第十八話 

「お先いただいてまぁす! めちゃくちゃおいしいですよこれ!」


 口に鰻を頬張りながら友美ちゃんが嬉しそうに話す。もう半分くらいは平らげているのを見て、正直驚いた。味わって食べるという概念は智美ちゃんにはないのだろうか?ほっぺにはご飯粒までついているところを見ると、掻き込むように食べたのではないかと思った。


 そんな姿を見て、何歳児なんだと思うけれど、智美ちゃんは今年で三十四歳の独身女性だ。悪い子ではないのだけれど、天真爛漫で自由奔放な女性である。


 こんな事を思ってはいけないかも知れないが、智美ちゃんの顔は、特段特徴がなく、のっぺりとしていて、地味な顔立ちだと思う。でもそれとは対照的にファッションは特徴的で、ショートカットの髪には、カラフルなピンをバッテンにしたりして留めていたり、仕事中はお店のTシャツ姿だけど、私服は色とりどりの模様が入った年齢よりだいぶ若い服を着ている。それが年齢不詳に見えるところではあるが、男性からしたらなかなか好む人はいないような気がする。


 彼氏がなかなかできないのは、もしかしたらファッションのせいかもしれないが、それだけではないことぐらい私でもわかる。いつか、智美ちゃんの良さをわかってくれる人に出会えたらいいなと常々思っている。


――うな丼を掻き込むように食べる女性を好きな男性だっているはずだよね。


「智美ちゃん、味わって食べなきゃ、もう二度と食べれないかもしれないのに」


 雪さんも同じことを思っていたようだ。確かに「海鮮ゆきちゃん」でこの鰻を今後仕入れることがなければ、一生食べる機会はないだろう。でも、智美ちゃんはそういうことは気にしない、それが智美ちゃんだと思った。


「だって雪さん、滅茶苦茶おいしいですよ! おかわりありますよね? もちろん。だってあんなにおっきな鰻だったんだから」


 雪さんと向かい合って座っている智美ちゃんの口からはご飯粒が飛んでる気がするが、雪さんはそんなのいつもの事のように気にはしておらず、一言。


「智美ちゃん、何言ってるの? 明日のコースのお客様に出すからもう私たちが食べる分はないわよ」


 その言葉を聞いた智美ちゃんは、ごくんとゆっくり口の中のものを飲み干して、小さい子供のように駄々をこねた。


「えー! おかわりあると思って急いで食べてたのにぃ?」


「あははは」


 そういうところが可愛い人だと思って、私は声を出して笑ってしまった。どうしたらそんなありのままで生きれるのだろうか。そういうところは少し羨ましい。そんなにおかわりが欲しかったなら、私の分から少し分けようか、と少し言葉が脳裏をよぎったが、私にとっても一生で一回しか食べられない天然鰻かもしれない。しかも黄金の天然鰻だ。智美ちゃんには悪いが、その言葉は脳裏の中だけで終了し、口には出さなかった。


「あ、智美ちゃんこれお吸い物、遅くなってごめんね」


 残念そうに、今度は残ったうな丼をちびちび食べる智美ちゃんの横にお吸い物を置いた。そして、山椒の入った瓶を雪さんの方に置きながら、肝吸いはもうすでに作ってくれていることを伝えた。


「さすが後藤さんね! 私のことはなんでもお見通しなんだから」


「ですね」


「実はこの天然鰻、いっぱい身もあるし、他の子たちにも食べさせてあげたいからとっておこうかって言ったらね、後藤さんが明日のコース料理のお客さん、伊藤先生だから、ほら、私のメダカ友達の獣医の先生ね、いつも東京からくる。だから試しにコース料理の一品で出してみて、反応みたらどうですか? って言ってくれたのよ」


「後藤さん余計なことを」


「智美ちゃん、言い方!」


「だって、もっと食べたかったですよぉ」


「食べれてない子もいるんだから、食べれただけで十分ラッキーじゃない。それかお腹まだ入るなら、ご飯つけて、そこに後藤さんに鰻のタレをかけて貰えばいいのよ」


「あ! そうします! 滅茶苦茶おいしいですよね、このタレ、早速行ってきます」


 まだ少しご飯が入っているどんぶりを左手に持って、智美ちゃんは厨房へと出かけて行った。と、いうことはきっと肝吸いを持ってきてくれるはずだ。後藤さんはあと数分って言っていたから、もうできていると思う。


