出かけれない。それを全部するのは私だから、急がなくては、出発が遅れてしまう。そこにきて、今日の私の髪の毛と言ったら、一つに結べばなんとかなるはずなのに、鳥の巣みたいな部分があるせいで、身支度を整えるのも、時間がかかってしまいそうだ。近所の人に会わなきゃいいけど。そう思いながら線路を渡り、ゴミ置き場の黄色いネットを持ち上げて、ゴミを捨てた。


「あら、おはよう。はやいのねぇ、谷口さん」


 ――最悪……。よりにもよって噂好きの吉田さんにこの髪型で会うとは。でもここはいつものように、普通に普通に。


「あ、おはようございます、吉田さん。いつもお世話になってます」


「あらやだ、お世話なんてしてないわよぉ。登校班の集合場所にうちの駐車場を貸してるくらいで」


 吉田さんは手をひらひら振りながら、笑っている。朝モードだから、まだ頭には変なピンをつけているのが、「ザ、昭和のおばさん」と言った感じだけれど、昼間に会うと小綺麗なおばさんに変身していることが多い。昼間はいろいろ習い事に忙しいのだそうだ。自分にそんなにお金も時間も使えて、うらやましい限りである。近所にアパートをいくつか持っているそうだ。


 吉田さんは、雪さんより少し上くらいのおばさんで、噂好きで有名。貴志君も、吉田さんの話の引き出し方にまんまとやられ、言わなくてもいいことを話してしまったことがある。会話の中にさりげなく情報を引き出すようなキーワードを魔法のように入れ込み、話している相手の家庭事情などをうまく聞き出すのだ。だから、あまり長い時間話すと、防御できる気もしないし、後々めんどくさい。しかも今日は、こんな鳥の巣みたいな髪型だ。何か言われる前に、早々に切り上げなくては。


「今日は家族で水族館へ行くので、準備が忙しくって。お先です」


「まぁ、水族館! いいわねぇ。うちは孫がみんな外だから、久しく水族館に行ってないわぁ。そういえば先週も誰か水族館に行ってたって言ってたわよ。誰だったかしら、えっと、あぁ、谷口さんと同じ子供会の、新井さんね、彼女、今四人目がお腹にいるでしょう、そんなお腹で小さい子供を連れて、大変ねぇって話してたのよ」


「ははは、確かにそれは大変ですね」


――ほうら、やっぱり、誰かの個人的な話を聞いてるし、そして、それ誰かに勝手に話しているし。はやく立ち去らねば。


「それはそうと、ねぇ、知ってる?」


「え? 何をですか?」


「あれよ、」


 ほらこっちに来てと分かるようなジェスチャーをして、手招きで私を道の隅に呼ぶので、仕方なしに、吉田さんの方に近づいた。吉田さん的には少し大きめのスクープなのか、右手で口元を隠して、私に耳打ちしてくる。


「あの、事件の被害者の女の子、この街に来てたんですって」


 まさか、そんな話と思ってなくて、固まってしまった。せっかく昨日の夜に少しだけ忘れることができたのに。


「それでね、なんか、警察が聞き込み調査をしているらしいのよ。あなた、知らなかったでしょ?」


「へぇ、全然知りませんでした。そうなんですか?」


 こういう時は、知らぬ存ぜぬの方がいい。何か危うく喋ったら、きっと吉田さんの毒牙の餌食となって、私の知っていることを全部吸い取られてしまう。その後が最悪だ。あることないこと尾ひれをつけて、町中にあっという間に広がってしまう。でもさらに吉田さんは得意げな顔をして、私の顔をこっちに寄せてってそぶりをした。よほどの内緒話があるようだ。


「あのね、ここだけの話。すぐそのあたりに設置してある、自販機の防犯カメラに映ってたらしいのよぉ。怖いでしょう?」


――知ってる。でも、知らないふり、知らないふり、


「それでね、なんか、もしかしたら監禁場所がこの辺りだったんじゃないかって、警察が疑ってるらしいのよね」


「まさか!」


――しまった、つい声が出てしまった。しかも早朝の住宅街で。


 そんな話は雪さんもしてなかったし、とんかつ立花の店長さんもしてなかったはずだ。また勝手に噂話に尾ひれをつけているのだろうか。もっと聞きたい気もしてくるけれど、でも、聞き出すには吉田さんの頭脳戦に勝たなくちゃ、きっと私の方が、家庭事情を吸い取られてしまう。それこそ、昨日の夜の私のことなんて知れたら、考えるだけで、恐ろしい。職場の人と浮気をしているなんて言われかねない。というか、頭に浮かんだってだけで、何もしてないのに、だ。


 そう思ったら、やっぱりすぐにでもそこを立ち去ろうと思った。してもないことを噂にされて、家庭内がおかしくなるのは嫌だ。吉田さんなら、何気ない私の一言でそう勘違いしてネタにしてもおかしくない。私はそんな事件より、家庭の方が大事なんだから。


 でも、なんか、気になってしまった。


――監禁場所がこの辺り? まさかね……。


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