第三話
「どう思います? 」
「そうねぇ。あ、さっちゃん、これは塩振ってないから、生姜醤油をつけて食べるのよ、はいこれ」
「あ、ありがとうございます。あ、智美ちゃん私お先に、はいこれ」
「あ、ありがとうございます。でも本当、気持ち悪いですよね。二回もそんなことがあると」
「そうねぇ、あら、生姜がこれじゃ足りないわね、取ってくるから先に食べてて」
そう言って、雪さんは厨房へ生姜を取りに向かった。今日は火曜日なので、私はまた「海鮮ゆきちゃん」に出勤している。今日はお客さんの数がいつもより少なくて、賄いを食べ始めたのは午後二時半より少し前だった。
今、賄いを食べているのは一階にある個室だ。お店の作りがもともと魚屋だったため、一階部分には厨房と小さな販売コーナーがあり、二階部分が主に飲食スペースとなっている。今いるこの個室からはお客さんの出入りがすぐにわかるし、もう二時も過ぎたしということで、早めの賄いご飯になったのだ。で、昨日のキナコの話を女将さんの雪さんと、先輩パートの智美ちゃんにしている。もちろん美味しいご飯を食べながら、である。
今日の賄いは、試作品で焼いたサバの浜焼きなるものだ。なんでも挑戦したい名物女将の雪さんが急に言い出して、朝からノルウェー産の脂が乗ったサバを解凍し、板前の後藤さんが串を打って、バーベキューセットに炭を起して焼いたものである。今日出勤して私がした最初の仕事が、冷凍庫からサバを探してくる事だった。
仕出しなども受けている「海鮮ゆきちゃん」には冷凍庫が三個ある。急な注文にも対応できるように魚や蟹、自家製の惣菜などが冷凍してあるのだ。白くて大きなその冷凍庫は取手を持って上にあげると開くもので、なかなかの大容量である。テレビで見た事がある、大型スーパーでまとめ買いをしている人が持っていた冷凍庫と同じようなものだけれど、それよりは少し大きい、本物の業務用冷凍庫だ。
その冷凍庫の中から冷凍のサバを取って来て欲しいと、到着早々雪さんにお願いされた私は、店の隣にある倉庫へ向かいサバを探したが、なぜかサバの入っている箱がすぐには見つからなかった。どうやら納品した時に業者さんが、いつもと違う場所に入れたらしく、雪さんもランチの仕込みがあるので、自分で探すのを断念して、私に頼んだという事だった。
一つずつ冷凍庫の中身を探していくと、最後の冷凍庫で、冷凍サバの箱を見つけた。「ノルウェー産」と英語で書かれた水色のその箱は、比較的物が少ない冷凍庫にあった。しかも、一番奥の蟹の箱の下に。きっと、納品した業者さんは、空いていたこの冷凍庫に、サバと蟹を一緒に入れたのだと私は思った。
冷凍庫は深さが一メートルくらいはあるので、奥にあるサバの箱に手を伸ばした時、危うく冷凍庫の中に落っこちかけてしまった。あれは危なかった。もしも冷凍庫に落ちて、蓋でも閉まってしまったら、冷凍のサバのように生きたまま凍って、冷凍人間になってしまう。
雪さんがなぜ、急に「サバの浜焼き作ろう」と言い出したのかというと、いつもくる常連のお客さんから先週末にリクエストされたからである。
「福井県に旅行に行った時、食べたサバの浜焼きがむちゃくちゃ美味しくって、ゆきちゃんとこでも炭火で焼いて出してみてよ」
常連のお客さんに言われただけで、すぐに行動に移してしまうのはさすがだなと思う。そうやって雪さんは昔から思い付きで、自分の地元から魚を仕入れ、車に乗せてその魚を販売し、そして、今のこのお店を作ったのだな、と思った。いや、思いつきだけで、こんな地元の人に愛される人気店の女将はできないか。きっと、それだけの思いつきと行動力が関わる人の心を動かして、今に至るのだと思った。人情派女将とは、きっとそういうものである。
