困惑の間に

「一応これで安心だな。ところでオーロール、俺はそろそろお暇したいんだがいいか?」


オーロールはハッとした。もうそんなに時間が経っていたとは思わなかった。


「あ……長く引き止めてごめん、なさい。少しだけ待ってくれる?」


言うが早いか本棚に仕舞ってある羊皮紙を取り出してきてナイフをその上に置いた。何をするんだろうと彼女の手元を覗き込むと、彼女はナイフで自分の小指を切った。オーロールの端正な顔立ちが歪む。


「おい! 何をして」


「大丈夫だから見てて」


ニンブスの非難には耳を貸さない。これは必要なことだから。


「魔法陣を描くの。そのための血だから」


「……そういうことは早く言えよ」


「言ってどうするんです?」


ちらりと怒りの視線をよこすオーロール。言ったら言ったで止められそうだと思うのだが。


「……いや、何でもない」


手のひらよりふた周りほど大きな羊皮紙に精緻な図形が描かれるのをぼんやりと眺めているニンブスは彼女にいくつか質問をすることにした。


「オーロール、こうしないか? オーロールが貴女のことを教えてくれるなら、俺もオーロールに俺のことを話すのは」


「それでいいよ。貴方は隠してることが多過ぎるわ。そんなに隠してると私の部下にできないもの」


猜疑心に輝く桔梗と緋色。


「確かに。敵を知るなら味方からとか言うし。じゃあオーロールは何歳なの?」


既に魔法陣は四分の一が仕上がっている。


「18歳よ。あまり女性に年齢を聞くのはどうかと思うわ……貴方は?」


ギロリと睨んだがニンブスは相変わらずニコニコしていた。


「意外と若いんだな。俺は17歳……今年で18だな」


一旦オーロールは手を止めてニンブスをまじまじと観察する。髪も瞳も濃いからだろうか、それともやや童顔に見えるからだろうか。もっと若いと思っていたので驚きを隠せなかった。


「その年には見えないのだけど……」


「あー、よく言われる。ノルンに来たばっかりの時はそれしか言われなかったな。逆にノルンは大人っぽい顔立ちの人が多い気がする」


「お国柄なのかしら。東と南の国は若めに見える人が多くて、北と西は大人っぽく見える人が多いような気がするわ」


急いで魔法陣を完成させなくては。でないと血が止まる。そうなればまた切らないといけない。またニンブスに何か言われたら面倒だ。


「そうか、オーロールは諜報もしてるんだね。それである程度国のことに精通しているのか」


「……どこでそんなことを」


「あ、都市伝説の一部だから。そこは安心していい」


一体どこに安心する要素があるというのか。


「その都市伝説、もう少し詳しく聞かせてくれない?」


前に聞いたのと少し違う気がしたので聞いてみることにした。


「ああ……色んなパターンがあるな。十三師団が欠番な理由は代々の王だけが詳細を知っていて、それ以外の人間が知ると呪われるとか、十三師団長は部下を一人も持たず、もっぱら諜報や遊軍に従事してるとか、十三師団長は夜行性だとか吸血鬼とか」


(当たらずといえども遠からず……かな)


聞いていると本当に都市伝説のようだ。何とも言えない表情になる。ほぼオーロールのことを言い当てているのが不思議でならない。最初の呪いのことは外れだが。


「何か、かすってるのもあるけどそうじゃないのもあるね……吸血鬼は半分当たってるかも」


水に弱いわけでもにんにくに弱いわけでも十字架に弱いわけでもないが日光に脆弱なのは正解である。げんなりとしたオーロールだったが、魔法陣を描く手は止まらない。あともう一息である。


「日中は歩けないから?」


「そう、それよ。何で分かったのよ」


最初に目を合わせたときにそのことを言われたのを思い出した。


「簡単だ。オーロールは先天性白皮症アルビノだな? その見た目で分かったぞ」


「……よく知ってるわね。東の国にはいない筈なのに」


先天性白皮症アルビノとは、メラニン色素が生まれつき形成されない人間または動物のことを言う。髪は薄い金髪や白髪、瞳は青や紫、赤になる。肌も当然白くなるがメラニンがないので皮膚病になるリスクが常人よりも圧倒的に高い。それに加えて瞳もやはりメラニン不足でどうしても眩しがる傾向にある。太陽が南中している時に日焼け止め無しで浴びるのはご法度だ。下手をすると肌が火傷を負ったように爛れてしまう。目については特に心配はしていない。オーロールは髪と目の色を変える魔法を使えるからだ。本当は皮膚にも使いたいのだが物凄い魔力を消費するので仕事に支障が出てしまう。現在は皮膚にも魔法をかけられるように研究中である。

髪と目の色を変えたとしても持って半日だ。こちらも魔力をかなり消費してしまうので制限時間近くなるとシンデレラよろしくその場を立ち去る羽目になる。


「確かに見かけないな。ノルンは色素が薄い方が多いので産まれやすいのかもしれない」


「私は珍しいんだって。アルビノそのものが希少っていうのもあるんだけど、私はさらに虹彩異色症オッドアイを持っているから」


いわば希少のサラブレッドのようなものだろうか。


「そういえばオッドアイは一人しか知らんな。オーロールを含めて二人だが……オーロールのその瞳は美しいよ。綺麗な緋色と桔梗色だ」


面と向かって瞳を褒められたのは初めてだ。仕事の時は常に髪と色を変えているのだから当たり前なのだが。というよりもこうしていわゆるすっぴん状態で誰かと対面したのは前任者と王と、そしてニンブスだけである。


