一瞬の間に
「どうしてここが分かったの」
代わりに疑問が口をついて出た。侵入者は靴を脱ぐと後ろ手にドアを閉める。もちろん彼はしっかりドアの内側にいた。一瞬で彼に近づきナイフを首筋に当てる。
「いやあ、勘じゃないですかね」
ヘラヘラとのたまう侵入者は見た目は真面目そうなのに、その口調のせいでかなり軽薄に見えた。ナイフを突きつけられても表情一つ変えないのは大したものだが。
(度胸が据わりすぎている。同業者なのか?)
猜疑心が自分の瞳に灯ったのが分かった。頭の中で疑問が多数渦巻いている。
「そんな、訳」
「あり得ないことではありませんよ。秘匿されし十三師団長、オーロール殿」
「う、そ………」
「一体何をそんなに驚いているのです? 自身が透明人間にでもなったおつもりか」
いきなり核心を突かれて眉が動く。自分は眉毛も白いので、なかなか表情を読み取れまいと思っているのだが、彼は明らかに普通ではない。無表情を保つのがこれ程難しいと感じたのは久し振りのことだった。
(どうして私の名前を!)
おかしい。存在そのものが隠されている筈なのに、どうしてこの侵入者はすらすらと答えられたのか。自分の施した結界を通り抜ける条件は、自分の名前を知っているか否かである。そもそも名前を知らなければ上の小屋も認識できないのだ。
(容疑者は限られるけど……)
王に近い人物? 否、王が重大機密をむざむざ破るメリットがない。
前任者が漏らした? 否、前任者は元十三師団長なのでやはり存在を秘匿される。そんな人間から自分の名前を聞くことは不可能だ。
「で、出ていって下さい」
ついでに声まで震えてしまう。彼の得体の知れなさに自然と慄いている自分がいた。容姿を見る限りはノルンの人間ではなさそうだが、自国民だろうが他国民だろうがそんなことは瑣末事に過ぎない。
「いやいや、せっかくなんです。土産話もたんとありますよ。貴方は昼間殆ど出られないようですが、情報は必要でしょう?」
(何でそこまで知ってるの)
一体どこでそんなことを嗅ぎ付けて来たのか。この特異体質のことを知っているのはたった二人だけのはずだった。
「あなた、は、何?」
「誰? ではなく何? ですか。面白いですね」
にっこりと目の前の彼が微笑む。微笑むと軽薄さが和らいだのが不思議だった。
「私はニンブス、ニンブス=プランタジネット。東の国の騎士ですよ」
(何故他国の騎士がこんなところに? いや、それよりも)
「どうしてこんなことに……」
その人物の呟きは彼に届くことはなかった。
「東の国……クラミツハの騎士? そんな風には見えませんが」
彼が着ている隊服はノルンのものである。だが顔立ちは確かに東の国の多くの人の特徴を持っていた。
烏の濡れ羽のような髪は艶々として天使の輪のような形に反射している。同じ色の瞳は、落ち着き払った光を湛えており、身長はオーロールよりも頭一つ分高い。やや中性的な顔立ちだが、眉毛も太いのでなよなよしいイメージではない。
「プランタジネット……クラミツハらしくない名字ですが……もしや新しく爵位を賜った子爵殿ですか?」
目の前の彼は微笑みを崩さなかったが、あっさりと正体を看破されて口元を引き締めた。
「御名答。確かに出身はクラミツハですが、ノルンで騎士として手柄を立てましたので先日子爵を賜りました。ですのでノルンの子爵という扱いになりますね……さすが十三師団長。しっかりと見極められるとは」
十三師団長に求められるのは情報処理能力と収拾能力だ。ほとんど国の事情をリアルタイムで調べられているオーロールにとってはお茶の子さいさいである。
「ニンブス=プランタジネット子爵殿、一体どうしてこちらにいらっしゃったのです?」
「家名が長いのでニンブズでいいですよ」
「質問に答えて下さい」
僅かにナイフがニンブスの首をかする。鉄臭い匂いがした。
「ナイフ突きつけられているんで話しにくいんですよ」
「その割にはすらすらとお話になっていますが……まあいいでしょう」
大人しくナイフをしまう。確かにやり過ぎたかもしれない。
「ありがとうございます。オーロール殿、いいえ、オーロール=カーマイン殿」
(名字までバレてたとは……やはり只者じゃない)
オーロールには家族がいない。唯一家族と言っていいのは前任者と自分の後継だけである。ひょっとしたら親なのかもしれないが聞いても全く教えてくれないので、既に自分が誰の子かなんて興味は失われていた。しかし、十三師団長を名乗るには一応貴族の身分が必要である。位はもちろん公爵。一代で公爵を名乗れるのは十三師団長だけである。通常一代で名乗れるのはせいぜい男爵や子爵、子爵も難しいかもしれない。異例ではあるが、十三師団そのものが規格外なのでその扱いも当然普通ではないのだ。
ちなみにカーマインという名字は前任者がつけてくれた。
