第2レース(3)未勝利戦、スタート

「ふう……」


 レース当日、炎仁は準備を終え、ベンチに腰かける。


「緊張しているようだね?」


「は、はい!」


 先輩ジョッキーに声をかけられ、炎仁は慌てて立ち上がって返事する。やや茶色い髪をした人である。この人の名前はなんだっただろうかと考えていると、その先輩は笑う。


「わざわざ立たなくても良いって」


「は、はあ……」


「おい、三郎、早速新人イビリか?」


「いやだな、次郎兄さん、ちょっと挨拶をしただけだよ」


「今のご時世、パワハラで炎上だな」


「太郎兄さんまで、やめてくれよ」


 先輩によく似た顔だちをした男たちが声をかけてくる。そういえば今日のレースは三兄弟が同時に騎乗するって出走表にも書いてあったか……ということを炎仁は今さらながら思い出す。我ながらかなり緊張していると思う。


「あ、あの……」


「グレンノイグニース、良いドラゴンだよね」


「は、はい、ありがとうございます」


「俺も調教VTRを少し見たけど、なかなかの素質を感じさせるな」


「あ、そ、そうですか……」


「私も記事を見た。今年の二歳竜戦線を賑わせる可能性があるという記事をな」


「へ、へえ、そ、そうなんですか……」


 三郎があらためて声をかける。


「まあ、お互い頑張ろうよ」


「は、はい……」


 次郎が笑いながら、炎仁の肩をポンポンと叩く。


「おいおい緊張し過ぎだぜ、リラックスしなよ」


「す、すみません……」


 太郎が手を差し出し、炎仁と握手する。


「良いレースにしよう」


「あ、は、はい……」


「紅蓮騎手! よろしいですか?」


 スタッフが炎仁を呼ぶ。


「あ……し、失礼します!」


 炎仁は頭を下げてその場を後にする。


「……どう思う?」


「そもそもスタートがまともに切れるかどうかってレベルだろう?」


「警戒するに越したことはない……」


 三郎の問いに、次郎と太郎がそれぞれ答える。出走の時間が近づいてきた。


「大丈夫でしょうか、紅蓮騎手?」


 スタンドの関係者席で眺めていた環太郎に環が尋ねる。


「……面子的には苦戦はないと思うがな」


「そ、そうですよね」


 環の表情が明るくなる。


「もちろん、競竜に絶対はないが」


「そ、そうですよね……」


 環の表情が暗くなる。環太郎が苦笑する。


「お前が緊張してどうすんだよ」


「と、とは言っても……結構人気してますし……」


「三番人気か……調教の仕上がり具合もまずまず良かったしな、なんだかんだでフアンの連中はよく見ているぜ」


 環太郎は関係者席からスタンドを見回して笑う。そんなことを言っていると、ファンファーレが鳴る。環が胸の前で両手を合わせる。


「始まる! 返し竜も悪くなかったです……うん! ゲートにもすんなりと入りました!」


「横で実況すんな、ちゃんと見ているよ」


 環太郎が呆れる。ゲートが開く。環が叫ぶ。


「ああ、ゲートが開いた!」


「うるせえな!」


「……よ、よし! スタート出来た!」


 炎仁が小声で呟く。今回はスタート直後に落竜ということはなく、まずはホッとした。それにより、緊張が少し解けた炎仁はレースプランを思い起こす。


(思ったとおりのハイペースだ。焦らずについていって、中団で脚を溜める……!)


「ふふっ……」


「!」


 先ほど、声をかけてきた先輩ジョッキーが並びかけてくる。


「今日はちゃんとスタート出来たみたいだね?」


「あ、は、はい……」


「出遅れでもした方が良かったのにね!」


「‼」


 炎仁が驚く。先輩ジョッキーが竜体をぶつけてきたのだ。


(わ、わざと⁉ い、いや、これくらいの接触は普通か……)


「へえ、動じないね……生意気!」


「⁉」


 再び竜体をぶつけられる。炎仁は戸惑いながら、考える。


(さっきよりも強いが、これも普通? もう少しポジション取りを意識しないと……!)


 気が付くと、内ラチ沿いギリギリまで追い込まれてしまっていた。内側が有利とはいえ、これではいざという時に外に持ち出せない。炎仁は慌てて前に進もうとする。


「……そうはいかないよ」


「さすが、太郎兄さん」


「くっ⁉」


 もう一頭のドラゴンによって、イグニースの前は完全に塞がれてしまった。


(な、ならば、ややロスになるが、後ろに下げて……!)


「へへっ……どうした? レースってのは前に進むもんだぜ?」


「ナイス、次郎兄さん」


「うっ⁉」


 さらにもう一頭のドラゴンによって、イグニースの後ろも完全に塞がれてしまった。内ラチを含めると、四方を完全に塞がれた状態だ。


(そ、そんな……! 絶妙に誘導された⁉)


「ふふふっ!」


「ふっ!」


「ぐっ!」


 三度竜体をぶつけられ、さらに前方のドラゴンが強く蹴った芝が炎仁とイグニースの顔にかかる。炎仁は顔をしかめながら、後方をチラッと見る。後方にいる次郎が笑う。


「ふふっ! 後ろには下げられないぜ! そらっ!」


「うおっ⁉」


 やや斜め後方から次郎が竜体をぶつける。


「まだまだ!」


 隣からも三郎が竜体を細かく接触させてくる。炎仁が呟く。


「な、なんで……?」


「いや~君と紺碧真帆ちゃんには、僕らの可愛い妹たちが世話になったみたいだからね!」


「! あ……」


 炎仁は競竜学校初日の模擬レースを共に走り、ダーティーな騎乗で退学処分になった茶田姉妹のことを思い出す。そういえば、この三兄弟の苗字も茶田だ。スタンドで環が叫ぶ。


「こ、こんなのレースじゃありません! 抗議してきます!」


「待て!」


「え⁉」


 環太郎が立ち上がった環を制して呟く。


「まだアイツらの眼は死んでねえ……!」

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