第十一話

 小出川駅に十時より少し前について、ホームから歩いてすぐの改札を出たところで、私は券売機横にある少しだけ凹んだスペースで外を覗き見た。DMで目標にしてくださいと言われた赤い車を探してみたのだ。でも、まだ神街さんは来ていないのか見当たらなかった。


――まだ来てないのか……、それともからかいDMだったのか。それならそれでいいや。本当に美樹の家に泊まらせてもらって日曜日に帰ればいいだけなんだし。


 前日に涙をいっぱい流しながら家出をすると決意して、その準備した事で、少し自分の中の重たい気分は晴れているような気がした。空が青く澄み渡り、晴れている日だったのも、気分が晴れていると感じた理由かもしれない。これから家出するというのに、自分でも呑気なものだと思った。一応一週間は家に帰らないと決めていたくせに。


 降り立った小出川駅は小さな無人駅だった。私の家からは三十分のところにある、駅員さんのいない駅だ。駅員さんがいなくて、改札だけがある駅というのも、ここを選んだ一つだった。通学や通勤で乗り降りする人も、土曜日の朝十時だと少ないと思っていた。思った通り、降りたのは私だけだった。


 でも、今思えば私だけというのは、逆に目立ってしまうかもしれない。なんなら、修学旅行用にとお父さんが買ってくれた黒い旅行バッグを下げているというのも、こんな田舎では珍しい光景かもしれないと、後から思ったけれど、ちょうどその時、神街さんが乗ってくると言っていた、赤くて四角い軽自動車が駅の前に停まったのが見えた。


――あ、あれだ。どんな人か、よく見えないや。変な人だったら、このまま切符を買って逃げたらいいし、見つかっても、断ればいいや。降りてきてくれたら見えるのに、あぁ、もうこの壁が邪魔! でもこの壁がないと私も見えちゃうしな。


 そう思っていたら、気持ちが通じたのか、神街さんが降りてきた。


――想像と違う……。本当にあの人かな? あ、そうか、DMでもう着きましたかって聞けばいいんんだ。


 と思ったら、神街さんからDMが届いた。


〈 着きました。そちらはどうですか?〉


〈 はい、着いています。今そちらに行きます 〉


 駅の建物から出て、階段を数段下り、自転車置き場の横に泊めてある神街さんの赤い車に向かった。その時私は、神街さんを見て、「良かった、変な人じゃなくて」と思った。


 神街さんは少し長めの髪を耳にかけた、清潔感のある服装で、整った顔立ちの人だった。私は、まるで、ちゃんとした保護施設の人のようだと思った。


「はじめまして。裏垢やみ猫ちゃんですか?」


「あ、はい。神街さんですか?」


「良かった。虐待を受けて家出とか、そういう雰囲気ではなさそうですね。ちゃんとしたお嬢ちゃん」


「そ、そうですか? お嬢ちゃんなんて言われ方は、あまりされた事ないですよ」


 そんな立ち話をしていたら、線路の向こうのほうから、腰を曲げたお婆さんが角を曲がってこちらに来るのが見えた。


「さ、じゃあ話は車の中で」


「あ、はい。そうですね!」


 後ろの席にお父さんが買ってくれた旅行バッグを乗せて、ドアを閉め、助手席に座った。車の中は、少し不思議な甘い外国のような香りがした。きっと鏡にかかっているオーナメントのような物が香りの元だと思った。神街さんが車を出して、線路を跨ぐときに車体が揺れた時、そのオーナメントのような飾りがふらっと揺れて、香りが広がったから。私のお父さんが乗っている車にはそういうものはついていない。


――なんか、いい香り。大人になった気分だ。


 そう言えば、美樹の彼氏は大学生と言っていた。美樹はもしかしたら、こうやっていい匂いのする車に乗せてもらって、彼氏とデートしているんだろうか。それならもう美樹はやってる部類の子になるだろう、と思った。


――あいつ、私に小六で付き合うとかありえないって言っといて、もう経験済みかよ。


 そんなことを思い出したら、なんだか鬱陶しい気持ちになりかけたけど、神街さんが、そんな私の気持ちを察したのか、声をかけてきてくれた。


「緊張してる?」


「あ、いいえ、全然です!」


「そう? 家出初めてでしょ?」


「はい、初めてです。でも、家出したいって思ったことは何回もありますよ。だって最悪だったんだもん」


「えっと、裏垢……何ちゃんだったっけ? ごめん、長いと覚えられなくて」


「あ、ごめんなさい、五稀いつきでいいです。めんどくさいですよね」


「それ本当の名前? いいの言っちゃって?」


「全然、え? 神街さん危ない人じゃないですよね?」


「あはは。もちろん!僕はそんな怪しい人じゃないですよ」


「え? 僕とか言うんですか? なんか、ギャップ萌えです」


「え? おかしい? 」


「や、おかしくないですけど、大人の人に僕って言われると、なんかギャップがあって、面白いです」


「ははは。よく言われる」


 神街さんの肌は白くて、車を運転するときにかけたサングラスの横からたまに見える長い睫毛がなんだか怪しくも色っぽく見えた。そんな人の隣に座って車に乗っているのは、なんだかちょっとした旅行を、家族じゃない大人としてるみたいで自分までもが大人になった気分だった。


 ちょうどリンゴ畑のいっぱいあった辺りを過ぎたところで、赤いジュースの自販機が見えた。緊張しながら家から出てきて、喉がカラカラだった私は、一旦そこでお茶を買うことにした。お金はそんなに持ってきていなかったけど、切符を買ったり、自販機でお茶を買うくらいは持ってきていた。


 そんなにお金を持って来なくてもいいというのが、家出をしてみようと決めた決定打だったのかもしれない。前日の最後のDMで、神街さんから、当分の生活費はこちらで用意できます。と、あったからだ。そんなうまい話があっていいものかと思ったけれど、実際お金はそんなに手元にないし、親の財布から盗むなんてことは私にはできなかった。往復の電車賃と、少しの余分で三千円もあれば、一週間の家出はできると思ったのだ。


「ありがとうございます、喉がカラカラだったので」


「言ってくれたら、駅で買ったのに。気を使ってたのかな? なんでも言ってね。助けるために僕がいるんだから」


 私が車に戻ると、神街さんはそう言って、その後に、私にある提案をしてきた。



 


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