第二章
第九話
本当に「助けて」って書いて良かったと思ってる。書かなかったら、私は今頃きっと死んでいたと思うから。
――神街さん、優しかったな。私がほんとに困ってるってわかってくれたし。
私は毎日病んでいた。お父さんが再婚してからというもの、全然幸せじゃなかった。だって、新しいお母さんだというその人は、全然私に似ていなくて、一緒にやって来た私に似てないお兄ちゃんは、私よりも良い人だった。
私は普通を装おうと頑張って来たけど、もう限界だった。別に四人家族で仲が悪いわけじゃないとは思うけど、というか、私が我慢してそうしてきただけで、言いたいことを言わずに我慢すれば良かっただけだから。でも、もうそれも限界に来ていた。
お父さんが再婚するって聞いた時は、信じられないと思った。だって、もういい歳だし、そんな歳でまだ誰かと結婚するってことは、その人とやってるってことだし、そういうのが私はありえないと思った。心底気持ち悪いと思った。だから、その日から大好きだったお父さんは、もう大好きなお父さんじゃなくなった。でも、そんな私の気持ちはお父さんには見せてないし、友達にも言えない。
――ううん、そうじゃない、友達にはきっと言えたはず……。
お母さんが出て行ったのは、私がまだ小学校三年生の時だ。私のお母さんとお父さんはずっと仲がいいと思ってた。家族で旅行にも行ってたし。でも、本当は違って、もうその頃には愛なんてものは無くなっていて、お互いのために別れることにしたと言うのが、私が聞かされた理由だった。
「いっちゃん、パパとママは別々の道を進むことにしたの。意味わかるかな?」
「わかんない」
「ママはママの人生を生きて、パパといっちゃんはこの家でいつも通りに暮らすんだよ。だからいっちゃんは、何にも前と変わらないんだよ」
「でも、ママはいなくなっちゃうの?」
「いっちゃんが電話してくれたら、ママはいつでも会いに来れるし、そんなに遠くに行くわけじゃないんだし。ね、いっちゃんならわかるよね? ママはいっちゃんが一番大事なんだってこと」
――一番大事なんだったら、なんで離婚なんてするの? あの頃から最悪だよ。毎日毎日、なんで私の家にはママがいないんだって思って生きてるよ、ママ?
それから二年くらい経って、ママが再婚した。同じ会社の人だった。でも、私を迎えには来てくれなくて、その理由は、「いっちゃんが転校するなんてかわいそうだから」だった。別に私はそれでも良かった。ママのところへ行ってもいいと思ってた。でも、お父さんのことがあるからそれは無理だとも思ってた。お父さんを一人にしちゃったら可哀想だと思ったのだ。でも、言って欲しかった。
「いっちゃん、ママと一緒に新しい家で暮らさない?」
ただ一言、その言葉をもらえただけで、良かったと思う。でも、ママは言わなかった。だから私も言わなかった。お父さんの目の前で、そんなこと言えるはずもなかった。言いたくもなかった。でも、その時からまた心に開いた穴は大きく広がった気がする。
私は元々そんなに明るい性格じゃなかった。でも、お父さんと二人で暮らすには、明るい性格にならないといけないと思った。じゃないと、家の中が真っ暗になるような気がしたから。お父さんも毎日頑張ってると思ってたし。だから、明るく振る舞って、ママのいない可哀想じゃない子になることにした。学校では保育園の時から一緒の友達もいたし、六年生の時には彼氏だってできた。
友達と彼氏はまた違う。友達はその他大勢も含めての関係だけど、彼氏は、私だけのたった一人の存在。彼氏だったひろ君とのスマホでのやりとりも、少し背伸びをした言葉を使ったり、深夜遅くまでメールしあったり、ひろ君の特別でいれる時間だった。
誰かにとっての特別な存在の私。
それが欲しかった。私だけ見てくれる人。ママみたいに、他に行っちゃわない人、それが欲しかった。でも、友達というのは、親友というのは、そういう意味では私を必要としてくれていないと分かってしまった。だって、親友の七海もずっと親友だと、そうだと思ってたけど、六年生の夏休みにちょっとしたすれ違いで、仲が悪くなってしまったから。あれは、私に彼氏ができたと七海に言った時だ。
「小六で彼氏とか、なくない?」
「なんで?」
「いや、じゃあ宏樹と付き合って、いっちゃん何するの?」
両思いの延長線にあっただけの彼氏彼女の関係。ただそれだけなのに、なんでそんなこと言うのかと少し嫌な気持ちがした。きっと顔に出てたし、しばらく私の七海に対する態度も悪かった気がする。だから、そんなことで保育園からの親友とは亀裂が入ってしまった。そんな少しの意識の違いだけで、友達というものは、親友というものは、壊れてしまう。
