第8話
八月も終わり、仕事の山はとりあえず越えたようだった。九月に入るとまた元の穏やかな日々が戻って来た。
例の先輩も、あれ以来、なにごともなかったかのようだ。試しに「おはようございます」と言ってみると、普通に返事がある。そうだよなあ、これが社会人だよなあと、妙に安心するのはなぜだろう。どうしても確認しないといけないことがあって、いやいや話しに行ったときにも、ごく普通の返答があった。先日のことを気にしている素振りはまるでなかった。「そんなにいろいろわかってるんだったら、もう少しちゃんとやって下さいよ」と笑いながら言ってしまいそうなくらいに、なんのわだかまりも感じられない。菜穂子さんの話を思うと、普通にあいさつしてくれるだけでなんらかの基準は満たしているように思えてくる。できない人にはそれなりの事情があるのだろうけれど。橘君は、会社に入ったらあいさつがちゃんとできる人だったのか。学校にいたときの彼を思い出してみる。多分あの人ならできるだろう。声は多少小さいかもしれないけれど。
それにしても、この微妙な距離感は、なんなのだろう。なにかあっても尾を引かないようにしないと、何十年も一緒に働いていくのは難しいということの表れだろうか。学生のころだったら、周りの人に愚痴をこぼしたり、どう接していいのか考えあぐねてしばらく避けたりしていたのかもしれないけど、そういうのも時間の無駄だと思うようになっている。
そんなある日、橘君のブログを開くと、「Está lloviendo」という題名の投稿がアップされていた。
「グアテマラに着いたら、すごい雨でした! 本当にすごいとしか言いようがなくて、ずっと見ていました。しばらくここにいることになりそうです」
グアテマラってどこ? メキシコにいたんじゃなかったの?
海外旅行をしている人たちにとっては有名な場所なのだろうか。私が思い立ってふらっと行くような場所ではないことは確かだ。今までの二十数年間の日本での生活の中で、一度でもグアテマラなる国に興味を持つことはなかった。彼もグアテマラの話なんてしたことはなかった。
地図で確認してみると、グアテマラはメキシコのすぐ隣にあるようだ。ちょっと隣の国に移動しただけか。驚いて損した。しかし、メキシコ以上に知らない国であることに変わりはない。
しかし、このアルファベットが使われているものの、見たこともない単語、見たこともない記号、これはなんなんだろう。切り取って、翻訳ソフトに貼り付けて、メキシコの隣だし……と思って、試しにスペイン語から日本語に変換してみる。液晶画面に「雨が降っている」という文字が現れる。
こんなの、わざわざ横文字にするほどのこととは思えない。あの人はこんな風に、ブログに外国語のタイトルをつけるような人だったのか。試しに今までのタイトルをざっと見返してみるけれども、私の記憶は正しかったようで、すべてのタイトルは日本語で作成されている。そういうところは、律儀に区別をつける人なのだ。外国語でタイトルをつけるのが気取ったことだと言う気はないけれど、彼は日本語の文章を書くときには、日本語でタイトルをつける人だったはずだった。
しかも、雨が降っているって、なによ、そのまんまじゃないか。外国の人にも読んでほしかったのか。いくら題名がスペイン語だからって、本文が日本語だったら読めないし。今までは、そんなことしてなかったのに。単に旅が長くなって、外国の言葉というものに慣れてきただけかもしれないけれど。
毎日せっせと、規則正しい生活や、エクセルで作った書類や、ある程度お金のある状況に慣れている一方、私はスペイン語どころか英語すら、これから生きていく上でほとんど必要とすることはない。四半世紀も生きたというべきか、四半世紀しか生きていないというべきか、しかし、早くも人生が定まりつつあって、先が見えつつある。知らなかった国に行って知らなかった人に会って、知らなかった言葉を覚えようなんて今さら思えないし、私にとってはさほど価値があることではない。
