第十三話

 今日の朝。神街さんがやっと私のところに戻ってきてくれた。


 さっきドアがいきなり開いた時は飛び上がるほどびっくりして、身体が固まってしまったけど、神街さんが直ぐに玄関から声をかけてくれたから、戻って来てくれたとわかって、心底安心した。本当はひとりっきりでこの家にいるのが、心細かったから。


 今日の神街さんは、ネクタイは着けていなかったけれど、お父さんが仕事に行くようなグレーのスーツを着ていて、大人の人って感じで、少しだけどきっとしてしまった。そんな神街さんは、今、紙パックをレジ袋から取り出し、私に渡してくれるところだ。どうやら、私に野菜ジュースを買ってきてくれたらしい。


「大丈夫? 心細くなかった? はい、これ野菜ジュース。野菜が足りてないかなって思って」


「ありがとうございます! 暇でしたよぉ。ちょっと怖かったし。だってスマホは電波が入らないし、やることないですもん」


「え? まだ一度もスマホの電波入ってないの?」


「そうですよぉ。テレビもないし、本ばっかり読んでました」


「本当に入ってない? なんか設定がおかしいんじゃなくて? 見てあげようか、ちょっと貸してごらん」


 電波が入らないのはしょうがない事だと思っていた私は、スマホの設定がおかしいから電波が入らないなんて、思いつきもしなかった。


 だから、神街さんにそう言われて、急いで壁際のコンセントに充電してあったスマホを電源から乱暴に抜き取って、神街さんに渡そうとした。でも、スマホを触った時についたロック画面を見たら、RINKが来ていることを知らせる緑色の通知がたくさん映っていた。


「あれ? なんかいっぱい届いてる! 電波いつの間にか入ってたのかなぁ。ほら、神街さん、これ、見てくださいよ。通知来てる。RINKに354件だって」


 そう言いながら、神街さんに画面を見せて、その緑色のRINKアプリを指でタップした。すると、いつものRINK画面が浮かび上がってきて、そのほとんどがお父さんと、ママと、祐美さんのものだった。その他はお兄ちゃんの方の弘樹君とか、あと、美樹とか、友達が少し。


「すごいじゃん! 作戦大成功じゃん。良かったね」


「え……?」


「五稀ちゃん、みんなほら、ものすごく心配しているよ? だってこんなに沢山お父さんからも来てるし」


「そ、そうですよね、作戦通り……。確かに!」


 お父さんからのRINKは、土曜日の夜にはなくて、日曜日の夜から始まっていた。それは、〈どこにいる?今直ぐ連絡しなさい〉から始まって、


〈いつ帰ってくる?〉


〈一度連絡をよこしなさい。明日は学校だぞ〉


〈どこにいるんだ? もう遅いから早く帰ってきなさい〉


〈もう深夜だぞ。どこにいるんだ? 怒らないから早く帰ってきなさい〉


〈いい加減にしなさい。どこで誰と何をやってるんだ。早く帰ってきなさい。みんな心配している〉


と続いていた。きっと泊まりに行ったことは疑わなかったのだと思った。


――そりゃそうだよね、新しい奥さんと二人っきりで過ごせる夜だったんだもんね。


と思ったら、なんだか胸がムカムカしてきた。そこで一旦、見るのをやめた。そこから先は、どうせ、心配している、早く連絡をしなさい、どこにいるなどが並んでいると思ったからだ。左上の三角ボタンを押して前の画面に戻って、ママからのRINKを見ることにした。


〈いっちゃん、パパから聞きました。どうしたの? 何があったの? ママに連絡してね〉


〈いっちゃん、なんで家に帰らないの? みんなであちこち探していますよ。心配です。直ぐに連絡をください〉


〈誰といるのかな? 何か嫌なことがあったのかな? ママに話してごらん。ママはなんでもいっちゃんのお話聞くからね〉


〈いっちゃん、もう深夜だよ。ママもパパも、みんな心配してる。早く連絡して、心配すぎて、ママ涙が止まらないよ〉


〈いっちゃん、苦しいことがあったの? パパのところに帰りたくないんだったら、ママのところへおいで。今直ぐにでも迎えに行くからね。連絡待ってます〉


そこまで読んで、ママにも少しイライラした。


――ママのところへおいでって、今更それを言う? じゃあなんで離婚するって言った時、ママと一緒に暮らそって、言わなかったの? 今結婚してる人といずれ結婚するつもりだったから、その時言ってくれなかったんでしょ! 本当、自分勝手なんだから!