「そりゃどーも」


「俺は適当に褒めてないぞ。仕事してても何かしら言及されるから飽きてんのか?」


その髪に瞳は例え色素の薄い人が多いノルンでもえらく目立つだろう。


「ん? 言われてないよ? そもそもこのまま仕事に行かないわ。身バレしたら嫌だもの」


「え? じゃあいつもかつらを被ったりしてるのか?」


それでは目の色だけはどうしようもないだろうに。


「こうするのよ」


魔法陣はどうやら描き終わったようだ。指を羊皮紙から外す。反対の手で徐にオーロールは髪をすき始めた。ついでに瞳も閉じる。すると梳いているところから徐々に色が変化していった。こんな魔法もあるのかと目を見開いていたが、彼女が目を開けると目の色も変化していた。


「なっ、変身魔法?!」


髪を梳き終わると全く違う人物が姿を現した。腰近くまであった髪が焦げ茶色に、琥珀色の双眸がニンブスのくろの瞳と合う。琥珀色を囲うのは栗色の睫毛。典型的なノルン人の特徴を持っていた。


「ええ。今は適当に色を組み合わせたけど、毎回違うパターンを作るわ。名前も適当に用意するし……」


なるほどこれだとバレるまい。なかなか便利な魔法である。


「それ俺もやってみたいかな」


「止めときなさい。魔力消費が早いから。私ですら持って半日なのに。日中は必須よ。眩しさがだいぶ軽減されるから」


高等魔法だとは知らなかった。ニンブスならきっと数時間も持たないだろう。


「たぶんだけど、この魔法は禁忌だと思うわ。誰も信用出来なくなりそうだし」


確かに。諜報員などは需要がありそうだが一般人が使うと世の中が混乱しそうだ。


「それは残念。まあ使っても徒に混乱が起きるだけか」


「お待たせ。この魔法陣は持って帰ってベットの下に入れたらいいわ。私の部屋にも同じものを置いておく。貴方しかこの魔法陣を使えないように制限をかけたから誰かにバレても問題ないわ。お昼は仕事があるでしょうし、夜の今の時間くらいにいらっしゃい。今日は来た道を通って帰ってもらうことになるけど」


出来れば転移魔法で帰したい。ここから出入りされるのは例え夜であってもして欲しくないのだ。しかし転移魔法は仕込むのに時間がいるし、そもそもオーロールが知っている場所でないと転移が発動しない。


「え? それじゃあオーロールも俺の部屋に来れるの?」


「いいえ、私でも通れないようにしたわ」


「……それは残念」


なんとなく察していたがはっきり言われると少し凹む。


「発動条件って他には?」


「ベットの上に立って転移って言えばいいわ」


思ったより簡単だった。簡単というよりは単純なのか。大掛かりな詠唱がいるかと思ったのだが。やはり宮廷魔術師よりも強いのは本当だった。


「ありがとう。オーロール。明日また来るよ」


ニンブスは一礼して部屋を去ろうとしたが、オーロールに呼び止められて振り向いた。


「あ、待って」


「どうした? もしかしてまだ話したいことが」


「1分だけ誰からも見えないように魔法をかけるわ。足跡もつかないようにしないと、万が一ここがバレたら困るもの」


言うや否やニンブスの胸元に手を翳して何やら唱えた。


『彼らの目を暗くして見えなくし、彼らの腰を常に震わせ、目はあれど見ることあたわず』


ニンブスは変化があったようには感じなかったが、オーロールは大きく頷いた。


「これで成功よ。おやすみなさい、ニンブス」


「ああ、おやすみ、オーロール」


ニンブスは後手に扉を閉めた。足音が遠ざかるのを聞いてオーロールはベットに体を沈めた。


(全く、何て夜なの……)


一時はどうなるかと思ったが何とか丸く収まったようでホッと息をつく。オーロールが思うことではないが、殺さずに済んで心底良かったと感じた。


(ついに私にも部下が……)


まさかこんな形で得るとは思わなかった。そういえば前任者はどうやって部下を得たのだろう。オーロールは首を捻ったが、よくよく考えたら前任者のことはあまり知らない。諜報員も担うオーロール達はお互いに不可侵である。たまに近況報告をするくらいで必要最低限の接触しかしない。それもこれも秘匿性の維持のためである。


(あの人の正体を暴いてやる)


あまりニンブスのことを問い詰めていなかったことを今更思い出した。自白させる魔法を使うのが手っ取り早いが、仕事でもないのにわざわざそんなことをするのは憚られた。


「ほんっとうに酔狂な人!」


誰もいない部屋で一人ごちた。そうでもしないとやってられない。こんなに誰かと長時間話したのは前任者以外は初めてだ。さっきから心がざわついて落ち着かない。


(やりたくないけど、仕方ない)


寝付けない予感がしたオーロールは自らに睡眠補助の魔法をかけてそのまま目を閉じた。

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