そう思いながら、少し冷えたサバの浜焼きを食べると、確かに常連さんの言葉通りむちゃくちゃ美味しかった。サバの皮はこんがりと狐色に焼けていて、香ばしく、パリッとしている。サバの身もしっとりとした油を纏い、思っていた以上にジューシーだ。これなら一人で一匹は食べれてしまうだろうと思った。なんなら箸ではなく、串を持って豪快に食べるのもアリかも知れない。でも、このサバの浜焼きは塩が振ってないとのことで、その食べ方は不向きだろうなと思った。エラの部分から尻尾の手前まで切り込みが美しく入って、波打つように串打たれたサバは、豪快に食べるというよりは、家族皆んなで箸で突き、生姜醤油で食べる。きっと、そんなサバなのだ。
そんな事を思いながら、サバの味が残ったままの口でご飯を一口食べていると、雪さんが擦り下ろした生姜と、つくしの佃煮を持って戻って来た。十月なのに「つくし」かと普通は思うが、私が来る前に、雪さんがサバの冷凍を探している時、たまたま見つけた去年の「つくし」だそうだ。甘醤油で炊いてあるその「つくし」も白いご飯によくあった。去年の、ということはだいぶ昔だと思うが、それでも古いものだと感じないのは、やはり、それだけ強力な冷凍庫なのだろう。
「去年の春のだし、お客さんには出せないって思ったけど、全然いけるわね」
「めちゃくちゃご飯に合いますよ。これ、今食べないで、週末の仕出しにもう一品でつければよかったんじゃないですか?」
「智美ちゃん、それは私も解凍をして味見した時に思ったことだけど、さすがに秋の仕出しにつくしはダメでしょ?」
「そっか。確かに」
「それで、さっちゃんのさっきの話だけれどね、その紙って今日持って来た?」
昨日その話をしたばかりでの出来事だったので、私は昨日の夜、雪さんに思わずRINKしたのだった。「猫がまた紙を持って帰って来ました」と。貴志君は昨日の夜も不具合処理に大変そうだったし、また誰かの悪戯だよって言われても、私はなんだか気持ち悪いし、誰かに相談したかったのだ。誰かとは、大人の誰かにである。すると雪さんから、「明日それ持って来てみてよ」とすぐに返事が来て、今日、私はその汚い小さな紙を二枚持って来た。
「これです」
賄いを食べると決まった時、自分の鞄の中から出して、持って来ていたクリアファイルを机の上に置く。食事しているものと、猫が着けて帰って来た気味の悪い物とを一緒にテーブルに置くのは気が引けたが、そこは致し方ないと、少し離して置くことにした。
「うわぁ、確かになんか汚い紙。しかも破ってありますね、まるでこれ書くために破ったみたいな。私、もっとちゃんとおみくじみたいなイメージでしたよぉ」
「あ、ごめん智美ちゃん、私の説明が下手だったかも」
「いや、そんなことはないですよ。でも、これは確かに気味が悪いですよね」
「でしょ?」
「で、昨日来た二枚目っていうのは、この何にも書いてない方なんですよね?」
「そう、何にも書かれてなかったの。だから余計に怖くなっちゃって。たすけても怖いけど、何にも書いてないのに猫につけるとか、怖すぎると思っちゃって、何の為に? ってなるじゃない? で、夫に相談してもまた悪戯じゃない? って言われると思って、雪さんにRINKしたんですよ」
私と智美ちゃんの会話を聞きながら、そのクリアファイルを手に取って、雪さんが眺めている。透明な少し曇ったファイルには、小さな汚い紙が二枚、少し離れて並んでいるけれど、その紙は何か他の用途で使った紙をちぎったような形をしている。一人でそれを見ているとなんだか怖くなったけれど、やはり大人が三人いて紙を見ていると、幾分か恐怖心は減っていた。
「どう思います?」
私が聞くと、雪さんは、クリアファイルを顔の前から下に降ろし、「事件の香りがするわ。きっと何かが起こっているのよ。さっちゃんの家の近所で」と言った。なんだかちょっと嬉しそうに。
そして、私たち二人に向かって、「絶対そうだわ。これは事件よ」を繰り返し、その後で、「実は私、水曜サスペンス劇場が大好きなのよね」と言った。そして、「この謎を解いて、助けにいかなくっちゃね!」とも言った。
謎を解いて、助けに行く? 誰が? 私たちが?そんなことできるのか? 正直、雪さんの思いつきに振り回される予感しかない、火曜日の賄いご飯だった。
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