(国境警備も担う時があるから辺境伯の方が良さそうだけどね)
辺境伯とは、国境警備を担う貴族で伯爵よりも地位が高く、扱いはほぼ侯爵に近い。役割がそのまま国の威信に関わるので辺境伯は他の爵位持ちよりもずっと裁量権が大きい。
「まさかフルネームを見ず知らずの方に言われるなんて夢にも思わなかったですよ、ニンブス殿」
「そうですか。ではあの結界はカーマイン殿の本名を知っている者だけが通過できるのですね?」
「なっ……!」
どうやら図星らしい。なるほどそれなら結界を通れる人はかなり絞られるだろう。
「でも甘かったですね、カーマイン殿。巧妙に隠されていましたが俺は条件から漏れたんですよ」
「そんな筈は」
「ありますよ。他にも突破には条件があるのは知っています。……カーマイン殿、貴方の結界には他国の人間がこの国で爵位を取った者に対しての条件が設定されていませんでした」
盲点だった。人を寄せ付けない結界は細かく条件を設定しないと上手く発動してくれない。散々パターンを作り、少しずつ盛り込んでいったというのにこんなところで詰めの甘さが露呈するとは。
彼の指摘した通り、他国の人間は盛り込んだが他国の人間で爵位持ちという条件は確かに入れていない。
(とはいえ、この人はどうも私を殺そうとはしてないみたいだけど)
この部屋に入ってきた時もそうだったが、彼は殺気なんて持っていなかったのである。持っていたとしても抑えているのが普通だが、彼の場合は無邪気で隙だらけなのだ。企みを持つ者の振る舞いとは到底思えなかった。ドアを開けられてすぐにナイフを突きつけなかった理由はそこにある。オーロールは頭を抑えた。
「ニンブス殿の目的は何ですか。返答次第では命はないと思いなさい」
それでもオーロールは彼を睨む。緋色の瞳が燃える様子はまるで炎が直接宿っているようだ。瞳の色も相まって恐ろしい。それでもニンブスは怯まない。
「いや、一度話して見たかったんですよ。貴方と」
(は?)
毒気を抜かれた顔をしているオーロール。ニンブスはそれを好ましそうに見つめた。
「いい反応ですね。カーマイン殿。まるで普通の女の子みたいです」
(しまった、首を隠していなかった)
何だか失敗続きである。オーロールは仕事をする際性別が分からないようにすることが多く、男装も完璧にする術を持っている。顔が中性的なのでどちらの性別でも大して違和感を持たれない。暗殺する時も小柄な体型とこの顔立ちのお陰で大変やりやすい。相手が小さいと油断するからである。しかし男装だけは厳重に行う必要があった。男女は基本的に体のつくりは同じだが差異も当然存在する。一番気をつける所は喉の部分である。喉仏は男性にしかないので男装する時は喉を隠すのを欠かさない。前任者は男性だったのでだいぶここは苦労したらしい。女裝して隠せないのは喉仏だからだ。喉辺りにチョーカーらしき物をつけるとバレないとこっそり教えてくれた。
しかしここは彼女の部屋である。訪れる者はいない。リラックスした格好で侵入者が現れたため着替える時間もなくあっさりと性別まで見破られた。
「からかう為に来たとは思えませんが……本当に何なんです?」
訳が分からなすぎて先程からため息しかついていない。いきなり侵入者が来てからずっと脳が混乱して正常な判断が出来ないでいる。これでは十三師団長失格だ。前任者が後継をあと二人育てているので、彼らに師団長を譲ろうかと一瞬考えてしまうほどにオーロールはひどく狼狽していた。
「ふふふ。そんなに他人が珍しいですか。先程申した通り、貴方と話をしたいのです。貴方の人となりを知りたく思います。貴方に興味があるのです。隠された師団長、貴方にたどり着くのに半年以上かかりました」
彼女は甘く微笑むニンブスを睨む。そんなことをされても迷惑だ。バレてしまった以上無事に帰すつもりは毛頭ない。前任者にはこってり絞られて十三師団長の任を解かれるだろう。オーロールとしてはこんな煩わしい肩書には興味がないのでさっさと後継に譲るのは願ったり叶ったりだが、十三師団の存在と師団長の存在が漏れてしまうのはノルンにとっては喉笛に食らいつかれたのと同じではないだろうか。そしてそれを見過ごすことはオーロールにはできなかった。
(この責任は私にある。何としても片付けないと)
今ここで殺すのは簡単だ。ここで何があったかなんて誰にも知る由はないのだから。殺し方は何通りかあるし、オーロールは決して獲物を仕損じない。いくつかのシナリオを想定したが、結局は油断させてから亡き者にするのが一番良さげだ。
「怖いもの知らずですね。ではこうしましょう」
ニンブスは目を見開く。てっきりすぐに殺されると思ったからだ。
「私と決闘をしましょう。ニンブス=プランタジネット子爵殿」
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