第18話
なにもかもを病気のせいにするわけじゃないけれど、生活することでいっぱいいっぱいで、今までちゃんと異性を好きになった経験がなかった。
幼稚園の頃先生に憧れたり、小学生低学年の頃クラスメートに憧れることはあったくらいだ。
交通事故に会って失顔症を発症してからは恋愛ところではないままここまで来てしまった。
家に帰ってからもドキドキしっぱなして、両親と一緒に夕飯を食べていても頭は霧がかかったかのようにハッキリしない。
気がつけば彼のことばかりを考えている。
「ちょっと知奈どうしたの? 今日はぼーっとしちゃって」
お母さんが呆れ顔で聞いてくる。
「え、べ、別になんでもないよ」
慌ててそう答えるものの、頬のニヤケを自分で抑えることができない。
恋をするってこういうことなんだと初めて知った。
自分で自分の感情を制御することも難しくなるなんて、思ってもいなかった。
「まぁ、知奈が楽しそうならそれでいいじゃないか」
お父さんは満足そうな声でそう言い、晩酌を勧めたのだった。
☆☆☆
休日を挟んで次の登校日も、私は午前中だけA組の授業に参加することにした。
休憩時間のたびに教室から逃げてしまうところは変わらないけれど、クラスメートの1人に「最近頑張ってるよね」と声をかけてもらうことができた。
その声は鈴の音をしていて、私は嬉しくなて大きく頷いてみせた。
でも、名前を呼ぶことはできなかった。
また間違えてしまったら?
相手を傷つけてしまったらどうしよう。
そんな風に考えてしまって、言葉が喉の奥に引っ込んで行くのだ。
だけど少しずつなにかが変わり始めている。
そんな予感がしていた。
すべての授業が終わって花壇へ向かうと、彼と会話する時間が待っている。
彼に恋をしていると自覚してしまったときから、会話はどこかぎこちなくて、彼と距離を縮めることが困難になってきてる。
だけど、一緒にいられる時間があるだけで私は十分幸せだと感じられていた。
「今日も午前中だけクラスに行ってみました。そしたら、私に声をかけてくれる子がいて、嬉しかった」
「そうなんだ。その子とは友達になれそう?」
その質問には残念ながら答えられなかった。
これから関係を取り戻して行けるかどうか、まだ自信はない。
黙り込んでしまった私の頭の上に彼が手を乗せた。
びっくりして一瞬身構えたが、彼は優しくぽんぽんと頭をなでてくれる。
その暖かさにまた鼓動が早くなってしまう。
それをさとられないように花壇に集中する。
「ゆっくり、自分のペースでいいよ」
「はい」
私の胸にはいつの間にか薔薇のようなキレイな花が咲いていたのだった。
☆☆☆
午前中はA組。
午後からは特別学級。
そして放課後になると彼に1日の報告をする。
そんな生活が3日ほど続いたある日のことだった。
「また午前中だけクラスにいるのかよ」
休憩時間になってA組から出ようとした時、坂下さんが私の前に立ちはだかった。
その後ろには上地さんと秋山くんの姿もある。
教室を出るタイミングを失ってしまった私はその場に立ち止まり、うろたえることしかできない。
「A組には来なくていいってわからないのかよ」
秋山くんの笑いを含んだ声にチクリと胸が痛む。
「そうだよねぇ。だってあんたたち、私らのことは友達だとも思ってないんでしょう? 顔も名前も覚えないんだから」
上地さんが同意する。
「でも私は――」
頑張りたい。
このクラスでも、特別学級でも。
最初は彼を探す目的でこの教室へ戻ってきたけれど、今は違う目的があった。
彼に少しでもいい報告をしたくて、頑張っているのだ。
そしてまた「頑張ったね」と頭をなでてもらいたい。
「目障りだって言ってんの!」
私の言葉を遮るように坂下さんが怒鳴る。
その声は教室中にこだましてみんなの談笑までかき消えていた。
静まり返った教室内でみんなの視線を集めているのがわかった。
居心地が悪くて今すぐ逃げ出してしまいたくなる。
それでも私は両足を踏ん張ってその場に立っていた。
恐怖で両足がガクガクと震えて崩れ落ちてしまいそうだ。
そんな私を見下ろす3人はまるで大きな野獣のようにも見えてくる。
「あんたの居場所はこのクラスにはないの。まだわからない?」
「そんな……」
私の机はまでこの教室にある。
私はまだA組の生徒だ。
そう思って、願うような気持ちで教室内を見回した。
誰もが私から視線をそらしている気がした。
下を向く者、慌てて漫画で顔を隠す者、それにわざとらしく寝たフリをする者。
それらを見るたびに背中に嫌な汗が滲んでいく。
私の居場所はこのクラスにはない?
本当に?
心臓がぎゅっと押さえつけられるように痛くなって、近くの机に片手をついた。
今は足だけじゃなく体全体が震えてきて、支えていないと立っていられない。
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