彼の顔が見えなくても、この愛は変わらない
西羽咲 花月
第1話
入学式当日は1年A組の教室に入っても知っている子と少し会話をした程度で終わってしまった。
その子とは中学までが同じだったけれど、私とはタイプが違う派手めな子だ。
今はその子も新しい友人がいなくて私なんかに話しかけてくれるけれど、きっとすぐに自分にあった友人を見つけてしまうだろう。
だから、今日は自分から近くの子に話しかけないといけない。
そう思うと朝から緊張してしまって、うまく制服のリボンが結べなかった。
「知奈」
ローファーに片足を突っ込んだところで後ろからお母さんに声をかけられた。
お母さんは私の髪を手ぐしで簡単に整えてくれて「学校、大丈夫そう?」と、声をかけてくれた。
「うん。大丈夫だと思う」
「でも、なにかあったらすぐに言うのよ? 今からだって特別――」
「お母さん、私もう高校生なんだよ? 本当に大丈夫だから」
私はお母さんが何を言おうとしているのかわかって、途中で言葉を遮った。
最後まで聞きたくはなかった。
「そう、そうよね」
お母さんの声は少し落ち込んでいるような、それでも安堵しているような、複雑な音色をしている。
でも泣いたり怒ったりはしていない。
私はお母さんへ笑顔を向けると「行ってきます」と玄関を出たのだった。
☆☆☆
外はよく晴れていた。
見上げてみると頭上は雲一つない日本晴れだ。
なんだかいいものを見た気分になって、足取りは軽くなる。
鼻歌まで歌いながら学校へ向かい、A組の教室へ入っていった。
誰とにもなく「おはよう」と声をかけてみると、あちこちから「おはよう」と、挨拶が帰ってきた。
私は自分の頬が紅潮していくのを感じた。
ほらね、自分から声をかければちゃんと返事をしてくれる。
この調子で友達を作れば良いんだ。
なにも難しいことじゃない。
自分の席に座ると、今度は右隣の席の女の子が挨拶をしてくれた。
「おはよう」
その声は鈴の音のようで、少しの間耳の奥に残り、そして消えていった。
「おはよう。私、矢沢知奈」
そう言って右手を差し出すと、すぐに握り返してくれる。
「私は飯田雪。よろしくね」
「雪ちゃんって呼んでいい?」
「もちろん。私も知奈ちゃんって呼ばせてもらうね」
そう言い、2人で笑い合う。
きっと私達は馬が合う。
そう思い、私は嬉しくなったのだった。
☆☆☆
休憩時間中トイレに立った私は洗面台の前でジッと自分の顔を見つめていた。
血色の良い頬に手を添えて、微笑んでみる。
鏡の中自分も微笑んでいる。
今のところ、今日はとてもうまくいっている。
だから鏡の中の自分も自信が持てているようで、その笑顔はとても自然なものだった。
今度は頬に当てていた手を自分の胸に当ててみた。
心臓がトクトクと音を立てて動いている。
それはとても心地良いリズムで、新生活にほどよく緊張し、ほどよく楽しんでいるのが伝わってくるようだった。
「雪ちゃん、いい子だなぁ」
そう呟いたときだった。
数人の女子生徒たちがトイレの中に入ってきたので私は慌てて洗面台の前から離れた。
いつまでもジッと鏡を見ていては変な子だと思われるかもしれない。
女の子たちの横を通り過ぎてトイレから出ようとしたときだった。
「知奈ちゃん」
と声をかけられて足を止めた。
女の子にしてはハスキーで少し低い声をしている。
声がした方へ視線を向ける。
誰だろう?
同じ中学の子だろうか?
他のクラスに知っている子が何人かいるから、その子たちなのかもしれない。
当時からの知り合いならきっと大丈夫だ。
そう判断した私は「えっと、誰?」と質問した。
小首をかしげ、そして笑顔でだ。
相手が少しでも返事に困らないように配慮したつもりだった。
しかし相手は一瞬沈黙してそれから「なにそれ?」と言ったのだ。
傷ついたような、鈴の音で。
その声に私はハッと息を飲んだ。
「え、雪ちゃん?」
今の鈴の音は間違いなく雪ちゃんだ。
休憩時間のたびに何度か会話するようになった雪ちゃん。
でも、さっきの声は全然違うものに聞こえた。
どうして……?
混乱して唖然としていると、雪ちゃんの隣にいる子が「誰?」と、雪ちゃんに聞いているのが聞こえてきた。
「新しい友だちの知奈ちゃん。あ、でも知奈ちゃんは私のこと友達とは思ってないのかも。さっき、誰って聞いてきたし」
雪ちゃんの声に喧がある。
「ち、違うの雪ちゃん。さっきはなんだか声が違って聞こえたから」
私は慌てて弁解する。
「私声優を目指しているから色々な声の練習をしているの。さっきは知奈ちゃんを驚かせようとしてハスキーな声を出したんだけど、まさか誰って聞かれるとは思わなかった」
「せ、声優!? それってすごいね! いろんな声が出せるなんて!」
更に慌ててそう言うと、雪ちゃんは黙り込んでしまった。
今どんな顔を私へ向けているのか知りたかったけれど、雪ちゃんの顔を見ても表情を読み取ることはできなかった。
「そんなお世辞、いらないから」
雪ちゃんは私へ冷たく言うと、トイレの個室へ入ってしまったのだった。
☆☆☆
失敗してしまった。
学校までの道のりは日本晴れがとてもキレイで心地よかった。
だけど帰り道の今、同じ日本晴れが憎々しい。
雲一点ない青空に見下され、笑われている気さえする。
確かに今日はいい感じだった。
新しい友だちができるかもしれないと、期待もあった。
でも、途中で大きな失敗をしてしまった。
まさか雪ちゃんが色々な声を操れる子だなんて、想像もしていなかった。
それが原因で相手を認識できなくなって、結局怒らせてしまうことになるなんて……。
「こんなんじゃ社会に出られないよ」
1人の帰り道ポツリとつぶやく。
それはいつも両親が私に対して心配していることだった。
人の顔を認識できない私が、外へ出て働くことができるのか。
普段は人の体型や声で相手を認識しているけれど、いつまでも変化しないものなんてない。
体型は変わるものだし、声だって、今日の雪ちゃんのようなケースもある。
かろうじて自分と両親の顔の判別はつくけれど、他の人達の判別は難しかった。
「ただいま」
重たい気持ちを抱えたまま家にたどり着いてしまい、つい暗い声でそう言った。
するとお母さんがすぐにリビングから出てきた。
「おかえり。今日はどうだった?」
その口調からとても心配してくれていることがわかる。
今までも、クラス替えや進学があるたびに同じように心配をかけてきた。
だからもうこれ異常自分のことで心配をかけたくない。
「と、隣の子と友達になったよ。雪ちゃんって言うの」
私は一瞬言葉につまりながらも言う。
「そう。いい子そう?」
「もちろんだよ。将来の夢に向かって頑張ってる子なんだ」
嘘はついていない。
その夢が声優で、全然違う声で話しかけられたことで失敗してしまったけれど。
でもきっと雪ちゃんの夢は叶うと思う。
「それよりお腹すいちゃった。なにか食べるものある?」
私はひときわ明るい声でそう言ったのだった。
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