第6話

 そして僕の償いは今日、終わった。全てを花に費やした。彼といた記憶は、灰とともに忘却の彼方へと消え去ってしまった。彼との記憶は、最期にいた時のものしかもう僕は憶えていない。あの悲しそうな表情と消えてしまいそうな声しかもう憶えていない。

 長い時と共に、記憶は薄らいだ。僕は君といた思い出を憶え続けることでしか、君がいたという証明ができないのに。

 本当に君はいたのだろうか。今となっては確かめようがない。


 僕は後ろを振り向く。後ろには私が枯らしてきた花たちが地面を埋め尽くしていた。


 僕の死期が近づいている。

 分かりきったことだった。もうそれほど長い時間が経っていたし、君に何も恩返しをしてあげられていない。あれほど愛した人を、この手で殺めておいて、幸せになれるわけがない。最期にもう一度だけ君に逢いたかったな。君の人生に、僕という存在がいてよかったんだろうか。後悔をしていないだろうか。最後に謝っておけばよかった。もう君はいないのに。僕には後悔しか残ってない。ただ君と一緒にいたかっただけなのに。あの幸せな毎日が戻ってくれれば。

 よかったな。

 

 私に手向けられる花はない。しかばねには土がかれるだけ。なにかが芽吹く訳でもないのに。悲しみの上では何も咲かない。幸せを咲かせる花が悲しみに満ちたこの私の上に咲くわけがない。

 夢は醒めてしまった。まるで瞳の中がぽっかりと空いてしまったようだ。

 空洞が心を満たすわけもなく、漆黒で、何もかもを染めつくすような深く濃い黒が私を覆い尽くすだけだ。

 うつつに生きていた人生を終らせるには丁度いい死に方だろう。

 死が生に溶けていく。水性絵の具の黒が溶け合わされるように結局は黒に勝てる色はない。

 死に勝てるものは無い。

 死は、私にとって恐怖ではなく訪れるべき通過点であり、生を慈しみ、死を恐れるようなそんな男にはなりたくなかった。

 

 枯れてもなお、鬱くしい華に私はなりたかった。


 現にぬかし、鬱くしくいられるなら。


 鬱陶しいくらいに地上に咲き乱れてやる。


 空には私が映り込み、宇宙へは侵食だってし尽くす。

 雨だって、雪だって、雷だって、何もかもを華にしてやる。

 世界は万華鏡のように移り変わる。

 全ての星が華になるように。華が全てを埋め尽くすように。


 華が全てになるように。


 幾何学きかがく模様を描き、空を埋め尽くしてしまうほどに。この世に花だけが存在してしまうほどに。鬱くしく、咲き乱れてやる。

 私…僕には、好きな花がなかった。でも君は、僕の好きな花になりたいと言った。花のことなんて考えたこともなかったし、君は僕のすべてだったから、そんなことを考える必要もなかった。もし僕が花になれるなら、君が好きになってくれる花になりたい。君が本当に愛した花はなんだったのだろうか。


 結局君を見つけることは出来なかった。君は何の花になったんだろう。もう僕は花に愛される男ではないけれど。一度花になった君を拝んでみたかったな。

 僕と君がいなくなった世界はきっと、花が一面に咲き乱れて、君が息を呑むほどに美しい世界になっているはずだ。


 僕が最後に返せるものはこれくらいだけど……もし君が、この風景を見てくれたら、僕も少しは報われるのかな。

 瞼が重くなる。息が細くなる。音が遠くなる。鼓動が遅くなる。


 終わってしまう。  

 

 僕の人生が。 

  

 ようやく……彼に会いに行かないと。

 

 

 僕が最後に感じとったものは、仄かに匂う夢見草の温かな香りだった。




 


 彼の死に場には、月にまで届くくらいの大きな大きな木がただそびえたっていました。

 月夜に桃魏ももぎ色の桜が、空から雨のように降り注ぎます。

 儚く散りゆく花をただただ眺めることしか私たちには出来ないのです。

 それしか。


 できないのです。

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夢見草が芽吹く頃に デミ @Anemone_322

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