 そう思ったら、またスマホ画面の左上についている三角を押して、ママからのメッセージ画面を消した。


「どうだった?」


「最悪。心配してるみたいだし、させとけばいいかなって思いました」


「全部読んだの?」


「お父さんと、ママのだけ。でも、二人とも大丈夫? 心配です。連絡ください、みたいなことばっかりで、途中から読んでません」


「そっかぁ。五稀ちゃんもいろいろあるんだもんね。大変だよね」


「もう帰ろうかなって思ってたけど、やっぱりもっと家出してよっかな」


「そうだねぇ。でもそれでは警察とかに通報されちゃうかもね」


「え? 通報ですか?」


「うん、そういう時は、一番悩みがわかってくれそうな友達か誰かに一本メールしとくといいよ。心配しなくても、ただの家出だからって。後帰る予定の日とかあればそういうのを送っておくとか。そうすれば家出だから、警察はそこまでは動いてくれないと思うな」


「そうですね! それいいアイデア! 無事ってことだけ知らせるんですよね、えっと、じゃあ、弘樹君だな。弘樹君だったら私の気持ち絶対理解してくれるはずだもん。おんなじだから」


 私は神街さんのアイデアを実行することにした。待ち受けに映る、大好きな韓流アイドルの顔をチラ見しつつ、緑色のRINKのアプリを指でタップして、お兄ちゃんの方の弘樹君からのメッセージを開いた。64件もRINKメールをくれていたようだった。


 弘樹君からのメールは、思ってた通り、私のことを理解してくれていた。


〈気持ちはわかる。でも、家にこんな時間まで帰らないのはみんな心配だよ。だから直ぐに連絡したほうがいいよ〉


――気持ちはわかるっていうけどさ、弘樹君はもう家から出てるじゃん。私はまだ家にいるんだってば。で、えっと次は?


〈いい加減、家に帰ってやってよ。明日、学校だろ?〉


――はいはい。優等生ですよね、弘樹君は。ちゃんといい国立の大学行けちゃうんだもんね。私とは違うってば。学校なんて1日くらい休んだって大丈夫だって。で、次は、


〈俺にでもいいから、連絡しろよ。親には連絡したくないんだろ?〉


――そうそう、だから、弘樹君のメールを開いたんだって。えっと、もうそこからはおんなじようなメールばっかだな。


 そう思って、最後のところまで右手の人差し指でスクロールをしたから、そこから先のメールはほとんど読まなかった。そのまま、スマホ画面の一番下に出ている返信できるエリアに返事を書いた。


〈私は大丈夫です。心配しないでください。日曜日くらいには帰るつもりでいます。もう我慢ができないから家出してみただけです〉


――あと、大丈夫のスタンプでも打っとこうかな。よし。送信完了。


 文字を打ち込んで、最後に白い全身タイツのおじさんが腰を振りながら「大丈夫」って文字を持っているスタンプを選んだ。そしてそれを送信したら、いっぺんに画面が動いて、最新のメッセージのところになった。


「え……?」


 最後の弘樹君からのメッセージは、今日の朝早くに送ってきたものだ。


〈 事件に巻き込まれたとかじゃないよな? 家出した女の子が惨殺された殺人事件が起きたんだ。お前そんな事件とかじゃないよな? 早く連絡くれよ。みんな心配してる〉


 テレビがないから、何にも知らない私は、急いで神街さんの方を向いて、神街さんにその事件について聞いてみたけど、私の住んでいる街の話じゃなくて、離れた場所で起こった事件だった。


「あぁ良かった。びっくりですよね。そんな、きっと変な人に保護されてそうなっちゃたんでしょうね。私は良かったぁ、神街さんみたいな人に出会えて」


「危ない人いるからね。じゃあ仕事に行かなきゃだから、また来るね」


 そう言って、神街さんは仕事へ行った。神街さんは、本当に優しい良い人だと思った。

 

 私は神街さんを見送ってから、リビングのソファの上にごろんと寝転んで、もう一度スマホを確認してみることにした。さっきは電波が入っていたし、それなら動画配信も見れるはずだと思ったからだ。


 でも、不思議なことに、電波はまた、届いていなかった。


――おかしいな、さっきはちゃんと入ったのに?


 そう思って、窓の近くに行ったりしてスマホをかざしてみたけれど、一階のどこにスマホを持って行っても、電波は届かなかった。だったら、来てから一度も行ったことがない二階へ行ってみようかと思った。


 なんだか階段が薄暗くて、行きたくないと思っていた二階。少し気味が悪いけど、そこを試すしかない。


 リビングを出て、玄関に向かうと直ぐ左にお風呂とトイレが並んでついている。その反対側の壁の奥に二階へ続く階段はあった。玄関から見ると、階段とリビングへ続く廊下が一緒に見えるけど、私が初めてこのシェアハウスにきた時、階段の電気はついてなかったから、なんだか上へと続くその薄暗い階段の奥が真っ暗闇に見えて、私は怖かったのだ。


――しまったな。さっき神街さんと一緒に二階へ行って、何があるか、見せて貰えば良かったなぁ。


 始めてこのシェアハウスに来た時、二階には何があるんですか? って聞いたら、普通の部屋があって、シェアハウスだから何人かで泊まれるようになってるって教えてもらった。だから、それもそうかと思った。


 私はその時も今も、一人きりだから、二階の部屋は使わずに、一階で泊まることにした。なんだか二階でひとりは、怖い気がしたからだ。神街さんは、一緒に泊まってくれた日は、二階で寝ていた。もしかしたら、神街さんが泊まる為の部屋が、あるのかも知れない。


――別に普通の部屋があるだけだよね。神街さんの寝てた部屋とか。


 そう思ったら、なんか怖く無くなってきた気がしたけれど、やっぱり気持ちが悪い。


――そっか! スマホでライトつけていけばいいだけじゃん。あったまいい、私!


 私はスマホのライトをつけて、階段の上に行くことにした。


 スマホの電波を取り戻すために。

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