料理の間に


ニンブスが部屋に侵入してきて早2週間。彼は3日に一度オーロールの部屋を訪れていた。初日は彼女の部屋に魔法陣を描くのを忘れて時間より遅れてしまってニンブスに小言を言われたものの、話は進んだので彼は満足したようだ。初日以外は時間きっかりに彼女の部屋に来たのでオーロールは予め紅茶を準備して待つのが恒例となっている。今日は焼き菓子も用意しておいた。最近話が長くなる傾向にあるので何かつまめる物があれば良いとオーロールは思ったのだ。ニンブスが甘党かどうかは不明だが、彼が手を付けないなら自分で食べてしまおうと考えている。


(焼き菓子なんて懐かしい。昔はあの人に味見してもらったな……)


オーブンを開けると熱気と共にバターの甘い香りが部屋に充満した。今回はちゃんと成功したようだ。一つだけ別に分けておいてそのまま冷ましておく。オーロールは残しておいた焼き菓子を半分に割って少しずつ齧る。バターがまだ冷えていないクッキーは齧るとほろりと口に入り、思わず口元がほころんだ。


「うん、失敗してない!」


オーロールは料理は得意だがお菓子作りは超がつくほど下手である。昔前任者に焼き菓子やらケーキやらを作って食べさせたことがあったのだが、前任者はその結果2日くらい寝込んでしまう羽目になった。それ以来きちんとレシピ本を片手に作るようになって多少改善されたが、前任者に深い精神的外傷トラウマを負わせたことにより誰かにお菓子を作るのをぱったりと辞めてしまっていた。もちろん前任者からはくどくどとお説教をされる事態になってしまう。

お菓子作りは難しい。きちんと分量を守らないと生地がまとまらなかったり、しっかり生地が膨らまなかったりと燦々たる結果になる。パティシエやパティシエールの偉大さがよく理解できた。


(お腹は壊さない……はず) 


味はごくごく普通のバター味の焼き菓子である。本当は色々な味を試してみたかったのだが生憎買い物に行けなくて全てバター味になってしまった。オーロールは焼き菓子を温かいうちに食べるのが好きだ。バターが冷えてサクサクとした食感も好みではあるが温かいクッキーは出来たてでないと食べることができないので特別感がある。

ちりん、と鈴の音が聞こえる。ニンブスが転移魔法を使っているらしい。最初のうちは何の前触れもなく現れたニンブスに腰を抜かしかけたことがあったので音で知らせるようにオーロールが改良したのだ。


「こんばんは、オーロール。いい夜だね。今夜もあなたは美しい」


(体中が痒くなりそう)


ニンブスの決り文句とはいえ聞くと背筋がゾワゾワとする。まともに取り合っていたら疲れそうだ。オーロールはそんな彼の戯言を無視してソファーにかけるように勧めた。


「こんばんは、ニンブス」


オーロールの言葉は素っ気ない。しかしニンブスはさして気にしていないようで微笑みを崩さなかった。


「何やらいい匂いがするな。何か作ってたのか?」


部屋中にバターの香りが漂ってニンブスの胃が小さく鳴る。既に晩御飯は済ませていたのだがやはり別腹なのだろう。


「ええ。久しぶりに焼菓子を焼いたの」


オーロールは台所から焼菓子と紅茶のカップを二つ乗せたお盆を運んでそのままテーブルへ乗せた。焼菓子はまだ冷めてないがニンブスに取り分けて紅茶の隣に置く。彼は興味深そうにそれを見ていた。


「オーロールがお菓子? 料理できるからそりゃ作れるか……」


そわそわしているニンブスを見てオーロールは首を傾げたが、すぐに理由に思い当たって紅茶を一口飲んでから焼菓子を齧る。先程より冷めているので食感がやや固い。


「ニンブスは辛党かしら?」


「いや、好き嫌いはないよ。ちょうど小腹が空いてたところだ。頂くよ」


ニンブスは喜々として焼菓子を頬張る。やはりオーロールが先に食べないと手をつけなかった。彼は紅茶ですらもオーロールが先に飲まないと自らも飲まないのだ。


「うん、美味しいよ、オーロール」


まだほんのりと温かい焼菓子は見る見るうちにニンブスの口に吸い込まれていく。どうやら気に入ってくれたようだ。辛党なら食べてくれないと思っていたオーロールは少し嬉しかった。


「そう、良かったわ。最近話が長引く傾向にあるから作ってみたの」


前任者みたいにならなくて本当に良かった。焦がしてないしレシピ通りに作ったからきっと大丈夫。


「そうだったのか。オーロールは気遣い上手だな」


「諜報員もやってるから当たり前よ。相手の警戒を解く方法の一つだわ」


ニンブスはぎくりとした。オーロールらしい答えではあったがこの状況でそんなこと言われると疑いたくなるのも自明の理だ。


「ま、まさか……」


「大丈夫よ。毒なんて入ってないわ。私も食べたし」


(お腹壊さないとは言ってないけどね)


ニンブスは胸を撫で下ろす。考えて見れば当たり前だが呪いが掛かっているのだからこんなちんけな方法で殺されるなんておかしいと思い直した。


「俺は嬉しかったぞ。また何か作ってくれるか?」


思いの外好評だった。ニンブスは既に自分の分を平らげていた。つまみながら話をしようと考えていたオーロールは少しだけ複雑な気分になった。


「甘い物がいい? それとも軽めなおつまみの方がいいかしら?」


「オーロールが作るなら何でもいい」


「……それが一番困るのだけど」


せっかく二択にしたのにそんな言い方をされるのは心外だ。こちらが困らないように質問したのにこれでは本末転倒もいいところであった。



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