最終話

「グアテマラって、どんなところなんですか」

「マヤ文明の遺跡なんかが有名らしいですよ。植民地時代の街並みが残っていたり、湖があったり、火山があったり。日本人もけっこう観光で行くみたいです。ガイドブックでの知識ですけどね。スペイン語を勉強しに行くのだって、知っている人たちの間では特に珍しいことではありませんよ。ちょっと検索すればすぐ出てきます」

 そんなこと言われても、私はスペイン語の勉強方法について調べようなんて思うことはないのだ。そう思うだけで、もはや私とこの人との間には大きな隔たりが感じられる。

「雨が、降るんですか?」

「それは、降るでしょうね、地球上の国だし」

 ああそうですよね、と笑っておく。なにを言っているのだろう、もう酔いが回ってきたのか。

「すごい雨が降るんですか?」

「四季がなくて、雨季と乾季しかないらしいから。雨季っていうくらいだから、そういう季節になったらそれなりに降るんじゃないですか。

 行ったことないけど、スコールみたいな雨っていうのかな。ああいう降り方なのかもしれないですね」

 スコールなんて言うとかっこいい気がするけれども、要は土砂降りということだ。そう言えばよかったんじゃないか。私の知っている橘君だったら、「土砂降りの雨」と書いたはずだ。「Está lloviendo」なんて書く人は、もう私のすっかり知らない人なのだ。

「外国語を勉強してると、ほっとするんですか?」

「面白いこと言うね」

 彼は砕けた口調になった。

「友達が言ってたんです。世界中に意思疎通できる人が増えると思うと、ほっとするって。解放されたような気がするって」

 自分が直接聞いたわけでもない言葉で、しかも菜穂子さんから聞いたセリフは私の中でさらに脚色されているはずで、もはや誰の言葉なのか、元々はどういう意味だったのかわからなくなってしまっている。今、口に出してみて気がついた。それって、外国語がすらすら話せるようになれば、日本語しか話せない人と無理に仲良くする必要がないという安心感につながっているのではないか、と。

「まあ、言われてみれば、そういう気はするかもしれませんね。

 確かに、旅行に行ってもその土地の人と全然話ができなかったら、つまらないですし」

 彼はビールを一口飲んだ。

「小さいころから話してきた人は、また違うかもしれないけど、僕達って途中から習ってるじゃないですか。自分がゼロだっていう自覚があるところから、教科書に書いてある例文を読んで、こんなんで本当に通じるのだろうかとまず思いますよね。そうして、いざ英語しか話さない人を目の前にして恐る恐る話してみると、ちゃんと通じる。そういうの、けっこううれしくないですか?」

 私はそういう経験がないので、思い当たる節はない。

「日本語で話し合っても通じない人はたくさんいるのに、中途半端に覚えた言葉でも、とりあえず意思疎通ができてるって、ちょっと感動しないですか? 

 母国語だと、難しいことが話せるし、無意識のうちに相手はわかってくれるって思ってしまうし、相手に期待するものの違いもあるのかもしれないですけどね。

 慣れない外国語で話すときって、それこそ『ビール下さい』っていう言葉が通じただけで一喜一憂できるじゃないですか。もう少し慣れてくると、文化が違うっていっても、人として考えてることは案外似たり寄ったりだなってわかってきたり」

 さっきから、彼の話になんだかイライラさせられる。彼が言っていることが、橘君の言わんとしていることを代弁しているかのように思えてしまうのか。

 全然知らない話をされても、普段なら腹が立ったりしないのに。なんにも知らないんだねと、小馬鹿にされているように感じてしまうのはなぜだろう。

「解放される、っていう表現が適切なのかはわからないけど、自分の中の別の人格が活動しているという気はするかもしれませんね。

 例えば、英語って、初めに必ず主語を言うでしょう。自分はこうだって、はっきりさせないといけないんですよね。だいたい、英語を習い始めるのって中学生からじゃないですか。あれがいけないんですよ。  みんなで同じ制服を着て、右に倣えってなって、一方ではそろそろ空気読んで行動できるようになりましょうねってそういう雰囲気を作りながら、そういう文化の違いもなにも教えないままでただ言葉だけ教えたって、違和感あるし戸惑うし、なかなか話せないと思いますよ。それに、英語って発音がずいぶん違うから、ちゃんと発音するとすればするほど教室の中では浮くし。それでしゃべるようになれってほうが無理なんですよ」