なのになぜなのか、今ばかりは、私が今後なんら関わりを持たないだろう言語で題名を書く日常を送っている彼が、ものすごくうらやましい。楽しそうな文章を書いてるからって、本当に楽しいのかどうかはわからないし、ぼろぼろのかっこうをしていて財布にお金はほとんどんなくて食うに困っているかもしれないけれど、私は一生見ないものを、彼は見ているのだ。真似したいとは思わないけど、そう思うことすら私の人生にはないことを思うと、無力さを覚える。
ついこの間まで同じ空間にいて、彼は私と同じくらい、いや、私よりも地味でなんの野望もないように見えていたのに、いつの間にこんなことになっていたのだろう。今の私には、とりあえず安定した生活以外に、安心できるものはなにもない。
最近、空が秋の表情を見せることが多くなりつつある。
入道雲が姿を消し、あいまいな色合いの雲が漂うことが増えた気がする。
連日さわやかとは言えないまでも、たまに晴れると、悲しくなるくらいにすかっとした青い空が現れる。写真で見たメキシコの空の青さとは違った類の澄んだ青で、比べる必要はない、別物の空だった。
ぶどう味のお菓子の香りがしたと思ったら、オシロイバナがアスファルトの脇で頑張って咲いていた。濃いマゼンダ色を見ると、あのブログに載っていた写真の、鮮やかな布の色が思い出された。
月日が経つのは早いもので、働き始めてからそろそろ半年になる。
同僚の一人が退職することになり、送別会が開かれることになった。育児休暇を取っていた人の代わりに来ていた人だ。元々いた人の子供が保育園に入れなくて、育児休暇が延長されたので、けっこう長めにいたらしかった。私はあまり話したことのない人だった。
ほかの人たちはそれなりに長いこと一緒にいたはずなのに、思ったよりも、別れを惜しむ気配が感じられない。
大学では、年度の途中で同級生がいなくなるということは、ほとんどが退学するとか休学するとかそういう場合だった。そう何度もあったわけではないけれども、もっとみんな神妙にしていたので、勝手が違った。
社会人のサイクルは学生のそれとは違うことを、また実感する。それと同時に、送別会の席であいさつを聴きながら、私がこうしてこの場を去るまでにあと何十年あるのだろうなどと考えている。悪い癖だ。
たまたま主賓の隣に座っていたので、今までは挨拶くらいしかしたことがなかったその人と、初めてまともに話すことになった。話すことが見つからない。
「退職したら、どうするんですか?」
とりあえず、ぱっと思いつく質問はその程度だ。
「ちょっと、長期で旅行しようかなと思ってます」
「どこへ行かれるんですか?」
「中南米をぶらついてみようかと思って」
最近、中南米旅行ってブームなのかな、と思う。けっきょくいくつだか知らないままだけど、私と十歳は離れていそうなその人の顔を、まじまじと見てしまう。
「確か、中南米ってスペイン語圏なんですよね。話せるんですか?」
「現地へ行ってから覚えるつもりです」
私の怪訝そうな表情から「そんな、都合よく覚えられるものなのか」という疑問を読み取ったのか、もしくはよくされる質問なのか、
「グアテマラという国があって、メキシコの隣にあるんですけど、スペイン語留学に適した国だということで、そこで勉強するんですよ」
彼はすらすらと答えた。
「どれくらい勉強するんですか?」
「さあ、一月くらい頑張れば、少しは身につくかなと」
「そんなに短くて大丈夫なんですか?」
日本語の環境で半年働いていたって、私は今の仕事にそこまで慣れたとはいえない。それなのに、たった一月で、見ず知らずの言語を習得できるものなのだろうか。
「自分は、最低限旅行に必要なことを覚えられればいいので、通訳になったり、本をすらすら読んだりしたいわけではないので、いいんですよ、それで。
英語には慣れてるから、二つ目の言語を学ぶ方が最初よりは楽だと思いますし。まあなんとかなるでしょう。一月で無理なら、延長すればいいんだし」
予定は未定な雰囲気、似ているなあと思う。長期で旅行へ行く人は、多かれ少なかれこんな感じなのだろうか。
橘君も、もしかするとグアテマラでスペイン語の勉強をすることにしたのかもしれない。しばらくいると言っていたのも、一月程度のことなのかもしれない。
グアテマラへ行くのも、最近流行っているのだろうか。
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