 やっと私も黄金の天然鰻で作ったうな丼にありつけると思った。


――私も智美ちゃんくらいがっつきたいかも。


 そう思うくらい、艶々と鰻の表面は照りが輝いていた。


「滅茶苦茶美味しそう。私、ここで働けてよかったです。雪さんありがとうございます」


 思ったら口に出ていた。智美ちゃんのことはやっぱり言えない。


「さっちゃん、これは本当に食べたことないくらいの美味しさだわ」


「本当ですか? では早速私もいただきます」


 そう言って山椒の瓶に手を伸ばしかけたけれど、まずはそのまま一口と思い直して、その手を引っ込めた。もともと薬味やスパイス類が大好きだけれど、これは何も薬味なしでまずは食べるべきだろう。


 陶器でできたどんぶりを左手で持つとずしっと重たい。うな丼はなかなか食べる機会がないけれど、それでも食べた事のある記憶の中で一番重たい気がした。いや、「海鮮ゆきちゃん」のうな丼はよくお客さんのところへ運ぶが、その中でも一番だと思った。ご飯の量はきっといつもの「海鮮ゆきちゃん」で出す量だ。きっと智美ちゃんがつけたはずだから。やはり、鰻が肉厚なのだと思った。


 通常店で出している鰻の二倍はあるであろう、黄金の天然鰻の蒲焼を箸で取る。厚みのせいで、つい箸に力が入り、身が割れそうになった。それくらい柔らかい、ということは脂が乗っているのだろう。少し割れかけた鰻の白い身からじゅわっと透明な美しい脂が滲み出ている。


――あぁ、生きててよかった。


 慎重にどんぶりを受け皿にして口に鰻を運ぶ。口元に近づくたびに鼻腔を刺激する甘いタレの少し焦げた香り。


――匂いだけでご飯が食べれそう。


 そう思いながら、一口噛んだ。噛んだ瞬間に鰻の身から溢れ出す肉汁が口の中に広がる。そこに後藤さん特製の甘だれの、香ばしくも濃厚な味わいが口の中で絡み合う。


――あぁ、鰻だけど、鰻じゃない!


「すごいです。鰻だけど、鰻じゃないです。これ」


 思わず声が漏れた。


「でしょう? すごいわよね。私も思ってた以上でびっくりしてるの」


「凄すぎます」


 そう言ってタレのついたご飯を口に運ぶ。早く鰻の旨みをご飯と合わせなくてはいけないと思った。一口ご飯を食べた時、鰻の旨味が口の中でご飯と合間って智美ちゃんの気持ちも少しわかった。できることなら掻き込みたいくらいの美味しさだ。でも、失いたくない。無くなってしまいたくないと思った。そんな急いで食べてこの感動を失うのは嫌だ。そう思える鰻だった。


「皮も心配していたほど硬くないわよね」


「ですよね物凄く香ばしいです! さすが後藤さんですよね!」


 思わず興奮してしまった。皮はパリッと香ばしく焼き上がっていて、そこにタレがのり、そのタレも香ばしく程よく焦がしてあって、最高の味わいだった。


 もう一口鰻を味わい、そしてもう一口ご飯を口に運んでと、黄金の天然鰻を味わっているところに、智美ちゃんが肝吸いを二つと、自分のどんぶりをのせたお盆を持って戻ってきた。


「へへへ。後藤さんが鰻の頭の焼いたやつ、乗っけてくれました」


 智美ちゃんのどんぶりには、白いご飯に鰻のタレと思わしき濃い茶色のものと、黒色に近い鰻の頭と思われるものが乗っていた。


 その鰻の頭は普通の鰻の頭よりもかなり大きく、焦げてはいるものの、鰻の頭だとわかるほどの見た目で、その目玉は潰れていた。まるで目を貫いたのが、誰が見てもわかるように。



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