人形の旅路

黒心

人形

 その人形はある国のとある町の名もなき職人によって作られたもの。


 職人の家は知らない街の傭兵たちが乱暴に押し入って、明日食べるものに困り、明後日生き残るための水すら手に入れることすら難しい状況だった。町民も同じく荒くれ者に苦しみ、到底他者を見る余裕などない。壊れた机に切り裂かれた布たち、今生きているだけ幸福であったのだろうが、道に転がる血まみれの死体と同じ結末を辿るのは決まりきっていた。


 職人は慣れないが、鮮肉となった妻の針を手に取って親戚伝いに遠方に向かった箱入り娘への思いを込めて針を縫った。思いつきであったのか両親の血の滲む人形となった。幼い娘がおさないころ使っていた服布と、喧嘩したり泣き泣きながらも細い食事を取った木の机、使えるものを全て使って、想像もつかないほど頑固な人形となった。


 まるで娘のように……


 絵描きの旅人が廃墟となった街にやって来た。長い戦乱の果てに壊されながらも、人の影が佇む街の絵や物の絵を描くために相棒の馬と共に旅をしていたのだ。

 屋根のない井戸、焼け焦げた家、骨に刺さった弓、七日ほど留まって緻密に描き上げてゆく。最後に入った家は荒らされて一対の骸が横たわっていた。窓辺に置かれた人形が視界に入り、自然と手に取ってほこりを払った。


 風化していない人形は黒く汚れていたが粗末ではなかった。旅人は一旦、二人の骸の真ん中に人形を置いて絵を描いた。再び手に取ると相棒の元へ向かった。野草を採って馬にまたがり地を駆ける、心なし声が町から聞こえるようだった。


 港町に安くて心安い小さな酒場がある。外から騒いで入ってくる客を相手にしながら、売子の女は老馬を売りたいと持ち掛けられた。はじめは忙しくて断っていたが、夕方になって客が少なくり店番を終えて外に出ると例の馬が待ちわびている。傍にいる人は死んだ父に代わって旅に出るつもりはないと吐き捨て、馬肉にしろと無理やり手綱を渡して走りさった。

 迷って手遅れ立ち尽くす。

 すると馬の鞍に可憐な人形が挟まっているのを見つけ、思わず手に取った。見惚れている隙に老馬は逃げて霧の向こうに消えて行ってしまった。


 唖然として道にたっているの店主が見つけて先ほどのことを聞き、損も得もなかったが、売子は可憐で黒く滲んだ人形を捨てるのを惜しんで店の酒棚の空いている場所に座らせた。


 その店は不夜城となった。


 港に商人が訪れる。船の人員に船倉から品を搬出させている間に取引先に出向いた。大きめの酒場の店主にあって交渉に入る。あの品は高いから安くしてくれないかとか、この品は間違いで沢山仕入れたから安くするとか、儲かっている酒場の収入を吟味しつつ出来るだけ高く品を売る。そんなこんなギラギラとした目で話していると視線を感じて酒棚を睨んだ。


 女神のような微笑みを浮かべる人形がぽつんと座っていた。店主に品を安くする代わりにアレを譲ってくれと持ちかけた。店主は可憐な人形を譲るのを拒みかけたが、元売子の店主がそもそも私が作ったモノではないと漏らし、惜しみながらも丁寧に渡した。

 商人にはやはり女神に思えた。


 さっそく埠頭に戻る。笑顔で雇い主が帰って来たもので、交渉がうまくいって給料が増えるのではないかと期待したが手に持つ薄汚い人形を見て諦めた。変な癖を持つ雇い主の給料は他と比べるとひと回り大きい袋がもらえるため、別段臨時増給を期待しなかった。船員は品を各各の店や人に届けて地上で一泊、すぐに船出の準備をし始めた。まだまだ船倉には商品が載っている。

 雇い主が薄汚い人形を木製デスクに置いてニコニコしているのを見ると薄気味悪かった。


 それはそれで、給料はほんの少し増えたのだった。


 神父が幸運の船に乗って異国の地にやってきた。その手には綺麗で長い髭を蓄えた船長から、女神は船も異邦人も幸せにすると言われて渡されたものだった。かなり黒ずんでしまっているが大切に使われて破れてはいない。新しい教会で扱いに困っていると、小さな子供が神の像の手前に置いた。

 どこか別の場所の方が良い気がしたが、子どもの満足げな顔を見ると場所を移す気になれなかった。


 ある日、神の祭壇にあの人形が座り込んでいるのを見つけた。また子供の仕業だろうと気にもとめなかったが、祭壇に空の器しか置かれていないのを思い出して、酒や本や食糧を備えた。人形をどかそうとも思ったが、また子供がどこかにやってしまうからそのままにした。


 ところで神父、信者は増えなかったが信頼を勝ち得た。


或る日それは無くなった。炊き出しや菜園の手伝いで人はそれなりに来る。たまたま、どこかの子供が持って行ったのだろう。神父は寂しくなった祭壇で祈りを捧げた。主よ、あの人形に幸あれと。少し、ほんの少しだけ空気が揺れた気がした。


薄汚れた人形は子供たちのままごとに使われていたが、誰がどこから持ってきたのかを忘れ、子供たちは誰が家に持ち帰るかで論争となった。結局、誰にも譲らず頑固な少女が家に連れて帰った。


その家は貧相とは言えない、普通の家庭だった。子供が数人と母と父、さらにその母と父がいる。最後に一人の老婆が生きているのか死んでいるのかも怪しく寝込んでいる。


子供はまず、老婆に人形を見せた。


子が揺すると老婆はそっと目を開けて、白く濁った眼をそれに向けた。今に涙がたれんばかりに潤んでいる。子はそっと見守っていた。何年生きながらえてきたのかも分からない二人は、人と人とを伝って邂逅を果たした。


その日、老婆は息絶えた。

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人形の旅路 黒心 @seishei

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