生と死の間に

「決闘は引き分けでした。ニンブス殿、今後のことを話し合いましょう」


(なるほど、このためにお茶をくれたのか)


勝利条件を満たさぬまま終わったから再戦になるのだろうか。それとも何か別のことをするのだろうか。


「分かりました。では再戦にしましょうか、それとも」


「いいえ、必要ありません」


ぴしゃりと言われてニンブスはたじろいた。


「どちらかを選びなさい。ここであったことを綺麗に忘れ去るか、私の情報を知った上で私の手足となるか」


(ん?)


何かの取引だろうか。しかし再戦もしないとのことならそもそもこんな会話は茶番でしかなさそうだが。


「え? 貴女のことを教えてくれるのです?」


絶対に裏がありそうだ。仮に知ったとしても誰かに言いふらす趣味はニンブスは持たないのだけど。しかしこれを逃すとオーロールのことを知る機会はきっと永遠に失われてしまうだろう。


「はい。もちろんタダとは言いません。貴方に私のことを誰かに話そうとしたら首が落ちる魔法を仕込みます」


(何かすごいこと言われてる気がする)


中々物騒だ。もう少し何とかならないのだろうか。例えば心臓が破裂するとか、血がなるべく吹き出さない方向にはできないのか。


「そりゃ話されたら貴女も王も、ひいてはノルンの弱点になり得ますからね……うーん、どうしたら信じて下さるのか」


重ねて言うが本当にオーロール、十三師団長のことを口外するつもりは全くない。そんなことをしたら彼女に近づいた意味が無いからである。


「何をです?」


とはいうものの、それはあくまでもニンブス側の考えであってバラす気はないですよとオーロールに伝えた所で信じてくれないだろう。ニンブスがオーロールの立場ならやはり信用できないと突っぱねることは想像に容易い。


「私はカーマイン殿を忘れるつもりはありません。そんなことをしたら半年も掛けて貴女にたどり着いたかいがありませんよ」


(どうしてこの人は私に執着しているの)


ニンブスの意図が全くつかめない。決闘の時に感じた剣筋だって悪意や邪なものは見当たらなかった。それなのに何故そんなにも私のことが気になっているのだろう。


(未知なる者への憧れかしらね)


「……確かにその執念は中々のものとお見受けしますが……どうです? 都市伝説が現実だと分かったときの気分は」


「最高ですよ。私がどうやら初めて貴女にたどり着いたようだし、何より貴女は美人だ。そんな貴女と会えて頗る機嫌が良いですよ。外見も然ることながらなかなか聡明な方のように見受けられます」


(なにそれ)


何か色々褒められた気がするがあまり嬉しくはなかった。紅茶を褒められた方が何倍も嬉しかったというのに。彼がいちいち気障ったらしくて言葉が軽く聞こえるのである。


(でも、興味があるならそれを逆手に取れる。呪いをかけた上で私の手足になってもらうなら別に殺す必要も、ないし)


昔から前任者にせっつかれていた。どうして部下を一人もつけないのかを。曲がりなりにも師団長なので前任者も部下を持っている。オーロールが異例なのだ。何でも魔法を使えば一通りできるので人を使う必要性を感じなかったオーロールは部下を作らないことに決めていた。死者扱いを甘んじて受け入れているということもあるが、前任者のように社交的でも何でもなかったので今まではたった一人で仕事をしていた。


(彼がいれば夜会の潜入は楽になる。爵位持ちだし、一人ではやりにくいこともできるわ)


部屋に入られた時は殺そうと思っていた。秘匿されている意味が失われるからである。だが決闘を経て殺すには惜しい人材だと感じた。羅刹のように強い人間をおさおさ虐げる趣味もないし、ノルンの国益にも適う。悪意もなさそうだし、駒にするにはちょうど良いと打算的な考えで選択を迫ったのだ。それに、得体の知れないのがちょろちょろうろつくよりは目の届くところで監視する方が安全だとオーロールは確信していた。何かトラブルがあった場合すぐに対処もできるし。


(それに、今この機会を逃すときっと……)


個人的にも彼に興味が湧いたとも言える。どれほどの能力を隠し持っているのか見極めたかった。何せ通れない筈の結界を通過してきたんだし。


(でも、死者の所にずっといさせる訳にもいかないし、いつかは手放さないとね)


「分かりました。では口外した暁には速やかに死んでいただきます」


呪いが怖い訳ではないが、誰も首が落ちる様を見たい訳ではないだろう。さすがにそれは受け入れかねるのでニンブスは提案する。


「カーマイン殿、せめて首が落ちるのは無しでお願いできます?」


「では内臓破裂で良いでしょうか?」


(どっちもどっちだ)


それでも首が落ちるよりはましだ。自分の周りが阿鼻叫喚の地獄になってしまうだろうから。オーロールは趣味が悪いらしい。


「いいですよ。では俺に呪いをかけて下さい。よろしくおねがいします」


(呪えってお願いされたの初めてかも)


ニンブスは立ち上がって直立不動になった。オーロールは彼の隣に立つ。オーロールは奇妙な気分になった。呪い自体は知っているし、呪ったこともあるが、本人たっての希望で呪ったことなんてないのだ。物好きな人だなと頭を振った。彼の胸に手をかざす。


