第29話
☆☆☆
佳太くんが教育実習生?
株をあげるために私に会っていた?
じゃあ、昨日のキスは……?
思い出して涙が滲んできそうになり、慌てて目に力を込めて押し戻した。
ここはA組の教室内だ。
こんなところで泣くわけにはいかない。
「知奈ちゃん、次移動教室だよ、一緒に行こう」
雪ちゃんが声をかけてくれて、次の授業が化学であることを思い出した。
それでも体はやる気がでずにノロノロと準備を進めて、重たい腰をやっとの思いで上げた。
そして廊下に出た時、人だかりができているのを見かけた。
そう言えば以前3年生の廊下でも同じような光景を見たことが会ったかもしれない。
あの時は佳太くんを探すので一生懸命で、横を素通りしていったんだっけ。
みんな一体なにを取り囲んでいるんだろうか?
そう思ったときだった。
「佳太先生!」
男子生徒のそんな声が聞こえてきて、私は足を止めた。
その声は人だかりの中から聞こえてきた。
「知奈ちゃんどうしたの?」
急に立ち止まった私に雪ちゃんが心配そうな声をかけてくれたけれど、それにも気が付かなかった。
人だかりの中心にいる人物に視線を向ける。
3年生の廊下で見た時と同じ、背の高い男性が立っている。
その人はスーツを身に着けていて、生徒たちから先生と呼ばれていて、そして……。
「はいはい、また今度聞くから」
と、呆れた様子で答えるその声は……「佳太くん?」思わず声をかけてしまっていた。
自分の声は上ずり、震えている。
佳太くんはこちらへ視線を向けるが、なにも言わない。
ただ、とまどっていることだけは雰囲気で伝わってきた。
「ねぇ、先生ってば!」
他の生徒が佳太くんの腕を掴んで、佳太くんの意識は一瞬にしてそっちへ持っていかれた。
佳太くんは困りながらも楽しそうな声で生徒たちの相手をしている。
坂下さんの言っていたことは本当だったんだ――。
気がついたとき、私は化学の教科書を抱きしめたまま、走り出していたのだった。
☆☆☆
私だけ勘違いして恥ずかしい。
佳太くんの特別な女の子になれただなんて、そんなわけなかったんだ。
佳太くんはこの学校の教育実習生で、私を気にかけていたのは自分の株を上げるため。
そりゃそうだよね。
こんな、いじめられっ子で暗い私のことなんて好きになるはずない。
そう思うのに、どうしてか涙が次から次へと流れ出してきて、止めることができない。
突然逃げ出した私を追いかけてきてくれた雪ちゃんは、もう化学の授業を受けている。
私は1人、トイレの個室に入っていた。
しばらくすれば落ち着くと思うけれど、泣き過ぎて呼吸が苦しいくらいだ。
一旦個室から出て窓ち近づき、外の新鮮な空気を吸い込む。
呼吸は落ち着いたけれど、気分は沈んだままだ。
鏡の前に立ってみるとひどい顔の自分がいた。
目は晴れてぼってりして、顔は真っ赤。
まるで赤鬼みたいで少しだけ笑うことができた。
冷たい水で乱暴に顔を洗ったものの、この顔で教室へ戻ることはできない。
昨日の今日で風邪が治っていないことにして早退してしまおうかとも思うが、その考えはすぐに却下された。
家に戻れば昼過ぎにはお母さんが帰ってくる。
そうするとどうしたのかと心配されるに決まっている。
こんなにマヌケな失恋をしただなんて、とても説明できなかった。
かといっていつまでもトイレに逃げているわけにはいかないし。
そう思ったとき浮かんできたのは特別学級の生徒たちの顔だった。
最近ずっと向こうの教室には行っていないし、花壇でも会わないし、みんなどうしているだろうかと気になった。
A組に戻ることはできなくても、特別学級になら戻ることができる。
そう思うと私の心は少しだけ救われた気分になり、ようやくトイレを出たのだった。
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