第2話
私が他人の顔を認識できなくなったのは小学校の頃からだった。
あれは小学校からの帰り道。
いつも一緒に帰っている友達が今日は風邪で休んでしまって、私は1人で家までの通学路を歩いていた。
といってももう小学4年生だ。
3年前までは5年生や6年生の人たちと登下校していたけれど、今では1人でも平気だ。
歩きなれた道をスキップしそうな勢いで歩いていく。
今日は帰ったらお母さんと一緒にショッピングへ行くのだ。
駅前に大きなショッピングモールがあるから、そこへ行く。
そこへ行くとお母さんはいつも買い物の途中でソフトクリームを食べさせてくれる。
それが嬉しかった。
自分の家まであと少し。
あの信号機を渡って、右に折れたらもう見える。
自然と歩調は早くなり、鼻歌が漏れ出した。
機嫌がいいときの私の癖だ。
ふんふんと小気味よく口ずさみ、青信号の横断歩道を渡っていく。
もう少し。
もう少し。
その瞬間だった。
赤信号のはずの道路から一台の軽自動車が飛び出してきたのだ。
軽自動車が視界の端に見えた瞬間、私は思わず足を止めていた。
視線を向けると、目を大きく見開いた運転手と視線がぶつかった。
周囲から鳴り響くクラクションの音と、偶然通りかかった人たちの怒号が聞こえてくる。
「早く逃げろ!!」
どこからか聞こえてきた男性の声にようやく足が動いた。
あれは自分へ向けられている言葉なのだとやっと脳が理解したのだ。
ハッと息を飲んで一歩足を踏み出す。
だけど遅かった。
信号無視の軽自動車はすでに私の目の前に迫ってきていたのだ。
そこから先の事はよく覚えていない。
軽自動車が私に突っ込んできたこととか、頭を強くぶつけたことなんかは、目が冷めたとき病院で聞かされたことだった。
だから自分の頭に包帯が巻かれていても、なんだか不思議な気分だった。
頭も痛い感覚があったけれど、それよりも私は体中にできた打ち身や擦り傷のほうがずっと痛かった。
それからしばらく入院をして色々な検査をすることになった。
レントゲンやCTスキャン、MRIなど、見たことも聞いたこともない機械に入れられてまるで自分が何かの実験台にでもなった気分だった。
そうしている間になんとなく違和感を覚え始めていた。
白衣を着た男性が毎日病室へやってきて、私の様子を細かくチェックする。
それが私の担当医だということはわかっていたけれど、顔を見ても誰かがわからないのだ。
その人の声、体格、しぐさ、ネームを見て自分の担当医だと気がつくことができる。
最初はそれが異変だとは気が付かなかった。
だって、相手の顔は確かにみえているのだから。
それに両親や祖父母の顔はちゃんとみんな認識することができた。
もちろん鏡の中の自分の顔だって。
だけどある日先生にそのことを説明するととたんに声が険しくなった。
知らない看護師さんを連れてこられて「この人は今怒っているかな? 泣いているかな?」という質問をされた。
そんなの顔をみればすぐにわかる。
それなのに私には答えられなかった。
顔が見えているのに相手の表情がわからない。
怒っているのか泣いているのかの判断は、その人の声色を聞かないとわからない。
そんな私に両親はひどく困惑していた。
どうしてこんなことになったしまったのかと、泣いてもいた。
事故の後遺症による失顔症だということはすぐにわかった。
人の顔を見ても、その顔を認識することができない病気。
以外にも患者数は多く、そして自分が失顔症だと気が付かないまま生活をしている人もいるという。
それを聞いたとき、私は半分怖くなって、そして半分はホッとしていた。
自分が病気だと気が付かないまま生活しているということは、生活に支障が出にくいということだと思ったからだった。
だけど先生は両親を呼び出して、私のこれからについて説明をしたらしい。
治療方針とか、今後の学校生活とか。
ある日、両親は私の病室へやってきて「小学校でのお友達のことは認識しているのよね?」と質問してきた。
私は大きく頷く。
病室にはクラスメートたちが作ってくれた千羽鶴とか、寄せ書きが飾られている。
それにみんな何度も何度もお見舞いに来てくれていた。
誰が誰なのか、私にはすぐにわかって会話に困るようなこともなかった。
「でも、中学に入ったら新しい子が増えて、その子たちのことを覚えるのは大変になるかもしれないんだ」
お父さんは深刻そうな顔になって言う。
「新しい友だちを作らなくても、小学校からの友達と遊べばいいじゃん」
このときの私はことの重大さを理解していなくて、軽く言い返す。
本当にどうにかなると思っていたのだ。
「そうだけど、でもねそう簡単じゃなくなるかもしれないの。だからもしかしたら、中学からは特別学級へ通ったほうがいいかもしれないの」
「特別学級?」
私は首をかしげて聞き返す。
聞いたことのない名称だった。
「そう。色々と問題を抱えている子が通う学級のことよ。そこでならちゃんと勉強もできるし、困ることもないの」
「それってよしこちゃんやゆうこちゃんも行くの?」
2人共私の友人の名前だった。
両親は同時に目を見かわせて、そして左右に首を振った。
その瞬間、私は特別学級を拒否した。
みんながいない場所で勉強するなんて嫌だ。
休憩時間には外で遊んで、わからない問題があったら3人で先生のところへ聞きに行って。
そんなことができなくなるなんて絶対に嫌だ。
「絶対に嫌!」
私は叫ぶように言って、頭から布団をかぶったのだった。
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