だから、ひろ君とのメールのやり取りや、深夜まで続くお喋りの時間が楽しかった。ひろ君は高校生のお兄ちゃんもいて、色々な事を知っていた。両思いの先に何があるのか、一人っ子で何にも知らない私と違って、私の知らないことを知っていた。だから、話していても、メールでも、「好き」と言ってくれたり、「可愛い」と言ってくれたり、そういうのが心地良かった。
ひろ君は野球をやっていて、土曜日に小学校で練習がある時は、こっそり見にいって、後でその話をしたりもした。
「今日見てきたよ。すごいじゃん、めっちゃボール飛んでたね!」
「はずっ! 見てたの? やめてよ、そんなストーカーみたいなこと」
「だって、好きなんだもん」
「はいはーい。好きなことは知ってまーす」
「月曜日になったら学校で会えるね!」
そんな今となれば可愛いい会話をするだけで、キスをしなくても、その先に進んで行かなくても、全然幸せだった。その時間だけは、自分がそのまんまでいれると思って、幸せだった。
――お父さんが再婚すると言うまではね。再婚を機に引っ越すとか、マジでありえない。ママとの思い出の家なのに。みんなみんな友達は家の近くにいたのに。ひろ君だっていたのに。
大人は勝手な生き物だ。自分たちが車に乗って行けばすぐだと思う場所は、子供にも近い場所だと思っている。車と自転車では全然違う。それは物理的な距離だけの問題じゃない。心の距離だって、ずっとずっと遠く離れてしまうのだ。
私が六年生の時のお正月に、お父さんは再婚相手とその子供を連れて私の家に帰ってきた。
「
「五稀ちゃん、初めまして。祐美です。よろしくね。ほら、ヒロ君も挨拶して。五稀ちゃんよりも、お兄ちゃんなんだから」
「……ども」
「あ……はい。どうも」
大人たちは楽しそうにしていたけれど、私もお兄ちゃんなんだからと紹介された弘樹君も、全然楽しそうじゃなかった。でも、私も弘樹君も大人に気を使わせないように、テレビでお正月番組を面白くもなく見ていた。
その時、弘樹君は、私よりも五つ年上で、高校二年生だった。きっと小学生の私に気を使ってくれたんだと思うけど、ぎこちない私に優しく声をかけてくれたりした。
「ごめん……。急にこんなこと、子供が困るよね」
「うん……」
「ゲームとか、する?」
「え?」
「どうせテレビもつまんないし、ゲームとかだったら、気が紛れるじゃん」
「うん……。する……」
そう言って、そのつもりで持ってきていたんだろうと思う、私たちの年代でもやったことのあるゲームカセットを入れて、一緒に時間を潰してくれたのだった。
――弘樹君は悪くない。何にも。でも、もう弘樹君はいない。
新しい家族になったお兄ちゃんの弘樹君は、去年、違う街に引っ越してしまった。大学生になったのだ。きっと、弘樹君も新しい家族の家は嫌だったんだろうと思った。私のことがじゃない。お父さんのことが嫌だったんじゃないかと思う。私にはそれがわかる。でも、それが悲劇の始まりだった。お父さんと、祐美さんと三人で暮らすなんてありえない。どこに私の居場所があるっていうの?
私の中学校入学を機に引っ越したせいで、心の距離が空いてしまったひろ君とは別れることになった。だって、車では近いと思っても、自転車では遠いのだから。友達もまた一から作らなきゃいけなかったけど、無理やりでも明るく振る舞えば、そこはなんとかなった。暗い子より明るい子の方が話しかけやすいのだ。それと、転校生は注目されやすい。途中からの転校生でなく、中学の入学式からでもだ。同じ小学校から、同じ中学にみんな進む私の街は、いつであっても新参者には興味を示す。だから、興味のあるうちに明るく振る舞って仲間を作った。
そうやって新しい中学で、失恋の痛みも押し込めて、なんとかやろうと思っていたけれど、新しいお母さんだと名乗る祐美さんは自分の息子の話をする時「ヒロ君、ひろ君、ヒロ君」と言う。私の心の穴はもっと広がっていくというのに。
それだけじゃない。
もう限界だった。自分の父親と私の人生に勝手に紛れてきた誰かのやってる音を聴きながら生活するのは。静かにしているつもりでも、そんなのは気づくに決まってるって、どうして分かんないんだろう。大人という生き物は馬鹿だ。大人が思っているよりも子供は子供じゃない。
だからもう家を出ようと思った。耐えられなかった。
だから、書いた。「助けて」と。
SNSに、ハッシュタグをつけて。
〈 助けてもう限界! 今すぐ家出したいJKです。誰か私を拾ってください! #神待ち #家出女子 #泊めてくれる人探してます #体の関係は無しで 〉
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