『彼は呪いを衣のごとく纏い、呪いを水のごとくその身に染み込ませ、油のごとくその骨に染み込ませるべし』


やかましく騒いでいた心を無にしてブツブツと唱える。ニンブスは盛大に顔を顰めた。心臓がどくどくとうるさいし左胸が熱い。心臓に焼けた鉄を突っ込まれたような痛みを感じて体を思わず折った。


(これが呪いなのか)


それでもニンブスは満足そうな笑みを浮かべた。その笑みはオーロールからは見えない。


(これで……貴女を知ることができる……貴女の側にいることができる)


「はあ……はあ……」


さっきオーロールに肩を貫かれた時よりも痛かった。膝をつき、肩で息をする。


「これで終わりです……。大丈夫じゃなさそうですね」


オーロールはそう言って彼に治癒を施した。さすがに呪いの刻印は消せないが痛みは和らげることはできる。


「ありがとう……ございます。カーマイン殿」


胸の痛みが消えた。ニンブスは再び立ち上がって礼を述べる。


「オーロールでいいです。ニンブス殿」


ちらりとオーロールが笑った気がした。珍しい物を見た気分になってニンブスは内心驚いた。


「……ではオーロール殿とお呼びします」


見間違いではない。やはりオーロールは笑っている。


「貴方を正式に私の部下にしようと思います。よろしいですね? 部下と言っても非公式ですが」


「はい。喜んで」


そう言って跪こうと思ったがオーロールはそれを制した。


「あ、忠誠を誓うのは無しでいいです。私は死者ですし、忠誠の証ならニンブス殿の左胸にありますし。本当は貴方は私に敬語を使わなくても良いんですよ」


オーロールはあまり他人の言葉遣いを気にしない。というよりも人に興味があまり持てない。


「……え? まさか貴女は庶民な訳ではないですよね? 失礼ですが爵位は……」


「公爵を賜っています」 


(はあっ!? いくら何でもそれはないだろ!)


爵位無しが1代で爵位を得るなら男爵と相場が決まっている。子爵になった自分は異例だと理解していたが、オーロールはさらに異例だった。公爵は王族が臣籍降下した時の爵位で、侯爵から公爵に上がる例も存在するがそちらはだいぶ少ないのだ。


「えっと……女公爵でいらっしゃる……?」


事実ではあるが、オーロールが自分自身を説明するとまるで世迷言のように感じてしまう。まるで他人の話をしているような錯覚に陥った。自分で言うのも何だが、自分の存在が他人事のようにしか思えない。


「確かにそのとおりですが、その後に鬼籍に入ってますので名ばかりの公爵です。一応王ともお話を致しますのでその為の爵位と言って差支えありません。十三師団長は代々公爵を賜るのが通例だそうなので私も口を挟めませんでした。当然領地なんて持っていません」


「……十三師団は本当に規格外なんですね……」


そうとしか言えないニンブスだった。常識で目の前の彼女は測れないのだ。想像以上の大物の予感がする。


「ですので敬語は不要です。ニンブス殿は私の部下でもありますが、私自身どこの人間かも分からないのです」


(出自を気にしてる? それとも……)


「それは私も同じですよ。元は私も庶民でしたし。それならお互い敬語なしにしませんか?」


(ニンブス殿は本当に庶民だったの? 考えにくいんだけど)


オーロールは彼のことをただの人間とは思えなかった。オーロールを見つけたことといい、先程の見事な剣筋といい、はっきり言って人間技ではない。


「本当にニンブス殿が庶民だったかどうかは理解しかねますが……いいでしょう」


それでもニンブスの提案を呑んだのは、ある程度気さくな方が信用されると思ったからだ。抱き込む方を選択した以上、あまり距離を取られても困る。


「契約成立、ですね。私も敬語は距離を置くような感じがして嫌だったんですよ。ちょうど良かった。しかしどうして俺が庶民だったか疑ってんの?」


くろの瞳が妖しく光った気がした。


「……剣技が人間離れしていたので」


そのままニンブスの目が細くなる。まるで猛禽類の目だった。


「オーロールが貴女自身のことを教えてくれるなら教えるよ。そこは等価交換だろ?」


「……別に私のことを知っても意味がないわ。もう人を知ってどうするの?」


「貴女は死人なんかじゃない! ちゃんとここで生きている! 例え俺と貴女だけの秘密でも俺にとっては大事なんだ!」


ニンブスが声を荒らげる。さっきから死人だの何だの聞いていて吐き気がした。確かに世間からは徹底的に秘匿されていて誰にも認識してもらえないかもしれない。でも、オーロールはここでしっかり息をしている。心臓も鼓動している。それなのにまるで自身を他人事のように言うオーロールは不気味でもあったし、今ここで殴り倒して生きている実感を植え付けたかった。


「……私は、生きて……」


「そうだ。貴女は生きている。だから自分を蔑ろにするな」


どこか呆けたような表情をしているオーロールは、それを聞いて少し困ったような笑みを口元に貼り付ける。


「いえ、その。私自身の肩書が信じられなかったりするし。だって師団長なのにあまり軍らしいことはしていないし、公爵だしで……どこか遠い人のことを言ってる気分になるの……」


「そうであったとしても駄目。俺との約束。いいね?」


有無を言わさずニンブスが言い募る。オーロールは頷くしかなかった。



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