 なんだか話が脱線しているような気がしてきた。確かに彼の言い分はわかるような気もしつつ、私にはそういう経験はないから「そうですよねー」と相槌を打つわけにもいかず、私はただできるだけ困惑を顔に表さないように、黙っているしかない。

「ついてきてます?」

「ああ、なんとなく、わかるような、わからないような……」

「ほらね、英語だったらここで、『あなたの言ってることわかりません』って言うんですよ。日本語だと、言えないですよね、まあ、私もなかなか言えないですよ。仕方ないです」

 酔っているからなのか、こんな人だったとは知らなかった。もう気持ちがここにないから、振る舞い方が変わってきているのかもしれないが。しかし、目の前で話し続ける人を遮って、「あなたの言ってること、理解できないんですけど」と意思表示をするのが英語なのだとしたら、そもそもの姿勢の違いから教えてもらわないと、会話をするのは難しそうだ。

 橘君が、そうやって「僕はこう思うんだけど」とか「あなたの言ってること全然わかんないんだけど」などと、自分を前に押し出して人と接する様子も、私には想像できない。

「海外って、日本にいるよりもほっとしますか?」

「ほっとしてるひまなんてないですよ。治安もよくないし、常に緊張しています」

「それでも、日本にいるよりましなんですか?」

 彼は、「佐伯さんは真面目ですね」と苦笑した。

「消去法で選んでるわけじゃないし、ましとか、そういう風には考えないな。単に行くのが楽しいから行ってるだけですよ。……そんなに悪いことしてるように見えるかな? ちゃんと税金払ってるし、誰かに迷惑かけてるわけじゃないけど」

「……すみませんでした」

 それ以上、言葉が見つからなかった。

 私がかなり年下だから、今みたいなことを言われたであろうことが悔しかった。

 それと同時に申し訳ない気がしているのも確かだった。「そんなに悪いことしているように見えるのかな」などと言わせてしまったということは、この人のことを相当追い詰めてしまったということなのだろう。思えば、橘君と話したときにもこんな結末になってしまっていた。私には、そうやって人を追い込めてしまうところがあるのだろうか。理解の範疇を超えていて、不安になっているのだろうか。この人は多分、ただふーんと聞いてほしかっただけだっただろうに。

 グアテマラに着いたあの日から、ブログの更新はされていない。

 一度、一週間後くらいに書き込まれた「無事か?」というコメントに「そう簡単にくたばらないです」と書かれていたので、生きてはいるみたいだけど。

 毎日が充実しすぎて、ブログなんて更新しているひまがないのか、ひまはあるけれども、優先順位をつけると、日本語で日本にいる人達とコミュニケーションをとろうとすることは下位になってしまったのか。単純にスペイン語の勉強が忙しいだけなのか。

 あのブログも、そのうち本文もスペイン語や英語で書かれる日が来るのだろうか。徐々に日本語の書き込みは減り、英語やスペイン語の書き込みが増えていったりするのだろうか。

 気づくと、周りの人たちも我々の話の輪に入っていて、海外についての話は終わっていた。終わってしまうと、もっと色々訊いてみたかったと思うのだけど、もうその時期は過ぎていた。

 私が知らない、去年までいた人の話で盛り上がりつつあったので、聞いているふりをしながら、頭の中ではさっき聞いた情報の断片をもとに、グアテマラのことを考えていた。

 土砂降りの雨の中、彼はどうしたのだろう。タクシーを呼んだのか、節約するために歩いたのか、すぐ止むだろうと思ってしばらく雨宿りしていたのか。雨に足止めされながら、どこへ行こうとしていたのか、私は知ることはない。

 屋根を叩く激しい音がここまで聴こえてくればいいのにと思う。雨が止んだ後、虹は出たのだろうか。

 英語圏以上に言葉が通じない人たちに囲まれて、彼はカナダにいた時以上に解放された気分でいるのだろうか。あらかた言葉がわかるようになったとき、そこに居場所はあるのだろうか。

 窓の外を見ようとすると、室内の明かりが反射して外の様子が見えなかった。見えたとしても、そこにあるのはどうせほかの店のネオンや、黒い空くらいのものだろう。

 とりあえず、しばらく橘君と会うことはないのは確かそうだった。


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グアテマラの雨 高田 朔実 @urupicha

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